2018年7月31日火曜日

詩誌「エウメニデス」第56号に大木潤子の詩「行方」が掲載されています

詩誌「エウメニデス」第56号(小島きみ子さん編集発行)、先鋭な作品群。現代詩の醍醐味が味わえる充実した一冊になっています。ちなみに私も「行方」という作品を載せて頂いています。
 

2018年7月29日日曜日

川トンボを奈良県桜井市で見た話

昨年9月の出来事です。

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 聖林寺の十一面観音を拝顔した帰り、山門に続く石段に出ようとしたところで、
「あ、とんぼ。」
 Tが言って、指差す方向を見たのだけれど、
「どこ? わかんない」
「そこ、南天のうしろ。ほら」
 言われた場所を見てもやはりわからない。
「珍しいとんぼだよ、やんまの仲間だと思うけど、うちの方にはいないやつ。ああ、見えなくなっちゃった」
 とんぼがいたという南天の木の後ろには塀があって、塀の向こう側が急な傾斜だから、三輪山から奈良市街までが、一望のもとに見渡せる。右側になだらかな三輪山、中央から左まではパノラマ状に遠く、すり鉢の底に並べたように小さく、ビルや家が見える。
 もう一度風景を眺めて、石段を降りていると、
「こないだね、川とんぼいたようちの庭に」
 とんでもない僥倖に遇ったという風に、背を丸くして、私の方にかがみ込んでTが言う。
「川とんぼ? 川ないのに?」
「血洗川だろう」
「あんなとこから来るの?」
「それくらいは飛ぶよ」
「どんなの?」
「羽も胴も黒くてね。蝶みたいにひらひら飛ぶんだ」
「あ、黒いの? それなら見たよ私も」
「庭で?」
「ううん、白岩神社の下」
「ええっ、ほんと? あんなとこで?」
「すごい珍しいとんぼだって思った。話そうって思って忘れてた」
「川とんぼって、羽が黒いやつだよ。そんで胴体が細いの」
「そうそう、羽黒くて細かった」
「ほんと? ほんとにいたのか川とんぼ白岩神社に? すごい珍しいぞそれ。普通川にしかいないんだからな。ほんとに羽黒かった?」
「うん、黒かった」
「胴体細かった?」
「うん、細かったよ」
 Tが余り興奮するので間違えると悪いなという気がしたけれど、たぶん大丈夫だろうと思ってそのまま話を続ける。
「何でいたんだろうね白岩神社なんかに。」
「うちより遠いからな血洗川から」
 自宅から三分位歩いたところに、血洗川という、物騒な名前の川がある。幅が二メートルもない、ごくごく細い川なのだけれど、両岸が鋭く削られていて、くさび形の深い溝のような川だ。たぶんそこに棲息しているとんぼがふらふらと遠出して、うちの庭に来たり、更に足を伸ばして----とんぼは歩いて移動するのではないからこの表現は適当ではないかもしれないが----、白岩神社で羽を休めたりしたのだろう。神社の下の、草むらの雑草の葉先に、そのとんぼは留まっていたのだった。羽の輪郭と、中に走る網の目状の線は黒く、それをオブラートのような、淡い灰色の薄い膜が覆っていて、繊細な羽だった。胴体も撚った糸のような細さで、華奢な姿が美しく、後で話そうと思っていて、すっかり忘れていた。
 山門をくぐり、石段を降りて坂道をくだってゆく。かろうじて舗装はされているものの、凹凸のある細い道で、両側は畑である。畑と道の境に、黄花コスモスが咲いている。聖林寺に毎年来るようになってもう八年になるが、来るたびに必ずこの花を見る。秋のこの時期に、来るからだろう。
 Tがくも膜下出血で倒れて、助かってから、もう、八年になるのだった。救急診察室に私だけ呼ばれて、三十パーセントの人が倒れて二十四時間以内に亡くなる、今夜は携帯の電源を切らずに、いつでも出られるようにしておいてください、と言われたのに、助かった。後遺症も出なかった。
 退院してしばらく経って、体力が回復してきた頃、聖林寺に行きたい、とTが言った。俺、大学三年生の時に、行ったんだ聖林寺。和辻哲郎の本にね、聖林寺の十一面観音が素晴らしいって書いてあって、見てみようと思って行ったんだ。
 大学三年で? 渋いねえ。
 何にも知らないからさ、自分に何にもないから、いいものはなるべく見ようって思って行ったんだな。
 一人で?
 うん、一人で。それで、ずーっと、座って見てたんだ、十一面観音。途中で誰も来なくてね。ずーっと一人で見てたんだ。
 退院してまだ数ヶ月しか経っていなくて一人旅は心配だったから、私も一緒に行くことになった。JRの桜井駅を降りて、二時間に一本しか来ないバスに乗り、街中を過ぎて、山の奥に入っていくと川のほとりにバス停があって、そこで降りた。小さな橋を渡って、田んぼの間の坂を上ってゆく。小さな盆地のような地形になっていて、すぐ近くで、山が囲んでいる。威圧感のない、稜線のなだらかな山である。くねくねと折れ曲がる細い道をさらに上って山門をくぐり、拝観料を払って境内に入ると、本尊のある部屋の脇から、山肌の上に階段がある。階段の両脇の壁は腰までの高さで、庭、と言うよりも、草木の生えた山肌に、宙吊りになったような階段である。右側には露出した土や岩、草や木が、手で触れられるくらい近くにあり、左側は視界が開けて遠く、とても小さく、奈良市街が見渡せる。
 階段を上り切る直前の壁に絵馬が沢山かかっていて、願い事の文字が目に入る。その上に、重い鉄の扉があって、開くと、ガラスの向こうに、見上げる高さで、十一面観音の立像があった。
 十畳ほどだろうか、観音像一体を配置するためだけの、小さな部屋なのだった。歩いている間は暑くて、汗だくになっていたが、部屋の中はひんやりしている。光を入れないために、入ったら扉を閉めるようにと書いた紙が扉の内側に貼ってあり、閉めると、薄暗い、しんとした空間であった。
 手を合わせて拝んで、しばらくの間、何も話さずにただ眺めていると、
 あそこで見てたんだよね、俺。
 部屋の隅を指して、Tが言う。
 あそこに座って、ずーっと見てたんだ。
 そんなに長くいたの?
 うん、何時間もいたと思うよ。
 また、しばらく、話さずに二人で眺めていて、少し経ってから、
 俺、ここの観音様が助けてくれたような気がするんだ。
 と、Tが言った。
 あの時、ずーっとここにいたのを覚えていてくれて、助けてくれたような気がするんだ。
  その後は、どちらからともなく、夏になると、桜井に行く、と、思うようになった。とても自然に、習慣になった。
 黄花コスモスの縁取る道を下ると、両側が田んぼになる。実り始めた稲が軽く頭を垂れて、田んぼ全体が黄色みの強い黄緑色だ。
「あ、とんぼ。」
 橋を渡ろうとしたところで、川の流れの中、転々と岩のあるところに、とんぼが数匹、ふわりふわりとやわらかい飛び方で群れている。
「さっきいたの、これ?」
「違う、これは川とんぼ。」
「うちの庭にいたってやつ?」
「そう、これだよ、川とんぼ。ちょっと、蝶みたいな飛び方するんだよね。留まる時に、羽閉じるの。蝶みたいでしょ? とんぼって、棒の先とか留まるけど、羽広げたままでしょ? でも閉じるんだよね、川とんぼは。」
 少し大きめの岩の周りを、数匹のとんぼはふわり、ふわり、と飛んでいて、時折岩に留まる。羽も、胴体も黒い。
 自宅近くの神社で私が見たのとは、ちょっと違う。私が見た黒いとんぼより、これは二回りくらい大きい。羽の色も、黒が遙かに濃い。さっき、神社で川とんぼを見た、と言ってしまったが、たぶん間違いだ、と思ったが、まずはカメラを取り出した。バスの時間が迫っているから、話していると写真を取り損なってしまいそうだった。シャッターを切る。とんぼはすぐ近くに見えるのに、写真に撮ると小さな点のようになってしまう。ズームにすると、画面がとんぼからずれてしまった。広い範囲が写るようにレバーを戻して、液晶画面を眺めながら、とんぼが画面から外れないように、少しずつズームにする。岩ととんぼが中央に来たところでシャッター、確認するとぼやけているから、再びシャッター、とんぼが岩から離れる、少し待って、また岩に留まるからもう一度シャッター、確認しないで次々シャッターを押すと、バスが来た。川の流れに沿った曲線の道を、高い方からゆっくりと近づいてきた。

 桜井の駅でバスを降りると、すぐ目の前に、韓国料理屋の看板が出ていた。参鶏湯や石窯ビビンバなど、料理の写真が載っている。夜は午後五時開店。ちょうど開いたところだ。お腹も空いていたし、迷わず入る。客はまだ誰もいない。真っ直ぐ進んで奥の席に座り、 ナムル、トッポギ、チヂミの他に、マッコリを二人で一杯頼む。くも膜下で倒れてから、Tはお酒をほとんど飲まないようにしているのだった。
 倒れる前は、うわばみみたいに飲む人だった。一人でワイン三本空けるのは止めた方がいいよ、と注意したことが何度もある。二本空けるのは当たり前だった。
 料理が運ばれてくるのを待ちながら、写真を見る。川とんぼを撮った一枚目には、水面だけが、ぼやけて写っている。二枚目からは、思ったより遙かに鮮明に川とんぼが写っていた。揺れる水面、岩、黒いとんぼ。グレーの濃淡だけだけれど、水面には光沢感があり、岩やとんぼの形が水の流れのゆるやかな濃淡に溶け込んでいて、抽象画のように見える。
「ねえ、私が神社で見たのって、このとんぼじゃなかったかも。羽が、もっと透明だった」
 写真を眺めながら、Tに言った。
「そんで、胴体ももっと細かった」
「え、どのくらい」
「これくらい」
 ごくごく細い胴体を、親指と人差し指でなぞるように宙に描く。
「大きさはどのくらいだった」
「これくらい」
 親指と人差し指の間を、五センチくらい空けて見せる。 
「なんだ、それ、糸とんぼだよ。一番よくいるやつだよ。川とんぼだって言うから珍しいと思って驚いたんだよ。糸とんぼだったらどこにでもいるよ」
 呆れたような声でTが言う。がっかりしたらしい。
「私はこないだ初めて見た」
「でもいるんだよ。羽、透明だったろ?」
「うん、羽に葉脈みたいのあるでしょ? あれは黒いんだけど、葉脈みたいなとこにかぶさってる薄いセロハンみたいなの、あれは透明だった」
「なんだあ。それ、正真正銘の糸とんぼだよ。あれは羽、黒いとは言わないよ透明だよ」
「でもこないだ買ったファイルのね、表紙のプラスチックに細い線が入ってて、その線だけが黒いの、間は透明なの、それブラックって書いてあったからさ」
 ナムルが運ばれてきて、皿を置いた店の人が、
「降って来ちゃいましたね」
 と言うので、カメラから顔を上げると、入り口のガラス扉の向こうがざあざあ降りで、白く見えるくらいだった。棒のような雨が殴りつけるように降って地面に当たり、跳ね返った雨滴が下から上へと、しぶきを上げている。
「ここ入ってて良かったな」
「入る前に降らなくて良かったね」
「傘、お持ちですか?」
「持ってます持ってます。有り難うございます」
「降る、って言ってた? 天気予報」
 携帯で奈良の予報を見ると、今日は一日中晴れになっている。
「当たってないじゃんね全然」
「夕立だな」
「上がるかな、ここ出るまでに」
「ここまでひどいと、駅行くだけでも大変だな」
「傘さしても濡れちゃうよね」
「待つんだな上がるまで」
「小降りになるといいね、やまなくても」
 扉のガラスの向こうは、滝のように真っ白だ。
 川とんぼ、どうしているだろう。
 バス停のそばの川の、岩の脇の草むらで、しんと雨宿りしているとんぼたちの、静かな羽の動きを思った。

2018年7月28日土曜日

道路に出て植木を切っているといろんな人に話しかけられる話


道路に出て植木を切っていると、知らない人から話しかけられることが、結構ある。
昨日は梅の枝の、びゅーんと長く伸びてしまったのを切っていると、
「こんにちは。」
これは、二年くらい前に初めて話しかけてきた女性で、今では少し顔見知りだ。植木を切っている時だけ話す。...
「便利なものがあるんですね」
高枝バサミのことだ。
「そう、でも結構重くてね、扱うのが大変で」
興味深そうにじっと見ているので、
「持ってみますか?」
渡すと、
「あら、本当だ、結構重い」
「ね、長く延ばすと重くなって、結構大変。だから今度思い切って枝切っちゃおうかなと思って」
「そうね、涼しくなったら」
「この辺で」と、今の高さの半分くらいを指して、「切っちゃおうかと思ってるんですよ」
「また、伸びるのよね梅は」
「やっぱりそうですか」
「すみませんね、続けて下さい、じゃあまた」
毎日できる限り歩くことにしている、ご主人が亡くなって、話す人もいなくて寂しいので散歩の途中でぽつぽつ、こんな感じで話す、と、最初に会った時言っていた女性だ。孫が発表会で、ドビュッシーの「月の光」を弾く、と聞いたこともある。
しばらくして、高く伸びた枝を切ろうとしていて、高枝バサミの先端でうまく挟めずにいると、
「なかなか命中しないわね」
振り向くと、今まで会ったことのない女性が立っている。70歳くらいだろうか。黒い犬と一緒だ。
「結構重さがあるんですよね。うまく挟めなくて」
「頼んでも、やってくれないのよね」
この辺りでは、昔からの腕のいい植木屋さんは新しいお客さんを受け付けていない。やっぱり、この女性も、植木屋さん探しに困っているんだな。
「そう、頼んでも、やってくれないんですよね」
「やってくれないのよ。そこのね、突き当たりが」
と、指で指して、
「長男の家なの。それで、頼んでるんだけど、時間ないって。やってくれないの。しょうがないから、自分でやらないといけないんだけど、大変で」
笑って、ふっと角度を変えて、長男の家とは反対の方向に、犬と一緒に歩いていった。
やっと歩けるようになったくらいの、小さな子の両親と話したこともある。
病気の垣根に、玄米黒酢の薄め液を撒いているところに歩いてきたので、
「すみません、これ、薬ではないので、お酢なので、心配ないです」
小さな子供を連れているから心配かなと思って言うと、
「あ、大丈夫です。お酢の匂いします」
二人で笑って言う。とてもセンスのよい着こなしをした、若いカップル。ファッション雑誌から、抜け出してきたよう。
「これね、大丈夫だからね」
手を引かれた子供にも話しかけると、私の方にどんどん近づいてくる。よちよち歩き。
ちょうど鋏を取りに中に入るところで、門の中に入ろうとすると、一緒に入ってきそうになって、
「あらあら」
お母さんがふわっと抱き上げた。
お父さんがすぐ横に寄り添って、二人の笑顔が眩しいくらいだった。

2018年7月27日金曜日

颯木あやこさんの朗読会、『Pegasus! vol.4』のトークゲストにお招き頂きました

颯木あやこさんの朗読会、『Pegasus! vol.4』(9月30日、高円寺Grain, 15:30開場、16:00スタート)のトークゲストとしてお招き頂くことになりました。
颯木さんご自身の詩の朗読とダンス、ギター、ピアノのコラボという、贅沢な朗読会。
トークでは、 新詩集『私の知らない歌』をご紹介頂いた後、上田敏の訳詞で有名なヴェルレーヌの「秋の歌」における、日本語で読んだ時はわからない前衛的な試みについてお話ししたいと思っています。
ちなみに、ヴェルレーヌの詩についての研究で私はパリ第三大学で博士号を取得、博士論文は数段階ある評価のうち、一番高い評価(Très honorable avec félicitation à l'unanimité du jury「審査員全員一致での『とても誉れある』、審査員からの祝福と共に)(←この評価の表現は直訳するとフレンチのメニューみたいでなんだか可笑しい)を頂き、フランス北部の出版社「Presses universitaires du Septentrion」から、「博士論文アラカルト」シリーズ(←これもメニューみたいで可笑しい)の一冊として出版されています。
https://catalog.princeton.edu/catalog/2432237



2018年7月23日月曜日

大明気功院の気功講習会に行ってきました

一昨日は大明気功院の講習会に二人で行ってきました。「夏季養生」の三回目。夏にどんなことをすると後々病気になるか、熱中症を防ぐには、などを気功の観点から勉強。
 講義の後は「大雁功」(64の型を続けて約5~10分でやる気功法)のレッスン。気功は体操とは違うから気をつけるところも体操とは違う。青島大明先生が情熱的に、しかも優しく教えてくださるのでとてもためになる! 
 講習会の後はみなとみらいのQueen's squareに行き、ゲウチャイのタイ料理で夕ご飯。安くて美味しい!

2018年7月22日日曜日

大木潤子の『私の知らない歌』(思潮社)について瀬崎祐さんがブログに書いてくださいました

大木潤子の『私の知らない歌』(思潮社)について、「[…] 言葉の引用だけではこの詩集の有り様を伝えることは出来ない。なぜなら、この詩集では、余白を読む、という行為も求められているからだ。あるいは頁を繰る動作そのものも含めて作品化されている、といってもいいのかもしれない […]」との嬉しい評を、瀬崎祐さんが、ブログ「瀬崎祐の本棚」に書いてくださいました。
とても嬉しいです。瀬崎さん、有り難うございます!
https://blog.goo.ne.jp/tak4088

2018年7月16日月曜日

「大磯便り」更新:今を去る6月28日、百舌鳥の大群が家の前にいて怖かった時の話

以下の文章をアップした後で、写真の鳥はムクドリではないかというご指摘を頂きました。黄色い嘴と黄色い脚、どうもムクドリのようです。ムクドリは日本全国どこにでも一年中いる鳥で、ムクドリを百舌鳥と勘違いして大騒ぎしていたようです。とんだ笑い話です。
以下は最初にアップしたままの文章です。

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 朝刊をとろうとして玄関を出ると、家の前を走る電線に、鳥が無数に群がっていた。烏よりは小さいが、雀に比べれば遙かに大きい鳥で、平行して二本三本と走っている電線の上にびっしり並んでいる上、留まる場所を探しているのか、電線の近くを忙しげに飛び回るのも何十羽といる。気持ちが悪い。大地震とかあるんじゃないか。
 新聞はとらずに、急いで玄関の中に戻り、
「ちょっと、廊下出て窓の外見て。すごい鳥。気持ち悪いよ」
 とTに声をかけるとすぐ返事があって、Tが二階の廊下に出る気配がして、
「ほんとだ。何だろう」
 Tもおかしいと思ったようだ。
「たぶん百舌鳥だと思うんだよ」
 昨日、ギャー、ギャー、と、鋭く鳴く声を聞いたのだ。晩秋ならいざ知らず、梅雨の真っ盛りという時期に百舌鳥の声が聞こえるのは変だと思っていたのだった。しかし昨日は一羽が鳴く声を一回聞いただけだったけれど、今日のこの数は何だろう。私も二階に上がって廊下の窓から見ると、電線に並んだ百舌鳥たちはいかにも、長旅の後やっと一休みできる、という風情で、片方の羽を持ち上げたり、首を百八十度後ろに向けたりして、体のあちこちにしきりに嘴を突っ込んで身繕いしている。これまでずっと、できなかった分を取り返そうとするかのようだ。やれやれ、やっとここまで来た、と言う百舌鳥の声が聞こえそうだ。
「写真撮れば」
 Tに言われて大急ぎでカメラを取りに下に行き、また上に上がる。急いでシャッターを押すと、電線の上に並んだ百舌鳥はとても小さくて、数も少なく見える。
これだと余り怖くない。たぶん、雀と見分けがつかなくなるからだろう。鳥の大きさがわかるように、ズームをかけて撮らないとだめだ。数は写らなくても電線の太さとの比較で、大きな鳥だとわかる。それを何枚も撮れば、事態の異様さが人にも伝わるだろう。
 ズームをかけて、一羽だけ撮ってみる。ねずみ色の冴えない色調、ぼさぼさした羽毛、やっぱり百舌鳥だ。電線の上の百舌鳥が一羽、梅雨空を背景にグレーの濃淡で撮れていて、なんだかどこかで見た絵だと思うと、そうだ、宮本武蔵の描いた水墨画だ。
今度は家のすぐ前の電柱の、碍子の上に並んでいる二羽にカメラを向ける。しきりに身繕いしていて、嘴を羽の中に突っ込んでいるから丸い塊になってしまって鳥なのか何なんかわからない。顔を上げた瞬間を狙ってシャッターを押す、撮れた。再生画面にして見ると、碍子の上の二羽が揃って右を向いている。
するとこれもなんだか、水墨画みたいだ。なんだか可笑しくなってきた。
 百舌鳥に飽きて部屋に戻り、パソコン画面を見ているTに、
「ねえ、見て。写真撮ったんだけどさ。水墨画みたいになっちゃう」
 見せるが、大して興味もなさそうに眺めてすぐまた、パソコン画面に戻ってしまう。
「なんかあったじゃんねこういうの、宮本武蔵? 百舌鳥だからさ、写真撮ると水墨画みたいになっちゃう、これも見て」
 二羽が同時に右を向いている写真も見せたがTはもうすっかり百舌鳥には興味がなくなってしまった様子だから、
「地震来るかもよ。東日本大震災の前にも来たんだよ百舌鳥」
 脅かすように言うまた少し興味を引かれたらしく、
「そんで、どのくらいで来た地震?」
 訊いてくる。
「百舌鳥来たのは夏。夏来たから変だと思ったの、普通秋じゃない百舌鳥来るのって? ギャーギャーって言うの聞こえるとさ、ああもう秋だなあって」
「晩秋だよな」
「もう、冬になるなあって感じするよね百舌鳥鳴くと」
「夏に百舌鳥が来てそんで翌年に地震じゃあ何にもわからないじゃん。そんなに時間空いちゃあ」
「でもさあなんかあるなって思うじゃん。家具固定したりとかできるじゃん」
「それじゃあだめだ、すぐ来るのがわかんなきゃあ予知にはならん」
「ここ来たっていうことはさ、元いたところが危ないってことだよね、元いたところに来るのかもね地震」
「どこいるんだ百舌鳥って夏」
「どこだろうねえ。晩秋にこっちくるんだから寒いところ? ここも、このままいれば安全ってことだろうけど、またいなくなったら危ないね。一休みしてるだけで、また行くかもねどっか」
「危ないなあー」
 適当に答えて、パソコン画面を眺めながらキーボードを叩いている。フェイスブックにでも写真を載せて、警告にしようと思ったのだったけれど、写真は水墨画みたいで迫力ないし、時間に幅がありすぎて予知には役立たないし、写真を載せてもデマを流すことにしかならないかもしれない、などと考えながら私は階段を降りて、玄関を出て朝刊を取りに行く。
 

2018年7月15日日曜日

平居謙さん主宰の合評会に参加してきました

昨日は平居謙さん主宰の合評会「とりQ」に参加してきました。合評会の後は神楽坂で納涼会。三時間近くみっちり詩を読み、詩について話し合い、お酒飲みながらも濃い詩の話、実に充実した時間でした。平居謙さん、有り難うございます!!

2018年7月13日金曜日

垣根の大手術終了!

今日は垣根の大手術、8回目。午後から夜暗くなるまで頑張って遂に!! 全体の丈を大幅に詰める作業が終わりました。
剪定の本を読んで、太い枝や幹の切り口には保護剤を塗るということを勉強しました。日本製の保護剤だと6ヶ月おきに塗り直さないとならないらしく、ドイツ製のだと2~3年おきでいいらしいので、ちょっと高かったけれどドイツ製の保護剤を使いました。頻度が5~6分の1になるので、お値段もそんなに変わらなくなるのかも。日本の製品も、もっと、長持ちするようになるといいのに・・・。
写真は今回さんざんお世話になった保護剤(2チューブ目)、今日切った切り口、保護剤を塗ったところ、この夏初めて見つけた蝉の抜け殻です。




2018年7月7日土曜日

江田浩司さんが「みらいらん」に『石の花』と連れ合いの『惑星のハウスダスト』について書いてくださいました

「みらいらん」夏号、江田浩司さんが連載「私の読んだ詩集のお話。Ⅱ」で、拙詩集『石の花』を、詩集の言葉の中に潜り込むようにして論じてくださっています。連れ合いの「惑星のハウスダスト」も、緻密に論じてくださり有り難い限りです。
とても嬉しいです!江田浩司さん、有り難うございます!



2018年7月6日金曜日

柴田千晶さんが神奈川新聞に拙詩について書いてくださいました

昨日(7月5日)の神奈川新聞に、柴田千晶さんが拙詩「埋められた者が/埋められたまま/輝く」他五篇について、とても精緻な評を書いてくださいました。杉中昌樹さんの「ポスト戦後詩ノートvol.10 大木潤子特集」に寄せた詩です。とても嬉しいです。柴田千晶さん、有り難うございます!!
頂いた評と一緒に、「ポスト戦後詩ノート」の詩篇も再掲します。



2018年7月2日月曜日

弦楽四重奏団Less is more のコンサートに行ってきました

昨日は珍しくコンサートに行ってきました!
Less is moreという、芸大出身の若いアーティストによる弦楽四重奏団。作曲家の多田泰教さんが、ご出身地の熊野の風景にインスピレーションを受けてつくった曲を中心に、時にピアノや鍵盤ハーモニカ、ハンドクラップも交えてのとても斬新なコンサートでした。ハンドクラップでの客席の参加もあり! 5拍子、7拍子、11拍子など、とにかく拍子が面白くて、それぞれの楽器が違う拍子で同時進行するのはさながらリズムの対位法。スリリングな時間を過ごしました。音色がふくよかで、柔らかで豊かな振動が体に響いてきて、生演奏の醍醐味を味わいました。次回、7月19日のチラシももらったのでアップしておきます♪