2017年9月30日土曜日

クロコダイル朗読会、一週間後に迫りました!!

クロコダイル朗読会まであと一週間になりました!
10月7日土曜日、午後1時開演です(開場は午後12時30分、終了午後3時40分)。入場料2000円、ワンドリンク付きです。
私は「石の花」(2016年思潮社刊)117ページから最後までを読む(謡う?)(歌う?)予定です。神楽鈴も鳴らします♪
みなさまお忙しいことと存じますが、お時間ありましたら、おみ足お運び頂けましたら嬉しいです!!

 

2017年9月25日月曜日

来客があり、南仏風牛肉のワイン煮込みをつくりました

昨日は来客があり、一昨日から準備に専念。
メニューは
アミューズ:カシューナッツとアーモンド


 オードブル:自家製パンと豚肉のリエット


 スープ:マッシュルームと玉ねぎのポタージュ...

メイン:南仏風牛肉の煮込み


 サラダ:リーフレタス、フレッシュバジルのジェノベーゼドレッシングあえ
チーズ:ブリー、カマンベール、山羊のフレッシュチーズ蜂蜜入り
デザート:チョコレートのガレット


 でした。
ワインはモエエシャンドンのシャンパーニュ、2015年のメドック。お客様がほとんどお酒を飲めない方で、飲むのはほぼ私一人という状況だったのでシャンパーニュはミニボトル、ワインはハーフボトル。


メインとスープは前日に下ごしらえし、パンはオードブルに使う角パンは前日焼いて冷凍、丸いパンとガレットは当日つくりました。
今回はちょうど横浜に行く機会があったのでチーズとワインは横浜そごうで購入。赤ワインのハーフボトルはこれしかなかったので「大丈夫かなあ」と思いつつ買いましたがとても美味しかった!
シャンパーニュも小さいボトルはやはりこれしかなかったので「Veuve cliquotないのか~がっかりだな~」とか思いながら購入したところ蜂蜜みたいな味わいでこれも美味しかった!
チーズ、ワイン共に、横浜そごうは満足度高し!の結論。
牛肉の煮込みは今を去ること25年以上前、南仏旅行した時入った、地元の人で賑わっていたビストロで食べた味を再現?したもの。人参が牛肉とほぼ同量入るのが特徴。ベーコンも入ります。日本に帰ってからはこの料理に合う部位の牛肉が手に入りにくく、つくれない時期が続いていたのですが最近代用できる部位を販売している店を見つけたのでまた作れるようになりました。でも本来使うgiteという部位に較べると赤身が強くて、ぱさつきやすく、煮込むとき神経を使います。
6時間くらいかけていろいろおしゃべりしながらゆっくり頂きいました。途中、サラダとチーズの間に、万葉集にも歌われているこゆるぎの浜を散歩。


アミューズのナッツを載せたお皿は、やはり25年以上前、フランス人のご夫妻から頂いたものでGien焼。宝物です。

2017年9月22日金曜日

ツェルニー30番2番



25年のブランク(途中2年半ほど弾いた時期あり、この前20年と書いたけれど25年だった)の後再開したピアノ。指に無理かけないように、思い切り戻って復習しているツェルニー30番の2番。子供の頃ツェルニーはつまらないとしか思っていなかった。でもこの年齢で弾いてみると可憐な美しさに満ちた曲。子供にはわからない渋い美しさなのかもしれない。8月4日に録音。左手の三連符を正確に弾くのが非常に難しい。ところどころ不揃いに。苦笑




2017年9月20日水曜日

龍安寺石庭の写真その4

龍安寺石庭の写真その4,これで終わり。石庭について、連れ合いいわく、「石だけど水紋があってそこに海を見させる、石は海の隠喩だからこの庭は詩だ」「石であると同時に海、海であるが石が消え去ることもない、石と海との間の絶えざるva-et-vient(往き来)。」私が面白がると「こんなのみんなが言うことだと思う」と言って笑ってたけど私には刺激になった。石庭をきっかけに、新しい連作を書き始める。今同時並行で連作3つ進行中。





龍安寺石庭の写真その3

龍安寺石庭の写真その3。白砂の上の影と、そこから音叉の「ラ」の音が聞こえるように感じた、庭左方の小さな石。





2017年9月19日火曜日

龍安寺石庭の写真その2

長い間座っていたら、石庭を囲む土塀際の木々が、白砂の上に影を落とすようになった。





2017年9月17日日曜日

龍安寺石庭の写真その1

龍安寺石庭の写真その1。連れ合いが、石を敢えて途中で切って部分を撮っていて、それがすごくいいと思ったので私も真似して撮ってみました。





2017年9月15日金曜日

龍安寺石庭

龍安寺石庭は、高校二年の時修学旅行で行って以来二度目。やっぱり凄かった。宇宙の音楽が聞こえるような。

2017年9月14日木曜日

昨日まで三日間、関西を旅してきました。

一日目 奈良、桜井の聖林寺
二日目 高野山(朝大雨が降り、ハプニングあるも無事)
三日目 京都、大将軍八神社、龍安寺石庭、広隆寺...
密度の濃い三日間でした。


今回関西に行って驚いたのは、ホテルの朝食バイキングがとんでもなく豪華になっていること! 奈良、京都共に、以前も泊まったことのあるホテルだったのですが以前とは全く違う内容で、中華ありフレンチあり(ラタトゥユ、キャロットラペなど)イタリアン(ペペロンチーノ)あり。朝食で外国人観光客争奪戦が繰り広げられているのではという印象でした。
初日の奈良・桜井のことはまた、後から、長く書きたいので今日は二日目のの高野山の印象を。

 天気が悪かったこともあって、疎らな観光客の半数以上が欧米系のツーリストたち。ケーブルカーの放送が、英語の次にフランス語、中国語も韓国語もなかったのが驚きでした。
ケーブルカーは最初は45度の角度、途中からは30度だそうです!


 高野山は本当に本当に山奥で、秘境の印象が強く、その「場の力」というか、「場の気」というか、神秘的な雰囲気に圧倒され、感動しました。繰り返し訪れたい!と思いました。







 奈良・橿原から高野山に行く途中では早朝の大雨の影響で電車が一部運転見合わせで、振り替え輸送のタクシーに乗るなどハプニング。高野山に着いたのが二時半になり、精進料理が手軽に食べられるという食堂に直行したところ、16時まで開いているはずのお店がもう終わりだとのこと。他に食べたいところもなく、結局、朝のバイキングを沢山食べておいたストックで夜までそのままでした。結果的に、カロリーオーバーにならずに済んで良かったかも!

2017年9月10日日曜日

平居謙さん主宰の詩の合評会「とりQ」@神楽坂に参加してきました

昨日は平居謙さん主宰の詩の合評会「とりQ」@神楽坂に参加してきました。二回目の参加です。参加者総勢13人、年齢層の幅が広い、賑やかな会! 人によって着眼点が違うので面白く、勉強になります。会場の「香音里」は一軒家を改造した多目的レンタルスペース。瀟洒でアットホームでいい雰囲気でした。二次会は同じく神楽坂の「竹ちゃん」、こちらも楽しみました!

2017年9月8日金曜日

25年ブランク後再開して半年のピアノ【ツェルニー30番1番】



25年のブランクを置いて(間で2~3年弾いた時期あり)再開したピアノ、再開後半年。練習曲は思い切って戻ってツェルニー30番の1番から復習しています(苦笑)。8月4日に某スタジオにて録音しました。無理なくゆっくりのテンポで。繰り返しの後の方が調子出たかなあ。

2017年9月6日水曜日

クロコダイル朗読会では神楽鈴を振りながら「石の花」(思潮社刊)を読みます!


10月7日のクロコダイル朗読会で、「石の花」を朗読する時に使う神楽鈴が今朝、着きました♪ 昨日はカラオケで朗読の練習をしてきました。かなり思い切った、変わった読み方になると思います。みなさまお忙しいことと存じますが、10月7日はクロコダイルにおみ足お運びくださいましたらとても嬉しいです!





 

2017年9月4日月曜日


「後ろに流れる街灯」




8月30日の朝、布団を干していると、
「ピンポーン」
と、インターホンの子機が鳴るから、出ると、ヤマトの宅配だった。
 今日は、何も着く予定がない。何だろう、集金かな、などと思いながら玄関を開けると、細長い箱を持ってIさんが立っている。ヤマトのIさんは、私たちが引っ越してきた時、古いエアコンを処分するのも手伝ってくれた親切な人だ。最近担当地域が変わって、あまり来なくなってきていたのだが久しぶりだ。
「今、どこ回ってるんですか」
「この、後ろの山の向こうを」
などと話ながら、ハンコを押して、受け取る。
 さて、何だろう。
 送り状を見ると、Aさんの名前。
  Aさんからは以前もお菓子を送って頂いたことがある。今回は何、この形はワイン? でもどうして?
「なんか、Aさんから贈り物届いたよ」
二階で書き物をしているTに声をかける。
「Aさん? 何でだろう」
「添え状あり、って書いてあるよ」
 Tが階段を降りてくる。
 箱を開けると、やはりワインで、白ワインだ。添え状に、ご本のお礼、云々、と書いてある。
「『日本の起源』のお礼みたいだ」
「ええー本送ってお礼?」
 本の感想も書いてある。
 著書を送って、送った相手の著書が送られてくることはあるが、ワインが送られることはまずない。何だか有り難い。ワインのラベルを見ると、Macon Vergissonとあって、上にDomaineの名前が書いてある。
「Maconだ」
「ブルゴーニュじゃんね」
「Domaine×××」
「ただのBourgogne,とか、Macon、とかいうんじゃないじゃん。いいのこんなのもらって。前も何かくれたよねAさんお菓子」
「あれは詩集あげた時だ」
「詩集あげてお菓子くれて本あげてワインくれるなんて」
「よっぽど気に入ってくれたのかな。お礼の葉書書こう。遅くなっちゃうかもしれないけど」
「メールは? 早いよ」
「メールはね、返事ない人なんだ。メールは返事来ない」
「へえ。そうなんだ。じゃあ葉書書いた方がいいね」
「大事に飲まないとね」
「そうだね」
「何かお祝いある時に飲もう。何かある近いうちにお祝い?」
 聞かれて、思い出した。今日は8月30日。二人がフランス留学で、パリの空港に着いた日からちょうど27周年。
「今日、8月30日。上陸記念日だ」
「何だ。上陸記念日か。じゃあ祝わなきゃならないじゃない」
 茶目っ気たっぷりにTが言う。
 パリにいた間は、「フランス上陸記念」と称して、毎年8月30日を祝っていた。が、日本に帰ってからは、フランス上陸を祝うことに意味がなくなったような気がして、祝わなくなっていた。が、最近また、懐かしくなって、時々祝うことがあった。今年はばたばたしていて、すっかり忘れていた。
「でも、やることいろいろあるし。何にも用意してないから料理ができない」
 私が言うと、
「わかった。じゃあ、Jに任せる」
 ふざけたような調子でTは言って、二階に戻っていく。
私はあたあたとまず、冷凍庫の中を見る。
今晩はチヂミ風にニラを入れたお好み焼きの予定だった。今週は金曜日に昼間出かける用事があるから、お好み焼きを二回分作って一回分冷凍して、出かけた日に帰ってきてすぐ食べられるようにしようと思っていた。今日お好み焼きつくらなくても何か冷凍してあれば。あ、モロヘイヤのカレー。玉ねぎとトマトを炒めてつくったカレーの素と、ゆでたモロヘイヤとでモロヘイヤカレーのセットにして冷凍してある。これがあれば金曜日何とかなるかも。
 次に冷蔵庫。ニラは元気か。今日使わないと駄目になるようだと、今日はやっぱりチジミお好み焼き。出してみる。お、大丈夫そう。
 じゃあ今日、何がつくれるかな。茄子、トマト、ピーマン。ラタトゥユいける。ズッキーニないけど、人参で代用しよう。でも前菜は? 小松菜があるけど。小松菜かー。洋風にアレンジ難しいな-。Betteみたいにニンニクとバターで炒めても、いまいちなんだよなー。あ、ポタージュは? じゃがいもと玉ねぎと一緒にバターで炒めてミキサーかけて。ポタージュにしてみようか。うちは夜は動物性タンパク質摂らないから、あとはチーズがあればOKだ。
 ここまで決まると私は階段の下に行く。
「あのさあ、冷蔵庫見たらさあ、ポタージュとラタトゥユで行けそうなんだけど。まだ早いからパンも焼けるんだけど。そんで今日、P商店来る日だからさ、電話してBrieとか持ってきてもらえば、Fête(パーティー)できるよ。どうする?」
大声で声をかけると、
「なんだもうできてんじゃないか献立。任せます!」
 また、ふざけた調子で返事が返ってくる。
 私は大急ぎで電話に向かう。短縮の一番でP商店。うちは駅から歩いて二十分たっぷりある立地にあって、途中にもマーケットはもちろんコンビニもない。不便なところだが、町全体に商業施設が少なめだから、食料品店の配達サービスが充実している。今日はP商店が牛乳とヨーグルト、野菜を持ってきてくれる日だからついでにBrieを頼んでみよう。いつも美味しそうなBrieを置いている店だ。電話はすぐに通じて、Brieを持ってきてくれるように頼む。すると・・・
「すみませんちょうど入れ替えの時期で。Brieないんですよ。明日入るんですけど」
 いつも配達してくれるQさんのお嬢さんが電話に出て、申し訳なさそうに言う。Qさんは郵便局の配達員を五十年勤め上げて定年退職した人だ。配達時間やおつりの確認などものすごくしっかりしていてその上感じがいい。そのお嬢さんもまたすごく配慮が細やかで、アボガドの熟れ具合まで確認してから届けるようにしてくれる。
「ああ~、そうなんですか~。Brieないんですか~。いつも美味しそうなのがあるから絶対あると思ったけどそうですよね、入れ替えの時期もありますよね。そしたらカマンベールは」
「すみません、カマンベールもちょうど切れてて。これも明日入るんですけど」
 うわー、残念。Fêteは無理? と、がっかりしながら、
「じゃあ何か他に、何でもいいので、フランスのチーズないですかね」
と尋ねると、
「実はBrie、全然ないっていうわけじゃあないんですよ。賞味期限切れのならあるんですけど。すごく古いのが好きっていうお客様がいらっしゃるので、そういう方が見えた時のために奥の冷蔵庫に一応とってあるんですけど。半額なんですけど」
 Qさんのお嬢さんが言う。
 賞味期限切れ。微妙だなあ。Tは、熟し切ってお新香みたいな匂いのチーズが好きだけど、私は若い方が好きだ。
「いつなんですか賞味期限」
 尋ねると、
「それが、」
 くすくす笑いながら、
「8月6日なんです」
うーん。今日が30日だから。賞味期限が切れてから24日。大丈夫か。迷っていると、
「カマンベールも、あることはあるんですけど賞味期限切れのが」
 若い、綺麗な声で言う。
「それはいつなんですか賞味期限」
「ええとこれが、ちょっと待ってくださいね」
一瞬確認に行って、
「8月16日ですね」
 笑っている。
 期限が切れて二週間。Tはそういうの好きかも。でもなー。と悩んでいると、
「あ、小さいのならありますカマンベール。賞味期限内のが。」
 明るい声で言う。プチカマンベールとかだろうか。どんなのか聞いてみる。
「プレジデントっていうのと、」
プレジデントかあ~。これは大量生産品で、フランスの学食で個包装のがよく出てきた。あんまりイメージ良くない。
「あと、他にも二種類あります。緑の箱のと、オレンジの箱のと」
「なんていうメーカーですかね」
「ええと、ジェラールっていうのと、あと、ヴァリエール?っていうのと。フランス直輸入、って書いてあります。ヴォージュ地方の生乳を100%使ったクリーミーな味わい」
 説明書きを読んでくれる。ジェラール、ヴァリエールっていうのは聞いたことがないメーカーだ。「結構評判いいです。片方が緑の箱で、片方がオレンジの箱で。一つだと600円なんですけど、二つだと850円です」
 カマンベール二つで850円。小さいのみたいだけど、悪くない。それを、牛乳と一緒に持ってきてもらえるように頼んで電話を切る。また、階段の下に行く。
「あのねーBrieなかった。賞味期限切れのならあるって言われたんだけどね、賞味期限8月6日だっていうからやめた。カマンベールも賞味期限8月20日だっていうからやめた。そんで何かプチカマンベールか何か、よくわかんないけど評判いいっていうのがあるっていうから、それ頼んだ。二つで850円だって。それでいい? 何かすごく安い」
 すると二階の部屋から、
「その8月6日が期限のBrieでもいいんじゃないか?」
 と声だけする。
「でもさちょっと怖くないかと思ってさ」
「俺そういう方が好きかも」
「うん、そう言うかなと思ったんだけどさ、8月6日だからね、もう二十日以上経ってるじゃん。傷んでたりすると怖いじゃん」
「傷むもんじゃないだろうチーズなんて」
「でも怖いからやめた。カマンベールも8月20日が期限のあるって言われたんだけどやめた。そんで知らないメーカーのにした」
 すると
「わかった。OK。まあ、万が一っていうこともあるからな」
「じゃあパン焼くね」
「やっぱりやることになったな」
 こうなるのが俺にはわかってたんだ、というような調子で言う声が聞こえる。
 階段の下から今度はばたばたと台所のホームベーカリーに向かう。全粒粉が少なめだから今日は全部白い強力粉でつくることにするか。「フランスパン風」のコースだと焼き上がりまで三時間半かかる。ちょっと遅くなるけどまあいっか。ボウルに粉と塩とイーストを入れて混ぜてから水を入れて混ぜ合わせ、それをホームベーカリーのパンケースに移したらスイッチオン。今夜はFêteだ。

                                             *

夕方。
「おまちどおさま~」
 P商店のQさんが白い発泡箱を脇にかかえてやってきて、商品の入ったビニール袋を箱から出して玄関の上がり框に置く。
「すみませんねーさっきお嬢さんに、お電話でいろいろ聞いちゃってお忙しいのに」
と言うときょとんとしているから、
「チーズのことね、いろいろ細かく教えてもらったの。私がお店に行けばいいのにね」
「いえいえ暑いですからね。全然気にしないでください」
 お札を渡すと、ビニール袋に入れて用意してきたお釣りの小銭を大きな手のひらの上で数えて渡してくれる。Qさんはすごく背が高い。足も長くて手も長い。手のひらも大きい。門が内側から閉まっていても、長い腕を外から差し入れてひょいと鍵を回して開けてしまう。Qさんが来た時は、門の鍵を開けに出ないで済むからちょっと楽だ。
 さて。どんなチーズか。
 いそいそと、白いビニール袋の中を除いて、オレンジと緑の箱を取り出す。
 あれ。なにやら固い。
 見ると・・・
片方は缶詰。片方はビニールの真空パックだ。
 わー、これは・・・。
 また、階段の下に行って、二階で書き物をしているTに声をかける。
「今チーズ届いたんだけどね-。一つが缶詰、一つが真空パックだった」
 一瞬の間を置いて、
「やっぱり8月6日のBrieにすれば良かったか」
「でもねー」
 仕方がない。七時半にパンは焼き上がる。チーズの良し悪しに関係なくFêteは決行。ポタージュを、そしてラタトゥユをつくる。ランチョンマットを敷いて、ワイングラスを出す。その頃にパンが焼きあがるから、切って籠に盛る。さあFêteだ。Tが降りてきて、ワインを開ける。
「これ、どうやるんだっけね」
 Tは不器用だ。手先を使うことが苦手だから私がワインを受け取る。瓶の口のすぐ下のところを、オープナーの先の尖ったところで辿りながら、アルミを破って外す。コルクはTが抜いてくれて、
「さあ、では、J、デギュスタシオンを」
 私のグラスに少量のワインを注いでくれた。
「色は」
「色は、そうねえ・・・」少し掲げて、白い壁に透かして見て、「澄んでる。すごく澄んでる。透きとおった、黄金色」ワインを傾けて、鼻を近づける。
「どう?」
「ハチミツ」
「ハチミツかあ」
「それから、レモン・・・トースト、焦げたトースト。それから・・・干し草、かな」
「干し草かあ。foinだな。」
「なんか、講習会で教わった匂いが全部するよ。しないんだよね大体、焦げたトーストとか干し草とかは」
「じゃあ一口」
 飲んでみる。ずずーと音をさせながら啜って飲んでいいと昔講習会で教わったからその通りにしてみる。複雑な味わいが口に広がるがそれよりも口当たりの滑らかさに驚く。
「なんか、こうして回した時に」ワイングラスを静かに回す。「ねっとりしてるよワインの動きが。グラスに粘り着くみたいな」
 Tも飲み始めている。
「ほんとだ。滑らかだね-。昔あったね貴腐ワインっていうのが。」
「あったあった」
「貴腐ワインで一番安いの拾って買ってた」
「そうそう」
「ちょっとあれに似てる」
「甘いよね」
「甘い。でも苦みもある」
「こんな美味しい白ワイン飲んだことないよ。講習会行ってた時も」
「昔三千円くらいの何本飲んでもみんなおんなじ味しかしなかったなあ」
 なんだか、どんどん飲める。
 八年半前にTが倒れてから、二人でお酒を飲むことがほとんどなくなった。倒れた後、Tはほとんど一滴も、と言ってもいいくらい、お酒を飲めなくなった。大晦日に、日本酒をおちょこで一口飲んだだけで息が苦しくなって、胸の上に手を置いて、用意したすき焼きを前に畳に横になって休んでいるしかなくなるくらい、お酒が弱くなった。外で飲み会があっても、一人だけウーロン茶を頼む。私も、Tが倒れるまではワインの講習会に行ったりしていたのに、お酒が弱くなった。看病と心配で疲れ切ったせいなのか、一口飲んでも、全然美味しく感じられなくなってしまった。
 それが最近、二人とも、少しずつ飲めるようになってきていた。年月が経って、体が回復してきたのだろうか。
「27年経ったんだなあ」
「ねー。27年。びっくりだね。つい昨日のような気もするよ」
 二人でパリの空港に降りたって、入国ゲートをくぐった時の光景を思い出しながら言う。今、自分がゲートをくぐるみたいに、鮮やかな記憶がある。
「全然昨日じゃないよ。ずーっと前だよ。いろんなことがあった」
「そうだね。いろんなことがあったね」
「いろんなこと」の筆頭はやっぱり、Tの病気だろう。そして私の病気も。
「あの時さあ、迎えに来てくれたんだよねCNOUS(クヌース)(教育事業国家センター)の人が」
「そう。最初いなくてさあ。フランスなんていい加減だから来ないんだろうと思ってたら来てくれた」
「そんで泊まったねえ変なホテルに」
「Goblin(ゴブラン)だったな」
「トイレが、部屋の中にあってさ、真ん中に、シャワー室みたいな感じで。そこで用を足すのが気兼ねでさ私、まだ一緒に暮らしてなかったじゃん」
「そんで翌日CNOUS行ったな」
「あれどこだっけ」
「Port-Royal」
「そうだそうだ」
「あの辺はパリでも一番古い通りだろ」
「えっそうだったの?」
「なんていう通りだったかなあ」
「Saint-Jacqueじゃなくて?」
「あれじゃないけどあれと同じくらい古い通り」
 ラタトゥユも食べ終わっていよいよチーズ。
「どうせ、添加物だらけなんだろう」
Tが言うから、箱の、原材料の表記を見る。
「違うよ。何にも入ってない。生乳、食塩、それだけだよ」
「へえ」
 二つ一緒に開けると多いだろうから缶詰の方を開けてみる。ビールみたいにプルトップがあって、それを持ち上げると円形の蓋が外れる。
「逗子でさ、缶詰のカマンベール持ってきた人がいて。H先生が、C’est un fromage mort(それは死んだチーズだ)って言って馬鹿にして見て。」
「H先生かあ。若かったなあ俺らとあんまり変わんなかった」
「24だったよ最初来た時」
「ノルマリアン」
「だよねー。」
「逗子かあ。金持ちだなあフランス人は。あんな家買うんだから」
「みんなが買うわけじゃないよ。H先生も買ってなかったじゃん。Chenierさんがお金持ちだったんだよ。日本人だっているよフランスに別荘買う人」
「Chenierさんって言ったか」
「Chenierさんだった」
 H先生は私たちが大学のフランス文学科二年の時、赴任したフランス人の先生だ。エコールノルマルという、パリの俊才だけが通う学校を卒業したばかりの、若い先生だった。H先生の友達のChenierさんが逗子に別荘を持っていて、何人かの学生を招待してくれた。Tが招待されたのと、私が招待されたのは違う年の夏だったから、その別荘には二人で一緒には行っていない。私が招かれた時、学生の一人が、「カマンベールを持ってきた」と、得意そうに言った。袋から出したのが缶詰のカマンベールで、H先生はそれを手に取って、「C’est un fromage mort」と、ぼそっと言ったのだった。
「H先生亡くなったのいつだった」
「2002年だよ」
「J病気になった後か」
「後だけど、あの時はまだ仕事してた。お別れの会に行って、その後ですごく具合悪くなったの」
「若かったなH先生」
「24歳だったよ来た時。亡くなった時44歳だった。全然変わんなかったよ遺影の写真」
 お別れの会の夜、Tは仕事があって行けなかった。私だけが行った。大勢の人が、H先生の死について語ったけれど、余りに早い死だったから、それが全部劇のようにしか思えなかった。
 白い皮をナイフで剝いて、チーズを食べる。普通のカマンベールよりも、皮がかなり薄い。
「食べられるんじゃないかこれ皮も」
「止めた方がいいよ。フランス人と違うんだよ。昔酷い目にあったじゃん」
 Tはフランス人が皮ごと食べているから真似をして、その後具合が悪くなって大変だったことがある。たぶん、元々持っている酵素が違うのだ。フランス人は大丈夫でも私たちは駄目。フランスにいる時、ブルーチーズでも大変な思いをしたことがある。今日だってだから、8月6日のBrieにしなくてよかった。
「あれ」
「美味しい」
「美味しいねえ」
「これならいいや」
「買って良かった」
「27年かあ」
 27年前の8月29日に成田を出て、シャルルドゴール空港に着いたのが30日の夜九時だった。着いたらCNOUSの、給費留学生受付窓口がある、そこに行けば送迎バスと手配してもらえる、初日のホテルも手配してくれてある、と聞いていた。九時でも開いているのか、と問い合わせたところ、開いていると言われていたが、なにぶんフランスのことだから、本当に開いているのかどうか、半信半疑だった。円形の廊下を歩いて受付を探すと、案の定、シャッターが降りている。
「なんだ閉まってる」
「やっぱり閉まってるじゃないね」
 どこかに人が隠れているはずもないのに、シャッターの降りた受付の周りをうろうろ見回すと、「閉まっているときはこの電話番号に連絡を」と貼り紙があるのに気が付いた。すぐそばに公衆電話がある。古いテレホンカードを持ってきていて良かった。差し込むと、「DECROCHEZ」(受話器を上げろ)という表示が出て、番号を押す。どうせ出ないだろうと高を括っていたら、
「アロー?」
 気の良さそうな男性の声が出た。今着いた、送迎バスを出してもらえると聞いている、と話すと、そこで待っていろと言われて電話が切れる。
 二十分も待っただろうか、まん丸い顔にくりくりした眼の、40歳くらいに見える気さくな男性がやってきて、パリ市内の宿に案内してくれると言う。早足で歩いていく後ろを着いていくと、ガラスの回転ドアの向こうに、白いライトバンが止まっている。送迎バスではない。二人がやっと乗れるくらいの小さい車。その後ろに乗り込む。
「OK?」
 二人を乗せて車が出る、もう十時を回っている、夏だけれど日が沈んでもう夜だ。闇の中を車はびゅんびゅん走る、男性が時々、にこやかな笑顔で振り返って話しかけるから、運転は大丈夫なのかと不安になる、パリの人たちの運転は荒くて日本の高速よりずっと早く走る気がする。闇の中に次々と背の高い街灯が現れては後ろに消えていく、街灯の高さが日本より高い気がする。1990年。それから12年後、自分が病気で、パリでの勉強を活かした仕事を辞めることになるのをその時の私は知らない。PHSの基地が発信する電磁波で反応が起きて、半狂乱で逃げ回る日が来ることをその時の私は知らない。そしてそれから19年後、自分がくも膜下出血で倒れることをその時のTは知らない。
 病院で、今晩は携帯の電源を切らないで下さい、この病気で倒れた人の三分の一がその日の晩に息をひきとりますと医者に言われた。一晩寝ないで病気のことを調べて、8時15分に病院から電話が来た。急いで来て下さいとただそれだけ言って電話は切れた。危篤なんだと思った、隣の駅から病院まで歩いて10分だけれどそれをタクシーに乗った。死に目に会えるか会えないかの10分だと思ってタクシーに乗った。
闇の中に次々と背の高い街灯が現れては後ろに消えていく。
「ねえ、街灯の高さがさ、高くない?日本より」
「わかんない俺、車乗んないから」
二人で窓の外を見ていた。パリ市内はもうすぐだ。
                                          (了)

 

2017年9月3日日曜日

9月1日東京新聞朝刊の「発言」欄に載った投稿です。関東大震災の時の祖父の、朝鮮人虐殺に関連する体験談です。

2017年9月2日土曜日

今夜のご飯。非常に普通。ゴボウとニンジンの白ごまたっぷりきんぴら、キュウリとシラスの酢の物、冷や奴、そうめん。そうめんの薬味はみょうが。きんぴらと、そうめんのつゆは、一度に沢山つくって小分けにして冷凍しておいたもの。8年半前にTが大病してから、夜は動物性タンパク質をとらず軽くし、昼間しっかり食べるようになった。
庭の虫の声。アオマツムシとエンマコオロギだと思う。

2017年9月1日金曜日


昼食の準備をしていると、玄関の外からTが何やら大声で呼んでいる。

濡れた手を大慌てで拭いて出ていくと、

「蜂が蜘蛛さんを捕まえた、凄かったびびびびってやって動かなくなって今ほら引きずってる」

と言う。

しゃがんだTの視線の先を見ると、玄関のタイルの上を蜂が、自分の体より大きな蜘蛛を、すごい勢いで引きずっている。

「今そこで、びびびってつついて、すぐ動かなくなった。凄かったよ-。今離してやってももう駄目だろう。おのれーうちの大事な蜘蛛さんを」

5年前、今の家に引っ越したばかりの時、体長10センチはあるかと思われる大きな蜘蛛が三匹くらい、先住民?として住んでいた。夜中にトイレに行ったりすると遭遇し、最初は驚いたり怖がったりしたが、ネットで調べたところ、ゴキブリを食べてくれる有り難い蜘蛛だということがわかり、Tが感謝をこめて「蜘蛛さん」と名付けた。

私たちが住むようになってから、現れる蜘蛛のサイズは段々小さくなって、今では大きくても5~6㎝くらいの個体しか見かけなくなったが、この蜘蛛を見つけたら、踏んだり潰したりしないように気をつけながら暮らしている。時折、サッシや、お風呂場の扉に挟まれて亡くなった死骸を目にすると、「蜘蛛さんが挟まれて死んでた-」「なんだー気が付かなかったな-。意外ととろいからな」「事故死だねー残念だ」などと悔やみ、「蜘蛛さん」がいるのを見ると、「風呂場に蜘蛛さんがいるよー」「廊下に蜘蛛さんいるから気をつけて! 踏まないようにね」などと声をかけあっている。

その蜘蛛さんが、蜂に引きずられている。まだ生きているようで、足が少し動くが、抵抗する力はなくてただ、麻痺した足を少し動かしてみている、という程度だ。

「まだ死んでないね」

「殺さないよ。殺したら腐っちゃうからね。これベンジョバチって奴だな。やたら家の中に入りたがる奴」

「学校のトイレとかによくいた奴でしょ。でもあれ全部黒くなかった?これ、下がオレンジだよ」

蜂は黒い細長い蜂で、羽の先から出た胴体だけが鮮やかなオレンジ色をしている。それが、ものすごい勢いで、渾身の力をこめて、玄関のタイルが段になっている、その段の下の境目のところを、自分の体の三倍はあろうかと思われる大きさの蜘蛛さんを口にくわえてひきずっている。

「これ、巣に引きずりこんで卵産み付けるんだよ。青虫に産み付けるやつもいるけどこれは蜘蛛に産み付けるんだな。そんで卵が孵ったとき、餌にするんだ。動画撮る?」

「ええーなんで?」

Facebook出そうか」

「ええーだめだよこんな残酷な動画。こういうのはね、匿名でYouTube出すんだよそうするとみんな見るよ」

話している間にも蜂はずんずん引きずる。お尻を進む方向に向けて、後ずさりする形でずんずん引きずる。と、突然方向を垂直に変えて、段を上ろうとし始めた。蜘蛛に重力がかかって、真っ直ぐ引きずるよりも持ち上げるのは遙かに大変な作業のはずだ。

「持ち上げてるー。何でだろう」

段は10㎝くらいある。そこを必死で持ち上げる。見る間に上に上がって、上の段のタイルの上を、斜めに進んで行く。

「近道したんだ! 段の下をこう行くより、真っ直ぐだからだ」

玄関の前の段は、扉の前に長方形にタイルが積まれている。その下を行くと、直角三角形の二つの辺を移動する形になるが、上に上がってしまうとひとつの辺の分だけの移動で済む。どうやら蜂には行きたい場所がある。

「あっちだ。あっちに行きたいんだ。あっちに何かあるぞ」

玄関脇の壁のほうを見ながらTが言う。タイルの上は足が滑るらしく、蜂は六本の足をばたばたと空中に踊らせる。その姿が滑稽だが、それでもすごい勢いで蜘蛛を引きずっていく。見る間に段の端に辿り着くと、

「あっ」

蜘蛛をその場に置いて飛んだ。

 


 

放り出してしまったのか、と思ったが蜂は壁脇の水道の下まで行くとそのままUターンして戻ってきて、また蜘蛛を引きずり始めた。

「場所の確認したんだな。あの辺に巣があるぞ。水道の下の辺。穴ある?」

二人でわさわさと水道の下を見に行く。が、穴はない。流し台の下を覗きこむ。すると、

「あれっ。こんなとこに鉢がある」

土まみれになった鉢が、流し台を両脇で支えているブロックの間にある。

「Yさんの時からの鉢だね」

「なんでこんなとこに置いたんだろう」

「気が付かなかったね」

「捨てないとな。何の日だ?」

「不燃物」

などと言いながら鉢を引きずり出す。

今の家は、建てたYさんが二十年以上住んで、三年間空き家になっていた後、私たちが移り住んできた。引っ越し直後は、Yさん時代のものが沢山残っていた。最初に垣根を組んだ時の補助の丸太や、やはり補助の、ちょっと触れただけでパキンと割れてしまう竹垣、何に使ったのかわからないブロック、どこからか紛れ込んだ野球のボールなどを少しずつ処分してきたが、この鉢には気が付かなかった。直径がある割には丈の低い、新しい時はちょっと洒落たデザインに見えたかもしれない鉢だ。中には鹿沼土のような、白っぽい、粒の大きな土が縁まで入っている。鉢の中の土にも穴はない。

蜂は相変わらず蜘蛛を引きずる作業に専心している。が、タイルの端から水道までは蜂にとっては若干距離がある。少し時間がかかりそうだ。私は昼食の準備が気になってきた。

「私、ご飯つくろうかなあ。途中で来ちゃったから。Tはどうする?」

「俺もうちょっと見る」

蜂の上にしゃがみこんでいるから私だけ台所に戻る。

味噌汁の出汁をとって、茄子をころころ切って油揚げと一緒にだし汁に入れて煮立て、小松菜を茹でる。

10分以上経ってもまだTが入ってこないから見に行くと、Tは水道の下に屈み込んだ姿勢のままだ。

「どうなった?」

「鉢の中だった」

「えー鉢の中?」

「水道の下でうろうろしてるから鉢戻したら入った。最初うまく上れなくて困ってるから鉢傾けてやったら入った。今穴掘ってる。」

「穴掘ってんの?!」

「うん。ちきしょー生意気な蜂め。うちの大事な蜘蛛さんを獲るなんて生意気だ。」

Tは外の掃除をしてくれていた最中だから、作業着を着ている。その作業ズボンのお尻が、土で白く汚れている。どこかにぺったんと尻を突いて座っていたらしい。




 

 翌日、外の水道で如雨露に水を入れていて、蜂と鉢のことを思い出した。そうだ、蜂、どうなっただろう。鉢の土に、穴掘ってるって言ってたけど。穴空いてるかな。

流しの下を覗きこむと、蜂がプーンと勢い良く飛び出して来た。鉢は昨日見つけた時と同じ場所があって、そこから出てきた。思わず後ずさりする。蜂は飛び去らない。水道の周りを旋回している。刺されそうで、怖い。

如雨露はそのままにして、私は家に入った。

「昨日の蜂いたよ、覗きこんだらプーンって出てきた」

Tに言うと、

「あ、やっぱり? 俺もさっき覗いた。やっぱり出てきたよ蜂」

「行っちゃわないで、ぐるぐる回ってる。水道の周り」

「威嚇してんだろう。」

「卵あるからかな」

「守ってるんだろう。」

「来るな、って言ってるんだね」

 その後、鉢はずっと、流しの下に置いたままだ。

 二人とも、捨てない。

 覗きこみも、しない。