2017年12月23日土曜日

陶原葵さんの『帰、去来』(思潮社、4月29日刊)

 陶原葵さんの『帰、去来』(思潮社、4月29日刊)は、「私は今こういう言葉が読みたかった、こういう詩が読みたかった」と心の中で唱えながら読んだ。
 ある程度長い年月を生きて、数々の辛い経験が、生のままではなく、濾過されて、純度の高い言葉に結晶している、そういう美しさが心に沁みる。
  身なし貝 を 拾いに
       (「窟」)
...
 貝殻、ではなく、身なし貝、と言うことで、そこにないものが意識される。ないものを拾いにいくような徒労感。
  毎日 手おくれ気味に
  なにか 待っていたのだが
  おそらく
  大きな約束をわすれている
       
という四行が含まれている作品「柱」を終える次の三行は何度読んでも心をえぐる。
  煤けた虚に
  翅のない蝶
  眼をあけて
たった三行、十五文字の持つ力。
この詩行は、「著莪」の、
  鏡の裏に 階段をおりてくる痛みが映る
  展翅板に刺されたまま 発光する蛍よ
とも呼応している。この詩行も、凄絶な美しさだ。
 沈潜した徒労感、とも呼びたくなる独得の感覚は、次の詩行にも色濃く感じられる。
  石畳 すきまの土から
  錆びたものがいっせいに発芽している
        (「帰、去来」)
  かくしていた霧灰に洗われた
  家のおくには
  消えた線香が立って
         (「渕」)
 詩集の最後に収められた「20×5」からはしかし、絶望の中から、透明な光のようなものも射してくるのだった。
  透蚕の浄心 手の中につつみ
  なかそらにむけて
  ゆびをいっぽんずつ
  ひらいていく
  いつか記憶がほとびる
  そこからの綻びを待つ日
 

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