2018年1月24日水曜日

山下澄人さんの『ほしのこ』と『を待ちながら』

 小説は門外漢ですが、最近の日本は小説がすごく面白くなっているので、小説についても時々書いてみようかな、と思います。

昨年末読んだ、山下澄人さんの、芥川賞受賞第一作「ほしのこ」(文藝春秋刊)は、 言葉で書かれているのにまるで映像のように、鮮やかに場面が目に浮かび、美しい映像詩を観たような感動が後に残りました。人物間の境界が曖昧になる世界は山下さんならではの非常に斬新な書き方で、戦うことの無意味さがひしひしと伝わってきました。


 山下澄人さんの新作では、「新潮」10月号掲載の戯曲『を待ちながら』もとても良かったです。
ベケットの『ゴドーを待ちながら』では、「待つ」という動詞に対して目的語(ゴドー)が明記されていますが、「を待ちながら」では目的語が無になっていて、何かを待っていると、登場人物たちに意識すらされていないことが、非常に興味深かったです。
 ベケットの『ゴドー』には何か、希望のようなものを、ほのかに待つような感触がありますが、『を待ちながら』では待っているものはもっと怖いものであることを、『アンネの日記』(非日常の中の日常とも言える箇所が選ばれていて印象的。今私たちが日常と思っているものはすでに非日常なのではないかと…。)の朗読と、154ページ下段の「こども」の台詞が示唆しているように感じました。タイトルの『を待ちながら』の、「待つ」という動詞の主語は何か恐ろしい事態であり、目的語は、それを知らずに生きている私たち自身なのではないか、と感じ、戦慄しました。音楽家の、最後の台詞もまるで散文詩のようで、深く印象に残りました。

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