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2019年2月6日水曜日

前橋にお住まいの詩人・新井啓子さん主宰の個人詩誌「かねこと 第15号」に、「軌跡」を掲載して頂きました。

前橋にお住まいの詩人・新井啓子さん主宰の個人詩誌「かねこと 第15号」に、「軌跡」を掲載して頂きました。「かねこと」、静謐でとても美しい詩誌です。「軌跡」は見開き2ページの作品。最近は、こんな感じで、少し長めの詩を書くことが多くなっています。

杉中昌樹さんの詩のペーパー「フローティング・ポイントvol.2」に、「波ー平均律第一巻第一番プレリュードに寄せて」が掲載されました

杉中昌樹さんの詩のペーパー「フローティング・ポイントvol.2」に、「波ー平均律第一巻第一番プレリュードに寄せて」が掲載されました。杉中さんのご承諾を得て、アップします。バッハの平均律第一巻第一番プレリュードの、一小節に一行が対応するようにしてイメージして書きました。


2018年12月13日木曜日

詩誌Down Beatのイベント「Down Beat フォーラム9」に参加してきました

ばたばたしていてアップが遅くなってしまいましたが、12月8日(土曜日)は、詩誌Down Beatのイベント「Down Beat フォーラム9」、引き続き同じ会場で平居謙さん主催の合評会、その後飲み会、と参加し、密度の濃い午後を過ごしてきました。

Down Beat のイベントは、同人の小川三郎さんと今鹿仙さんの新詩集刊行記念。お二人による朗読とトークのあと、平居謙さんを囲んでの座談会。他者との病理学的な関わりに深く迫る小川さんの『あかむらさき』、意味が生じる手前で逃走を続ける今鹿さんの『永遠にあかない缶詰として棚に並ぶ』についてとても刺激的で楽しいひととき。二人の詩集に触発されて書いたという平居謙さんの「カウンターポエム」詩編のパワーも凄かった。

 続く合評会は新しいメンバーも加わってこれも濃い時間、その後はDown Beatの皆さんと合流しての飲み会でした。とても楽しかった!


2018年12月3日月曜日

ポエトリー・イン・ダンジョンvol.1「直角はありません」に行ってきました!

一昨日(12月1日土曜日)、ポエトリー・イン・ダンジョンvol.1「直角はありません」(開催日12月1日~12月9日)に行ってきました! 非常にスリリングな時空で、猛烈に刺激されて帰ってきました。
田野倉康一さんの魅力的なバスのリーディングでオープン。沈黙の密度が濃い言水ヘリオさんの「リーディング」(言葉は一言も発せられないこの驚き!)の後、生野毅さんと秦真紀子さんのパフォーマンスに圧倒されました。詩と声と体の動きとで、時間と空間を自由自在に操る生野さんのパフォーマンスは必見です! 今回見逃した方は是非次の機会を逃さないで! 秦さんの、非常にゆっくりした動きのダンスも素晴らしくてその恍惚とした世界に呑み込まれてしまいました。
展示も素晴らしくて、川田夏子さんの、何もない空間に浮かぶ光を描いたような日本画作品には田野倉康一さんの漢詩が詩人自身の手によって薄墨で書かれ、その詩がそこに在ることによって、平面に描かれた絵画が立体的に立ち上がるかのよう。
広瀬大志さんの作品を織り込んだ、宇野和幸さんの作品も凄い迫力でした。地下室の壁一杯の大きさに、宇宙の音楽を感じさせるような作品。宇野さんがご自身で選んだという広瀬さんの詩句が絵の中で、絵と完全に一体化して息づいていました。
異ジャンル同士のコラボレーションが見事に開花した地下空間。実に、実に、刺激的!!

2018年11月27日火曜日

颯木あやこさんの朗読会「Pegasus ! vol.4」のトークゲストとして参加してきました

颯木あやこさんの朗読会「Pegasus ! vol.4」のトークゲストとして参加してきました。専門のヴェルレーヌ(19世紀フランスの詩人)について、日本語で読んでいるだけだとわからない彼の詩の革新性と破壊性について、原語での朗読も交えてお話しした後、私の最新詩集『私の知らない歌』から一部を朗読しました。ヴェルレーヌの詩について日本でまとまった話をしたのは今回が初めてで、颯木さんに貴重な機会を与えていただき、大変感謝いたしております。

朗読会は颯木さんのご朗読とピアノ、ダンス、ギターのコラボという贅沢な空間に身を置き、至福のひととき。昨年のvol.3をDVDとFBで拝見していたのですが、画面で見るのと実際に自分がその空間に身を置くのとは全く違う!と驚きました。朗読の声の響きに重層性があり、ふわっと包み込まれるような感覚がありました。作品の個性ごとに読み方も声も「間」も変化し、空間ががらっと変わるのも印象的でした。ピアノとギターの演奏も素晴らしく、またダンスは、セクシーでコケティッシュ、彫刻と同じで平面で見ているだけでは魅力が半減してしまうなと感じました。

詩と音楽の交響の中で、幸せなひとときを過ごしました。

颯木さん、本当にお世話になりました。有り難うございます!

2018年8月27日月曜日

横浜詩人会の『夏の日のジャズと詩の朗読の集い』に参加してきました。

昨日は横浜詩人会の『夏の日のジャズと詩の朗読の集い』(野毛のジャズスポット・ドルフィーにて)に参加してきました。私はセロニアス・モンクの「Round Midnight」を聴きながら書いた詩を朗読しました。
小室響さん(ピアノ)のトリオの演奏が素晴らしくて感動!! 詩の朗読と音楽とが余りにも合っているので不思議に思って舞台を見たら、朗読中の詩のテキストを読みながら演奏なさっているのです! 小室さんは六本木のalfieにも出演なさっている若手のホープみたいです!
 朗読される詩は担当理事の服部剛さんが冊子にしてご用意くださいました。
 服部さん、いろいろ本当に有り難うございました!!

朗読とジャズとの素晴らしいハーモニーを堪能した後は中華料理屋さんで円卓を囲んでの二次会。楽しかった!!
二次会が終わった後は連れ合いとランドマークタワーに行き、のんびりハーブティーを飲みました。

2018年8月14日火曜日

横浜詩人会の、「夏の日のジャズと詩の朗読の集い」に初参加します !

 8月26日、今年から会員になった横浜詩人会の、「夏の日のジャズと詩の朗読の集い」に初参加します! セロニアス・モンクの「'Round Midnight」を聴きながら書いた詩を読む予定でいます。「夏の日のジャズと詩の朗読の集い」は8月26日(日)午後1時30分開演、場所はJazz spot 「Dolphy」(桜木町・日の出町)です。

2018年8月6日月曜日

「丘のうえ工房ムジカ」のアンソロジー『E+motion2018』に参加しました

「丘のうえ工房ムジカ」のアンソロジー『E+motion2018』に参加しました。「霧が束になって…」他7篇の詩が掲載されています。
 アンソロジーは詩、俳句、短歌、絵画、書画、と、ジャンル横断でとても豪華。ぱらぱら眺めているだけでも楽しいです。

2018年7月31日火曜日

詩誌「エウメニデス」第56号に大木潤子の詩「行方」が掲載されています

詩誌「エウメニデス」第56号(小島きみ子さん編集発行)、先鋭な作品群。現代詩の醍醐味が味わえる充実した一冊になっています。ちなみに私も「行方」という作品を載せて頂いています。
 

2018年7月6日金曜日

柴田千晶さんが神奈川新聞に拙詩について書いてくださいました

昨日(7月5日)の神奈川新聞に、柴田千晶さんが拙詩「埋められた者が/埋められたまま/輝く」他五篇について、とても精緻な評を書いてくださいました。杉中昌樹さんの「ポスト戦後詩ノートvol.10 大木潤子特集」に寄せた詩です。とても嬉しいです。柴田千晶さん、有り難うございます!!
頂いた評と一緒に、「ポスト戦後詩ノート」の詩篇も再掲します。



2018年6月29日金曜日

第四詩集『私の知らない歌』(思潮社)がいよいよ刊行です!

第四詩集『私の知らない歌』(思潮社)がいよいよ出来上がります!
右側が余白ではありますが、約480ページに及ぶ大部の詩集になっています。
一昨日見本が刷り上がり、最初の一冊が昨日、次の五冊が今日届いたところです。
第三詩集『石の花』同様、今回も小田康之さんに、装幀に関してこちらの希望は一切申し上げず、ゼロからデザインして頂きました。
月のクレーターを思わせる凹凸のある特殊紙、本体背部の型押し(通常1.5㎜のところを3㎜の奥行きで型押しだそうです)、本文の用紙の手触りなど、非常に凝った意匠で、驚きました。...
素晴らしい装幀を頂き、感動しています。
今回は、印刷所に回った後で手直ししたくなって戻して頂くなど、小田さんには多々ご迷惑をおかけしてしまったのですが、いつもにこやかに、「最終的にいい形で詩集を出せることが一番大事」とおっしゃってくださって、どんなに心強かったかわかりません。
『現代詩手帖』に投稿していた時からのご縁で、投稿欄入選作を中心にまとめた第一詩集『鳩子ひとりがたり』から四冊すべて、小田康之さんに手がけて頂いています。
もう四半世紀にも及ぶ有り難いご縁。感謝の気持ちで一杯です。この場を借りて、小田さんに心から感謝を捧げたいです。





2018年5月30日水曜日

朝吹亮二さん特集号に寄稿しました


杉中昌樹さん編集発行の『ポスト戦後詩ノートvol.13』の、待ちに待った朝吹亮二さん特集が出来上がりました!! 充実の特集号!!
私は「『終焉と王国』その燦めきと深さと――言葉による、言葉の死の表記へーー」を寄稿しています。
二十代の時から心酔してきた朝吹亮二さん特集なので、心血注いで!!書きました。
杉中さんから、拙稿の、ネット上へのアップをご快諾頂いたので、スキャンしたものと、本文の両方をアップします。
20代~30代の頃はもっぱら『密室論』『opus』 が好きだったのですが、最近になって漸くその凄さが近く感じられるようになってきた『終焉と王国』を読み込み、『密室論』『opus』へと至る系譜の中に位置づける試みです。渾身の論考!! お読み頂けましたらとても嬉しいです。


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  『終焉と王国』その燦めきと深さと――言葉による、言葉の死の表記へ――               大木潤子                                         



 蒼穹を割る魚は銀に弾ね


これは、朝吹亮二さんの第一詩集『終焉と王国』に収められた最初の詩「ミノトールは碑文を抜け・・・」の中の一行である。この一行を読むだけでも、その美しさに、私の頭の中はくらくらする。
まず、「蒼穹」である。「青空」ではない。「蒼穹」の「穹」の字の中には「弓」がある。この「弓」のイメージが、アーチ状に広がる空を想像させる。無限に続く空ではなく、半球の内部に入って見上げるような感覚が、そこに生まれる。「蒼穹」という、硬質な漢語は空に硬い、鉱物質な光沢も与える。アーチ状に広がった、硬い空を「割る」。硬い空だから、割れる。粉々に割れて、細かい破片が落ちてくる、その時に反射する、無数の燦めきが見える。
「蒼穹を割る」のは誰か。「魚」である。その魚は「銀に弾ね」る。「弾ね」るのであって、「跳ね」るのではない。「弾丸」の「弾」が使われることで、「魚」は生きた弾丸となる。ここに海を表す語はないが、「魚は銀に弾ね」と読む時、私たちの頭の中には当然、海がイメージされる。魚の銀色が映える、濃紺の海。蒼穹の青より青い海の中から突如、銀の弾丸が現れ、二層の青の中を垂直に上がり、蒼穹を割る。魚の体が反射する銀の光と、割れた蒼穹の破片の青い光とが交錯する。
たった一行、十一文字が、これだけの豊かなイメージを内包している。これを、大学二年生の少年が書いたと知って、驚かない者はいないのではないだろうか。
私は若い頃、朝吹亮二さんの詩、特に『opus』と『密室論』を夢中で読んで、拙いながらも、影響を受けてきた。が、最近になって、第一詩集『終焉と王国』の美しさに魅了されるようになり、再読を重ねている。今回、『終焉と王国』について書きたいと思い、執筆時期などについて朝吹亮二さんに伺ったところ、 一九七九年に初詩集を出す際に、一九七二年、朝吹さんが大学二年生頃、初めて詩を書くようになった時から書き溜めたものを、序詩以外はほぼ執筆した順に配列して収録したのだそうだ。冒頭の詩である「ミノトールは碑文を抜け・・・」が書かれたのが大学二年生の時だというのは、間違いがないだろう。
『終焉と王国』の大きな魅力の一つは、「ミノトールは碑文を抜け・・・」の一行にも見られる、ダイナミックな移動の動きである。
あなた/私は、海底から突如、浮上した王国に立ち/断崖から空を裂いた(「夜、想像する…」(12))(注1)
砂漠は空を飛んでゆき/緑しげる丘にあわさる(「砂漠は空を飛んで…」(19))
きらら、氷河を飛翔していったのは一羽の/赤い線のような白鳥(「太陽がしたで黒く…」(25))
広大な空間を上に、水平に、或いは下方に切って移動するベクトルと、鮮やかな色彩の対照とが、若き詩人の第一詩集を、まばゆい燦めきで輝かせる。しかし多方向に渡るさまざまなベクトルの中で、特に注目したいのは、下方向へのベクトルである。「落ちる(おちる)」、「降る」、「くだる」といった、下方向への動きを示す語は非常に多く、動詞「沈む」が現れる頻度の高さは特に顕著である(注2)。
水晶に沈んでゆく、ゆるやかな/傾斜が始まる(「秋の都会の冷たい…」(11))
井戸は沈んでゆく遙か水銀の凍るまで(「沸騰して裏返った地表に…」(15))、
下方へ、下方へと向かう詩人の意識が辿り着くのは遙か地層の下に眠る鉱物たちであろうか。実際、『終焉と王国』の燦めきは、水晶の、水銀の、そして玻璃の、硝子の透明な輝きであり、一方でまた、石や砂、青銅や鉛の返す鈍い光でもある(注3)。
玻璃のように明るすぎる(「裏の寺の鐘はじつに不規則…」(14))
海の金属/青銅(「黒い麻、昏い…」(23))、
硝子、薄い氷河にかこわれつづけ(「獣よ急げ…」(35))、
地下へ、海底へと向かう意識(「花言葉は失われる地下へ降りてゆけば」「昏く、円盤の回転も遅く、地下へ降りてゆけば」(「花言葉は無音だから…」(22))、「海底に微光あふれ、」(「海底に微光あふれ、緑色に…」(21))は、今・ここではない遙か遠い時間、人間がまだ存在していなかった遠い過去へと遡っていく。詩人が「魚」と「鳥」を特に好むのは、それらの生き物の中に、人の知らない遠い時間が刻み込まれているからかもしれない。
薔薇のように蒼い羽をかくす女 /洋梨のように燃える、尾をかくす女/おまえは線の憂鬱のなかで/鳥類の奇形な跡をのこして/屹立する/時の黄金は、降りそそぐ血の雪に洗われ/女を魚の名へ還元する(「薔薇のように蒼い羽を…」(29))
地下へ、人類が存在していなかった遠い過去へと向かう詩人の意識は更に、かつて生命であったものが永い年月を経て鉱物と化した形態や、火の力によって炭化した形態を理想化しさえする。そしてそれは、人間であることをやめ、「こころをもた」ない存在になることへの希求と結びついている。「鳥」「木炭」「人型」という三つの単語は、あらゆる時期を通しての、朝吹詩を理解する上でのキーワードだと思うが、第一詩集において特に、「木炭」「石炭」が、あらゆる存在形態の中でのひとつの理想として立ち現れていることは特筆に値する。比較的早い時期に書かれたと考えられる「もはや不愉快な季節はない…」(16)では、「人のこころをもたず」「いっこの人の形だけにな」るところに「祝いもの」が現れ、その状態が木炭と石炭に比される(「どれほどの//木炭や石炭なのか」)。「木炭」と「石炭」は「もはや不愉快な季節はない…」とほぼ同時に書かれたと考えられる「誰れが聞く…」(18)の末尾にも現れ(「木炭と石炭//木炭と/石炭」)、最後から五つ目に配置された詩「最良の方法は眠った…」(36)では私たちは、「ひとになってはいけない、ひとに//[…]ひとよ、なぜ/木炭や石炭になれぬのか」という、驚くべき詩行に出会うのである。
 人間でなくなることへの希求は更に、人間だけが享受する「言語」の否定へ、そして言語が織る物語の否定へと、詩人を誘う。
 
 星々、風の銀河へ! 裂けよパピルス!(「わずかな喜びが持続して無に至る程の生のわ…」(28))
 とおくの空で漂っている意識を/室内で焚いてゆく、物語なく(「球形にもりあがった…」(37))
 岩石となれば/決してふたたび姿をかえる/コトハナイ(「おお溶岩…」(37))
「コトハナイ」の中に、「言葉ない」が隠れていることに注目したい。「石まがい」となり、「岩石」となりおおせた「獣のまま無機質な物体が/惑星に通底する」とき、「木炭/石炭は動か」ず、「その形のまま/どこまでもまっさおな/交信をつづけている」(「おお溶岩…」(37))。「どこまでもまっさおな交信」、これは「木炭/石炭」の、言語ではない言語、言語を超えた言語とは言えないだろうか。『終焉と王国』に「古代」という単語が現れるとき、この単語はだから、歴史学ではなく、地質学の文脈で使われており、人間のまだ存在しない太古の時を表している(注4)。そして「王国」は、言語と文字を司る人間の世界を示していると考えられないだろうか。
 『終焉と王国』。タイトルの始めに終わりがある(注5)。この詩集に漂うのは、言語の終わりを告げる鳥の、不吉な予感だ。
黒土に刻んだ文字は腐蝕し/鳥らのかたちを残したまま(「前紀より…」(25))
この予感はその後、第二詩集『封印せよ その額に』を経て、「ここに物語はない、物語の/名はない、さんざめく潮のみちひきのように/閉ざされるものも/ない」で終わる『opus』、「/ない/と響くのではなかった/か」で閉じられる『密室論』へと受け継がれ、言葉による言葉の死の表記へと展開されてゆく。既に語は『終焉と王国』において、語としての機能を脅かされ始めてはいなかったか。「とりもどす」がスラッシュで切断され「とり/もどす」となりそこに鳥の姿が現れ(「砂漠は空を飛んで…」(19))、「黄道」が「尿道」と韻を踏みおかしみと共に無意味が生まれ(「洋梨とは何の…」(20))、音と形の類似から「皿の縁」が「皿の血」を呼ぶ時(「一輪をくわえた鳥の…」(32))、シニフィアンは本来結びついていたシニフィエと断ち切られ、詩語の海の中を漂い始める。音と意味との断裂は将来、『opus』『密室論』における、平仮名のみで表記された、あるいは語群が単語の途中でスラッシュにより切断された詩篇の持つ危うさ、不吉さへと展開されていくだろう。「意味の半分はもうこちらのものではない意味の半分はすでに失われている意味の半分は消えかかりそれでもかすかにきりりぴりりぴきぴき蔓ののびちぢみ時間ののびちぢみひきのばされるもののなかでゆっくりとながれる性愛のあまい鳥語」(注6)は、第一詩集『終焉と王国』の中にその萌芽を見ることができるのである。
***注***
注1 以下、括弧内の数字は『現代詩文庫 朝吹亮二詩集』(思潮社)の参照頁を表す。
注2 「沈む」という動詞は次の詩行にも現れる:「都市ごと沈んでゆく横揺れから、鳥は飛びたち」(「序詩」(10))、「耐えがたいほど強度な音から吹いてくる風に沈んで/赤い、落下しながら楯をかまえている一個のアマンドもどき」(「洋梨とは何の…」(20))、「熱い不聞と錯綜した探索に沈んでゆく」(「花言葉は無音だから…」(22))「都市が真っ赤に沈めば」(「都市が真っ赤に焼ければ、碍子の…」(28))、「その豊穣へ石を抱いたまま沈み」(「百合が重く落ちれば…」(28))、「ひとつの凍りきった魚のような重力に/耐えかねて沈んでゆく」(「一輪をくわえた鳥の…」(32))(傍線大木)。
注3 鉱物質な光のイメージは次の詩行にも見ることができる。(「水晶に沈んでゆく」「白い砂をすぎてきた女の濡れたくちへ」「都市の硝子は停止」、(「秋の都会の冷たい…」(11))、「井戸は沈んでゆく遙か水銀の凍るまで」(「沸騰して裏返った地表に…」(15))、「時の白い雲母に覆われ、」「あらゆる硝子を砕いたように」(「棄てられた裏の…」)(15)、「腰よりも細い街路の硝子」(「花はそれゆえ速度に…」(22))、「水晶は/あくまで/幻想でしかなく」(「蓋をされた昏い日曜の…」(23))、「重い鉛の河は遠くで氾濫し」(「太陽がしたで黒く…」(25))、「水晶のような黄色の水泡のなかで髪を」(「祝いごと、祭りごと…」(29))、「硝子のように蒼くはない、でも」「水星、梨のような赤い/印象をあたえる水晶、よく笑う」(「おまえの氷河、指が燃えてしまう薄い瞼まで…」(30))、「石の白い砂」(「一輪をくわえた鳥の…」(32))、「火山にまつわる七色の硝石を埋め」(「始まりおわらない…」(39))
注4「都市の秋は古代の/海」(「秋の都会の冷たい…」(11))、「河に朝、鳥類の古代の跡がつけられる」(「黒い麻、昏い…」(23))、(「化石となれば、水脈、弾ね/速度の化石となろう/[ …]古代の/水を飲む」(「永いこと銀河の無音に耐え…」(35))、「風だけが古代の唄を/唄の形だけを刻んでいる」(「始まりおわらない…」(39)」
注5「始まりおわらない」「始まってはいてもつねに終わっている」「始まれば終わる」「終わりが始まろうとして/止まない」(「始まりおわらない…」(39))
注6『密室論』、七月堂、一九八一年、三十三頁





 
 

2017年12月23日土曜日

陶原葵さんの『帰、去来』(思潮社、4月29日刊)

 陶原葵さんの『帰、去来』(思潮社、4月29日刊)は、「私は今こういう言葉が読みたかった、こういう詩が読みたかった」と心の中で唱えながら読んだ。
 ある程度長い年月を生きて、数々の辛い経験が、生のままではなく、濾過されて、純度の高い言葉に結晶している、そういう美しさが心に沁みる。
  身なし貝 を 拾いに
       (「窟」)
...
 貝殻、ではなく、身なし貝、と言うことで、そこにないものが意識される。ないものを拾いにいくような徒労感。
  毎日 手おくれ気味に
  なにか 待っていたのだが
  おそらく
  大きな約束をわすれている
       
という四行が含まれている作品「柱」を終える次の三行は何度読んでも心をえぐる。
  煤けた虚に
  翅のない蝶
  眼をあけて
たった三行、十五文字の持つ力。
この詩行は、「著莪」の、
  鏡の裏に 階段をおりてくる痛みが映る
  展翅板に刺されたまま 発光する蛍よ
とも呼応している。この詩行も、凄絶な美しさだ。
 沈潜した徒労感、とも呼びたくなる独得の感覚は、次の詩行にも色濃く感じられる。
  石畳 すきまの土から
  錆びたものがいっせいに発芽している
        (「帰、去来」)
  かくしていた霧灰に洗われた
  家のおくには
  消えた線香が立って
         (「渕」)
 詩集の最後に収められた「20×5」からはしかし、絶望の中から、透明な光のようなものも射してくるのだった。
  透蚕の浄心 手の中につつみ
  なかそらにむけて
  ゆびをいっぽんずつ
  ひらいていく
  いつか記憶がほとびる
  そこからの綻びを待つ日
 

2017年12月15日金曜日

松尾真由美さんの『花章ーディベルティメント』(思潮社)

  2月20日発行、松尾真由美さんの「花章-ディベルティメント」(思潮社)。
とても好きな詩集で、携えて歩くことが多かったので、帯が少し擦れてしまった。特に好きなところにつけた付箋も、外すと後で困ってしまうから、そのままで写真を撮りました。新しい時に、写真を撮っておけば良かった。
   松尾さんの詩には私はいつも濃厚な官能性を感じるのだけれど、一方で諧謔もあったり、一筋縄ではいかない。今回の詩集は、官能性と同時に「死」を、そして、生から物(無機物)へと向かう動きとを感じた。

  後は散っていくだけの...
  花弁なのだから
  蛇のめまいのよう
  ここにいて
  石になる
   (「描ききれない溺者の譜」)


花弁の中に死が潜んでいて、しかし死ぬだけではなく、「石になる」、この不思議な行程。

  耳を澄ませば
  聞こえない内部の灰
   (「不分明な声の熱度」)

灰が死の隠喩もしくは換喩としてでだけでなく、灰という、生命を持たない物体としても立ち現れてくる。

  風が吹いて
  水はながれて
  漂流する小舟の形で
  来歴を消していく
   (「わずかに剥がれる逸話のように」)

来歴を消す、生命を持つ者としての、それまで持った時間を消す。その時やはり存在は無機物的になるのではないだろうか。

  無為の糧
  零となる日を
  差しだすことの
  それは晴れやかな
  異端の白い芯である
   (「葉群れのかすかな晶度へと」)

   無為、零。時間を遡行して、いなかったところに戻っていくような感覚がここにある。
   言葉もまた、松尾さんの詩の中では、貨幣のように、意味を乗せて流通する存在であることをやめて、音として、作品内で響き合う楽器として、闇の中でじっと目を見開く存在になるようだ。「ディヴェルティメント」という副題が示唆するように、室内楽を思わせるその響きは、音楽作品の構造のような造形性から、紙という平面から立ち上がる造形芸術のようにも感じられる。
  言葉が、記号としての生を一度死んで、触れることのできる、質感と奥行きを持ったマッス(塊)であるかのように存在し始める。そこに松尾さんの詩の官能性がある。官能とは何よりも、触れるところから始まる感覚だからだ。
 

2017年12月10日日曜日

平居謙さん主宰の詩の合評会「とりQ」に参加してきました

平居謙さん主宰の詩の合評会「とりQ」に参加して帰宅したところです。参加者11名、若い方も多くて、とても新鮮。ヴァーチャル空間が発達する中、こうして顔を合わせて、じっくり作品を読み合う時間が持てるのは貴重なことだと感じました。合評会の後は、忘年会。忘年会から参加した人もいて賑やかな夜でした。場所の確保、作品集の作成などなど、きめ細やかにお世話くださる平居謙さんにひたすら感謝。

2017年11月24日金曜日

八木幹夫さんと酒井弘司さんのトークイベントに行ってきました

昨日は古淵(横浜線で町田の隣の駅)のギャラリーベルジェでの、八木幹夫さんと俳人酒井弘司さんのトークを聴きに行ってきました。
「表現の衝動vol.Ⅱ 時代に向き合うとは・・・」という展示のスペシャルイベントで、工藤政秀さん、細谷玉江さんの作品、八木さんと酒井さんの自作直筆が展示されている中でのトーク。
「時代に向かうとは・・・」というサブタイトルの意味を考えさせられる深いトークでした。
八木さんは与謝野晶子、金子光晴、西脇順三郎の作品を論じた後最近作「さみしいゆめ」の朗読。最初に与謝野晶子自身による朗読の録音再生があり、短歌を、歌うように節をつけて読んでいるのが非常に面白かったです。
与謝野晶子「君死にたまふことなかれ」について、ただの反戦詩ではなくもっと情念につながったものである、金子光晴「寂しさの歌」についてもやはり単なる反戦詩ではなくもっと根本を突き詰めないと同じ事を繰り返すという警告があるというお話が印象に残りました。「さみしいゆめ」は私たちが生きている「今」が深く心に刺さってくる作品で、朗読が聴けて良かった!...
俳人の酒井さんのお話も、今私たちがどういう時代を生きているのかを、第2次世界大戦の戦前、戦時中、そして戦後に書かれた数々の俳句を通じて考えさせられ、非常に興奮して聴き入りました。西東三鬼の「右の眼に大河左の眼に騎兵」など、私にとっては一人では理解し難かったのですが、詳しい解説と共に聴けて、言葉にガーンと殴られるような経験をしました。
工藤政秀さんの作品は、普通のキャンバスは使わずモロッコで買った布を皺にしたあとご自身で枠に張ってそこにナイフなどで絵の具を塗っていった作品、木をバーナーで焼いた上に水性の絵の具で描いた作品など、繊細さと厳しさとに貫かれていて、どの作品もすごく良かったです。工藤さんの作品の上に八木さんがチョークで自作の詩を書いた作品の写真を、工藤さんのご了解を得てアップさせて頂きますが、ガラケーの写真で、細かい線や色合いが全く見えないのがとても残念なので是非工藤さんの公式HPをご覧下さい。いろいろな作品が観れます!
http://mkudo.org/index.html
トークのあとは懇親会、そして二次会と流れ、楽しかったです!
 


 
 

2017年11月3日金曜日

Lyric Jungle23号が刊行されました!

平居謙さん責任編集、ポップな表紙が印象的な詩誌「Lyric Jungle」23号が刊行されました! 年齢層の幅が広く、若い書き手も多い、パワー溢れる詩誌。今号から私も同人参加させて頂いています。「時間を裏返すための12の練習曲」連作の三回目です。このシリーズはもうしばらく書き続ける予定です。



 

2017年10月6日金曜日

クロコダイル朗読会、いよいよ明日です!

「クロコダイル朗読会」、いよいよ明日になりました!
私は「石の花」の117ページから最後までを読みます。
白い装幀に合わせて、白い服で読む予定です。
鈴を鳴らしたり、結構変わった読み方になると思います。
お時間ありましたら、是非お越し下さい!!

 

2017年8月26日土曜日

クロコダイル朗読会で朗読します

少し先になりますが、10月7日土曜日、第23回クロコダイル朗読会で朗読します。「石の花」の一部を読む予定です。場所は渋谷のライブハウス「クロコダイル」、JR渋谷駅から徒歩10分です。
豪華メンバーが揃う23回クロコダイル朗読会に、是非おいでください!!