2017年9月1日金曜日


昼食の準備をしていると、玄関の外からTが何やら大声で呼んでいる。

濡れた手を大慌てで拭いて出ていくと、

「蜂が蜘蛛さんを捕まえた、凄かったびびびびってやって動かなくなって今ほら引きずってる」

と言う。

しゃがんだTの視線の先を見ると、玄関のタイルの上を蜂が、自分の体より大きな蜘蛛を、すごい勢いで引きずっている。

「今そこで、びびびってつついて、すぐ動かなくなった。凄かったよ-。今離してやってももう駄目だろう。おのれーうちの大事な蜘蛛さんを」

5年前、今の家に引っ越したばかりの時、体長10センチはあるかと思われる大きな蜘蛛が三匹くらい、先住民?として住んでいた。夜中にトイレに行ったりすると遭遇し、最初は驚いたり怖がったりしたが、ネットで調べたところ、ゴキブリを食べてくれる有り難い蜘蛛だということがわかり、Tが感謝をこめて「蜘蛛さん」と名付けた。

私たちが住むようになってから、現れる蜘蛛のサイズは段々小さくなって、今では大きくても5~6㎝くらいの個体しか見かけなくなったが、この蜘蛛を見つけたら、踏んだり潰したりしないように気をつけながら暮らしている。時折、サッシや、お風呂場の扉に挟まれて亡くなった死骸を目にすると、「蜘蛛さんが挟まれて死んでた-」「なんだー気が付かなかったな-。意外ととろいからな」「事故死だねー残念だ」などと悔やみ、「蜘蛛さん」がいるのを見ると、「風呂場に蜘蛛さんがいるよー」「廊下に蜘蛛さんいるから気をつけて! 踏まないようにね」などと声をかけあっている。

その蜘蛛さんが、蜂に引きずられている。まだ生きているようで、足が少し動くが、抵抗する力はなくてただ、麻痺した足を少し動かしてみている、という程度だ。

「まだ死んでないね」

「殺さないよ。殺したら腐っちゃうからね。これベンジョバチって奴だな。やたら家の中に入りたがる奴」

「学校のトイレとかによくいた奴でしょ。でもあれ全部黒くなかった?これ、下がオレンジだよ」

蜂は黒い細長い蜂で、羽の先から出た胴体だけが鮮やかなオレンジ色をしている。それが、ものすごい勢いで、渾身の力をこめて、玄関のタイルが段になっている、その段の下の境目のところを、自分の体の三倍はあろうかと思われる大きさの蜘蛛さんを口にくわえてひきずっている。

「これ、巣に引きずりこんで卵産み付けるんだよ。青虫に産み付けるやつもいるけどこれは蜘蛛に産み付けるんだな。そんで卵が孵ったとき、餌にするんだ。動画撮る?」

「ええーなんで?」

Facebook出そうか」

「ええーだめだよこんな残酷な動画。こういうのはね、匿名でYouTube出すんだよそうするとみんな見るよ」

話している間にも蜂はずんずん引きずる。お尻を進む方向に向けて、後ずさりする形でずんずん引きずる。と、突然方向を垂直に変えて、段を上ろうとし始めた。蜘蛛に重力がかかって、真っ直ぐ引きずるよりも持ち上げるのは遙かに大変な作業のはずだ。

「持ち上げてるー。何でだろう」

段は10㎝くらいある。そこを必死で持ち上げる。見る間に上に上がって、上の段のタイルの上を、斜めに進んで行く。

「近道したんだ! 段の下をこう行くより、真っ直ぐだからだ」

玄関の前の段は、扉の前に長方形にタイルが積まれている。その下を行くと、直角三角形の二つの辺を移動する形になるが、上に上がってしまうとひとつの辺の分だけの移動で済む。どうやら蜂には行きたい場所がある。

「あっちだ。あっちに行きたいんだ。あっちに何かあるぞ」

玄関脇の壁のほうを見ながらTが言う。タイルの上は足が滑るらしく、蜂は六本の足をばたばたと空中に踊らせる。その姿が滑稽だが、それでもすごい勢いで蜘蛛を引きずっていく。見る間に段の端に辿り着くと、

「あっ」

蜘蛛をその場に置いて飛んだ。

 


 

放り出してしまったのか、と思ったが蜂は壁脇の水道の下まで行くとそのままUターンして戻ってきて、また蜘蛛を引きずり始めた。

「場所の確認したんだな。あの辺に巣があるぞ。水道の下の辺。穴ある?」

二人でわさわさと水道の下を見に行く。が、穴はない。流し台の下を覗きこむ。すると、

「あれっ。こんなとこに鉢がある」

土まみれになった鉢が、流し台を両脇で支えているブロックの間にある。

「Yさんの時からの鉢だね」

「なんでこんなとこに置いたんだろう」

「気が付かなかったね」

「捨てないとな。何の日だ?」

「不燃物」

などと言いながら鉢を引きずり出す。

今の家は、建てたYさんが二十年以上住んで、三年間空き家になっていた後、私たちが移り住んできた。引っ越し直後は、Yさん時代のものが沢山残っていた。最初に垣根を組んだ時の補助の丸太や、やはり補助の、ちょっと触れただけでパキンと割れてしまう竹垣、何に使ったのかわからないブロック、どこからか紛れ込んだ野球のボールなどを少しずつ処分してきたが、この鉢には気が付かなかった。直径がある割には丈の低い、新しい時はちょっと洒落たデザインに見えたかもしれない鉢だ。中には鹿沼土のような、白っぽい、粒の大きな土が縁まで入っている。鉢の中の土にも穴はない。

蜂は相変わらず蜘蛛を引きずる作業に専心している。が、タイルの端から水道までは蜂にとっては若干距離がある。少し時間がかかりそうだ。私は昼食の準備が気になってきた。

「私、ご飯つくろうかなあ。途中で来ちゃったから。Tはどうする?」

「俺もうちょっと見る」

蜂の上にしゃがみこんでいるから私だけ台所に戻る。

味噌汁の出汁をとって、茄子をころころ切って油揚げと一緒にだし汁に入れて煮立て、小松菜を茹でる。

10分以上経ってもまだTが入ってこないから見に行くと、Tは水道の下に屈み込んだ姿勢のままだ。

「どうなった?」

「鉢の中だった」

「えー鉢の中?」

「水道の下でうろうろしてるから鉢戻したら入った。最初うまく上れなくて困ってるから鉢傾けてやったら入った。今穴掘ってる。」

「穴掘ってんの?!」

「うん。ちきしょー生意気な蜂め。うちの大事な蜘蛛さんを獲るなんて生意気だ。」

Tは外の掃除をしてくれていた最中だから、作業着を着ている。その作業ズボンのお尻が、土で白く汚れている。どこかにぺったんと尻を突いて座っていたらしい。




 

 翌日、外の水道で如雨露に水を入れていて、蜂と鉢のことを思い出した。そうだ、蜂、どうなっただろう。鉢の土に、穴掘ってるって言ってたけど。穴空いてるかな。

流しの下を覗きこむと、蜂がプーンと勢い良く飛び出して来た。鉢は昨日見つけた時と同じ場所があって、そこから出てきた。思わず後ずさりする。蜂は飛び去らない。水道の周りを旋回している。刺されそうで、怖い。

如雨露はそのままにして、私は家に入った。

「昨日の蜂いたよ、覗きこんだらプーンって出てきた」

Tに言うと、

「あ、やっぱり? 俺もさっき覗いた。やっぱり出てきたよ蜂」

「行っちゃわないで、ぐるぐる回ってる。水道の周り」

「威嚇してんだろう。」

「卵あるからかな」

「守ってるんだろう。」

「来るな、って言ってるんだね」

 その後、鉢はずっと、流しの下に置いたままだ。

 二人とも、捨てない。

 覗きこみも、しない。
 
 

 
 
 
 

 

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