2018年3月31日土曜日

平井謙さんの合評会「とりQ」に参加してきました!

今日は平井謙さん主宰の合評会「とりQ」(@御茶ノ水)に参加してきました! みっちり詩を読み合う時間を三時間も持てるのは貴重。自分で全く気付いていなかった点を指摘してもらえてはっとしたり、みんなでわあわあ感想を話し合ったり、とても楽しくて有意義な時間でした。平居謙さん、有り難うございます

2018年3月30日金曜日

桃の花が満開♪

桃の花、白色と薄い桃色に加えて、濃い桃色の花も少し、咲いてきました。
今満開です♪ 

2018年3月28日水曜日

白岩神社参道の桜が8分咲きです!

白岩神社参道の桜が8分咲きです! 大磯は東京より暖かいのですが、何故か桜はいつも東京より遅いです。でもどんどん咲いています。1枚目と2枚目の写真は今日、三枚目の写真は昨日。



2018年3月27日火曜日

小島きみ子さんの『僕らの、「罪と/秘密」の金属でできた本』について


小島きみ子さんの『僕らの、「罪と/秘密」の金属でできた本』は、神秘的な愛の書物であると感じた。行分けの詩作品と批評的ディスクールに裏付けられた散文詩との織りなす綾織りから浮きあがってくるのは、時空を異にする場所に在る他者、「私」、「僕」との間に交わされる、非常に霊的な交歓である(「霊性で語りあうのですから」(11 (Hard・Bの鉛筆で書かれたスケッチ)))。

 「私」は「彼女」に、「あなた」は「僕」に、つまり「私」と「他者」とが自在に入れ替わると読むことが可能であるような不思議な空間が、そこには立ち現れる。


たとえば「4(薔薇色の、瞳を閉じて)」の第一連~第二連では、一行の空白を置いて、「私」は「彼女」となり、(「私は私の影と小さな黒い箱の中で眠った。//彼女の背中には村々の明るい灯が燈り、」)第4連では、改行の後、「あなた」は「僕」へとすり替わる。(「《握手しましょう》《接吻しましょう》とあなたは私に言う、/僕はすべてを知っていました、/僕らは間違ってはいませんでした、」)

 
そして他者は、単に死者であるとも言えない。「6  (ブルーベリーの丘で)」...において、第一連でブルーベリーは「喉がかわかないように 摘みながら食べるのよ」「と、教えてくれた」「そのひと」は、最終連では「たった一度きりの、遙かな、/時間を超えてやってきてくれた姉」だと書かれる。

この世で生活を共にした後死んで、霊として現れているのではなく、最初から、異なる時間を生きる者として、また、実際に姉なのかどうかもわからない存在として、「そのひと」は書かれている。この神秘的な時間の流れは、「12(白鳥)」でも言及される。
(詩集では下揃えで組まれており、Wordでは下揃えで引用したのですが、ブログにコピーすると左揃えになってしまいます。申し訳ありません)

 
 
霧と霧 湖の漣
あなたと僕は
別々の時間の流れをもっているのです

輪郭を失う
わたしたちの 時間の流れ
[ ...]

 
 
特に強く印象に残ったのは、「10(夢の中で夢見たものには、追いつきはしなかった)」である。いるのか、いないのか、輪郭も定かではない他者である「あなた」の「声」を「見ていました」と詩人は書く。本来、音として「聞く」はずのものを、詩人は「見る」。詩の言葉から、この世のものならぬ存在とその存在が生きる時間とが立ち上ってくる。
 
 
口笛を吹くと
空から下りてきたのは
あなたの灰色の影
わすれていた昔に
あなたはここへやってきていたのに
私のもとへとどく前に

それは あなただったのに
何度も頬に吹いた風
熱く冷やされて
それを受け止めながら
目をどこに向けても
そこに存在するあなたのことば
私の思っていたことばとは違うそのことばが私を運んで行く
どこへ?
彼方へ
[ ...]



 

2018年3月26日月曜日

桃の花が咲いてきました!

桃がかなり咲いてきました!
裏庭のかなり狭いところにあって、お隣の敷地に枝が伸びてしまうのが問題の桃ですが、今の時期はのびのび咲いてほしいです!
一本の木に、桃色の花と白い花が同時に咲く「源平桃」という種類です。



2018年3月22日木曜日

大明気功院の「春の集い」に行ってきました(横浜中華街「菜香新館」にて)

昨日3月21日は、横浜中華街の菜香新館で開かれた大明気功院の「春の集い」に連れ合いと二人で参加してきました。
青島大明先生の気功で健康を手に入れた、今元気一杯の元病人が70~80人、大明先生を囲んで豪華な中華料理に舌鼓を打つ会!
15年ほど前、重症の化学物質・電磁波過敏症に苦しみ、某大学病院の、この病気ではナンバーワンの権威の先生から「化学物質も電磁波もない山の中で有機農業を覚えて生きていくしかない」と宣言された私でしたが、青島大明先生の気功のお蔭で、奇跡の健康回復! 今、詩の活動を再開し始めていられるのも、先生の気功のお蔭です。
一方連れ合いはと言えば、9年と少し前にくも膜下出血で倒れたものの先生の気功のお蔭で手術せずに回復。併発していた水頭症、肺炎(くも膜下出血が助かっても肺炎で命を落とすケースもあるとかで、その時はものすごく緊張しました)も治ったという奇跡のような経験をしました。

横浜中華街は、以前、連れ合いと二人でだいぶあちこち食べ歩いたのですが、超グルメの青島先生ご指名の「菜香新館」はどう考えてもナンバーワン!
とても上品な広東料理で、清んでコクのあるスープの味がどの料理にもしっかり効いていています。
最初は食べたり話したりするのに夢中で、お料理の写真を撮ったのは途中から。最後の杏仁豆腐の写真もなし。苦笑
ゴマ団子の中は塩卵の黄身のカスタードクリーム! 外側がぱりふわでとても薄く、カスタードクリームとの間にほんのちょっと空気の層が。つくるのがすごく難しいんだそうです。...
高級感ある店内や、感じのいい店員さんたちも有難く、大好きなお店です! おすすめです♪

下の写真は、青島大明先生、そして美味しいお料理の数々。




 


 








2018年3月20日火曜日

阿部嘉昭さんの『橋が言う』(ミッドナイト・プレス)


 阿部嘉昭さんの『橋が言う』(ミッドナイト・プレス、10月28日刊)に、静かで深い感銘を受けている。
 
 まず印象に残るのは8行詩という形に由来する造形性、そして全編を貫く、流れるような美しい音楽性だ。
 
 1ページに8行で収められた詩編の一篇一篇は、並んだ活字が正方形に使い形をつくるゆえに、一枚の色紙のようにも見え、そこから詩が、絵のように立ち上ってくるのが感じられる。

 あるいはまた、一行一行が降る雪の軌跡のようで、白い紙の上にしんしんと降る悲しみの奏でる歌が聞こえてくる。そして白い紙は、詩人の、限りなく希薄になった存在そのものでもあるのだろう。

 
 「ほそさ」は、詩集『橋が言う』全編を貫く悲しみでもあろうか。冒頭の「さほひめ」ではタイトルの中に「竿」があり、三行目の「あしもと」の中にも、「葦」がある。空へと伸びてゆく「ほそさ」のイメージが、この詩集全体のプレリュードとなっている。
 
   いろなきはなびらのほそくふきかかるのを
   おわりのまぶたうすくながめていたが
           (みえるのこり)

 
   こころのままみおろすひかりの川も
   ほそくてただすみとおるだけで
           (「峡中の歌」)

 
   加護されたほそながさとなるため
   へびはかたちをといでいったんだろう
           (「加護」)

 
  すこっぷのうごきにつるなどはばたき
  すいしょうあるそこでとうめいがほそる
           (「羽有人」)

 
   しんくろとかんがえがほそくつながる
   ゆきも肺腑へおりてうすぐらかった
          (「雪のイエス」)

 
 ほそさ。そして、透明であること。『橋が言う』の中で、存在は限りなくほそく、そして希薄に、透明になってゆく。
 
   かたちそのものの透けるおくれた濾過が
   とおりすぎたひとすじをもこしだしてゆく
             (「かんがえのふたつ」)

 
   そら「みおろすと手稲の地までもが
   はるのおわりをとうめいにひろがって
             (手稲山麓)

 
   よこたわるなぎさで縊死をとげた
   やがてとうめいになっていった
             (「ジンジャンの朝」)

 
   すこっぷのうごきにつるなどはばたき
   すいしょうあるそこでとうめいがほそる
             (羽有人)

 
 存在が限りなくほそく、透明になってゆく世界。そこには、存在することをやめたいという、詩人の切実な思いがあるように、私には感じられる。
 「釉薬」に書かれている、「釉子という名のむすめはそのようにみやり/この世をうすくする雨へとゆっくりはいった」という不思議な、美しい二行。「この世をうすくする雨」に入る時「むすめ」はその姿を透明にするだろう。そして、彼女は人としての存在をやめるだろう。
  
   とおくとぎれるものがひとではなくなった

 
 生きていることをやめること、存在をほそくし、消して、透明にすること。それはこの詩集全編を貫く希求のように思える。
 
  じぶんをとりだしかんがえるのではなく
  じぶんをけすようにかんがえてゆくと
  けっきょく「。」がすがたとわかる
          (「句点」)

 
  このてもとにも洗馬があればいい
  いきるなやみをけしたいとかんがえた
          (「毛愛」)

 
  しんだらはずかしいので
  できるだけ早く焼いてほしい
          (「空葬」)

 
  たよりなく放心するのにうながされ
  たたずまいからたましいがぬけてゆく
      (「苗穂駅にて」)

 
 だからこの詩集では、生きている人間の視点から、動物の、更に、生命なき「物」の視点への反転が起きる。詩人は他者にではなく動物に、そして物に憑依する。動物や物を対象にした詩で思い出すのはたとえばフランシス・ポンジュだが、ポンジュのように対象を人間の視線から観察して描写するのでもなく、また擬人化するのでもなく、視点はあくまでも物の位置に置かれる。
 
   犬「あるじにつれられてひくくゆくのみで
   ほらいぞんというものならおぼえない
         (「地上」)

 
   くっついてそいとげるひとでなしを
   霜でひやしみちびいているんだ」
         (「橋が言う」)

 
 そして、人間の世界は、人間ではない物の目で、眺められる。そこからある種グロテスクとも言える、人間の体の描写も生まれてくる。
 
   そのかこいのひろがりをも
   ひとがゆきかうのはふしぎだった
         (「讃歌」)

 
   あせとあぶらにからだがよごれて
   どりあんめいてにおいたつので
   けがれはかなむ心中をしたくなる
         (「誘惑」)

 
   からだのうちがわがあらわになる
   そのはずかしさをかくそうと
   すこしだけばらいろなのがてのひらだ
         (「掌紋」)

 
 阿部嘉昭さんと言えば「減喩」の提唱者であり、もしかしたら、先に「減喩」理論があって、今回の詩集はその実践としての実作のように解釈される可能性があると思うが、私はそうではなく、詩人の中に、己の存在を、さながらジャコメッティの彫刻のように限りなく細くし、可能ならば存在そのものを消し去りたいという思いがあって、その思いがこの美しい、8行詩の連作として結実していると思う。そして実作における批評意識を言語化したものとして、「減喩」理論があるのではないだろうか。
 
 存在の「さみしさ」(「ちいさいかがやきが身につたうと/あみだすさみしさもひとがたとなる」)が、雪のようにしんしんと心に降って深く沁みる詩集である。
 
 

2018年3月18日日曜日

横浜・大明気功院の講習会に行ってきました

昨日は、大明気功院の講習会で、連れ合いと二人で横浜に行ってきました。
昨年8月、全身に癌が転移して苦しんでいらしたのに、気功で癌が完全に消えた、という方が講習会に元気に参加していらして驚きました。
今年の講習会のテーマは「二十四節気養生」で、季節ごとの養生法。 昨日は「春季養生」で、春に病気にならず、元気に過ごすための知恵を、陰陽五行や中国の古典『黄帝大経』などを元に教えて頂きました。
世間で流行している健康法の間違いなどを、青島先生が理路整然と説明してくださりとてもためになりました。実行していた健康法もありましたが、やめることにしました。笑

第48回高見順賞の贈呈式と記念パーティーに行ってきました

一昨日の3月16日は、第48回高見順賞の贈呈式と記念パーティー(@飯田橋・ホテルエドモント)に行ってきました! 今回の受賞詩集、貞久秀紀(さだひさひでみち)さんの『具現』は、非常に深い感銘を受けた詩集だったので、貞久さんと初めてお目にかかることができ、お話できて感激でした。
『具現』は、誰にも見られることなく枝を離れ、溝を流れていった葉の存在がそこに「ある」のが目の前にそれこそ『具現』するかのような、稀有な詩集だと感じています。
 貞久さん、本当におめでとうございます!
 

2018年3月8日木曜日

瀬崎祐さんが、ブログ「瀬崎祐の本棚」で、「ポスト戦後詩ノートvol.10 大木潤子特集」を取り上げて下さいました。
とても丁寧に読んでくださって、多くの論考に言及して頂き、感激しております。瀬崎さん、有り難うございます!https://blog.goo.ne.jp/tak4088/e/e9d083e5b2ea53e4ef8e34087388cb1f


 

2018年3月5日月曜日

ラベンダーで防虫サシェをつくりました

今日は、ラベンダーの精油で防虫サシェを作ってタンスや引き出しに入れました。
サシェと言っても、百均で買ったミニ封筒です。笑
防虫にはもう、かれこれ15年近く、ラベンダーを使っています。
始めた頃は、お洒落にしようと思って、オーガンジーの小さな袋にラベンダーのポプリ(ハーブティー用に販売されている物)を入れ、口をリボンで結んだりしていたのですが、手間がかかって続きませんでした。笑
その後、ラベンダーのポプリをお茶用の不織布に入れていた時期もあったのですが、なんと、ポプリを食べる虫がついて、粉々になったラベンダーで引き出しが汚れるという事態が発生し、以降、ミニ封筒に重曹を入れ、精油を垂らすという方式になりました。...
今日は家中ラベンダーの香りで、気持ちがいいです。
2枚目の写真は、満開になってきた白梅。昨日撮りました。今日は雨風に吹かれて可哀想でした。


2018年3月2日金曜日

山積みの家事で、多方面に不義理・・・。

 ここのところ、せっせと家事に専念しています。そのため、多くの方々に、いろいろな面で、不義理、ご無沙汰が重なっております。申し訳ありません。
 昨年秋に垣根が重病にかかってから、詩の関係でも急ぎのことがいろいろあって、家の細かい用事をどんどん後送りにしているうちに、収拾がつかなくなってきたので、今、やりたいことは全部ストップして、山積みの家事をこなしているところです。包丁研ぎ、裾がほつれたスカートの修繕、垣根の寒肥、と進み、昨日から写真の整理。
 寒肥はぎりぎりのタイミング。垣根に沿って溝を掘って、有機の固形肥料をぱらぱら撒いた上に腐葉土をたっぷりかけて埋め戻し。結構重労働でしたが爽快でした。
 ビデオの整理、衣類の防虫、アイロンかけなど、まだもう少し、やることが残っています。しっかりやって生活が落ち着いたら、再スタートしたいと思っています。みなさま、今しばらく、不義理をどうぞお許しくださいますよう・・・。