2017年12月23日土曜日

陶原葵さんの『帰、去来』(思潮社、4月29日刊)

 陶原葵さんの『帰、去来』(思潮社、4月29日刊)は、「私は今こういう言葉が読みたかった、こういう詩が読みたかった」と心の中で唱えながら読んだ。
 ある程度長い年月を生きて、数々の辛い経験が、生のままではなく、濾過されて、純度の高い言葉に結晶している、そういう美しさが心に沁みる。
  身なし貝 を 拾いに
       (「窟」)
...
 貝殻、ではなく、身なし貝、と言うことで、そこにないものが意識される。ないものを拾いにいくような徒労感。
  毎日 手おくれ気味に
  なにか 待っていたのだが
  おそらく
  大きな約束をわすれている
       
という四行が含まれている作品「柱」を終える次の三行は何度読んでも心をえぐる。
  煤けた虚に
  翅のない蝶
  眼をあけて
たった三行、十五文字の持つ力。
この詩行は、「著莪」の、
  鏡の裏に 階段をおりてくる痛みが映る
  展翅板に刺されたまま 発光する蛍よ
とも呼応している。この詩行も、凄絶な美しさだ。
 沈潜した徒労感、とも呼びたくなる独得の感覚は、次の詩行にも色濃く感じられる。
  石畳 すきまの土から
  錆びたものがいっせいに発芽している
        (「帰、去来」)
  かくしていた霧灰に洗われた
  家のおくには
  消えた線香が立って
         (「渕」)
 詩集の最後に収められた「20×5」からはしかし、絶望の中から、透明な光のようなものも射してくるのだった。
  透蚕の浄心 手の中につつみ
  なかそらにむけて
  ゆびをいっぽんずつ
  ひらいていく
  いつか記憶がほとびる
  そこからの綻びを待つ日
 

2017年12月19日火曜日

野菜くずのお出汁

ここ何ヶ月かハマってるのがこれ、「野菜くずのお出汁」。
 野菜くずを瓶に入れて、水につけて一日~二日置くだけ
 普段の出汁にこれをプラスするとすごく奥行きのある味のお味噌汁になるし、きんぴらにちょっと足すといつもより美味しいきんぴらになる!
 東京新聞の生活欄で紹介されていて、最初読んだ時は「ええ~野菜くずで? 貧乏くさいよ」と思ったのですが、翌日、野菜くずを捨てようとして「待てよ、美味しい出汁がとれるって書いてあったな・・・一度試してみるか」と、試したところ美味しくてびっくり!!
 以来毎日、野菜くずは捨てずに水に浸す習慣に。
 特に美味しく出るのが玉ねぎの皮、キャベツの芯、人参の頭や皮。
 良かったら、試してみてください♪

2017年12月18日月曜日

法橋太郎さん『永遠の塔』(思潮社)

   2月25日発行、法橋太郎さん『永遠の塔』(思潮社)。
帯に、『山上の舟』から18年とあって、感慨深かった。もうそんなに経ってしまったのか。『山上の舟』を読んだ時のずっしりした印象は今も変わらず私の中にあって、法橋さんが第二詩集を出されたことは、とても嬉しい出来事だった。
 『山上の舟』からの18年は、詩人にとって苦難に満ちた日々だったのではないだろうか。『永遠の塔』には、苦渋を舐め、深淵に迷った者からのみ発せられるような、深い叫びが聞こえてくる。神に見捨てられたと絶望しながらも、なおも神へと呼び掛ける声を私は聞く。その声は、何処ともしれぬ、不思議な場所から届く。      
...
  おれの見えないところで風が吹いた。その風
  がおれの身体を吹き抜けてゆくとき、古い時
  代の印刷機が湖に沈んでいった。
               (「風の記録」)

 風が吹き抜ける今と、湖に沈む印刷機が生きた「古い時代」とが、詩行の中で出逢う。時間を自在に往き来する感覚がここにある。

  永遠に過ぎ去るのは今だけか。身体の内と外
  は空気より透明な廃墟だ。宇宙が音を鳴らし
  た。水垣には藻が色づき、壊れた水車が、軋
  み廻った。少年のむしりとった草が水垣を流
  れ去った。
               (『永遠の塔』)

 宇宙の鳴らす音と、壊れた水車の軋む音ともまた、詩行の中で交響する。遠い音と近い音との共存は、空間をも自在に往き来する詩人の意識によってもたらされているのではないだろうか。

  荒川沿いの小径を歩きつづけた。足首を痛め
  たまま、二月のドラムカンに燃える火を見た。
  この世の最後かと思うような夕暮れのあと、
  夜が明けるまでの小径にいくつもの水たまり
  がいくつもの貌となって現れては消えた。朝
  には黒い雨が降った。
              (『自然の摂理』)

 荒川沿いという、現実の地名、「足首を痛めた」という、個人的な感覚から一気に、いつ、どことも知れぬ場所へと読者は連れ去られる。
 深淵へ深淵へと沈んだ力をばねにして、とてつもない広大な時空を一瞬にして移動する感覚がこの詩集にはある。そのスケールの大きさに圧倒される。
 今もFacebookで旺盛に作品を発表し続けている法橋さんの、次の詩集が今から楽しみだ。

2017年12月15日金曜日

松尾真由美さんの『花章ーディベルティメント』(思潮社)

  2月20日発行、松尾真由美さんの「花章-ディベルティメント」(思潮社)。
とても好きな詩集で、携えて歩くことが多かったので、帯が少し擦れてしまった。特に好きなところにつけた付箋も、外すと後で困ってしまうから、そのままで写真を撮りました。新しい時に、写真を撮っておけば良かった。
   松尾さんの詩には私はいつも濃厚な官能性を感じるのだけれど、一方で諧謔もあったり、一筋縄ではいかない。今回の詩集は、官能性と同時に「死」を、そして、生から物(無機物)へと向かう動きとを感じた。

  後は散っていくだけの...
  花弁なのだから
  蛇のめまいのよう
  ここにいて
  石になる
   (「描ききれない溺者の譜」)


花弁の中に死が潜んでいて、しかし死ぬだけではなく、「石になる」、この不思議な行程。

  耳を澄ませば
  聞こえない内部の灰
   (「不分明な声の熱度」)

灰が死の隠喩もしくは換喩としてでだけでなく、灰という、生命を持たない物体としても立ち現れてくる。

  風が吹いて
  水はながれて
  漂流する小舟の形で
  来歴を消していく
   (「わずかに剥がれる逸話のように」)

来歴を消す、生命を持つ者としての、それまで持った時間を消す。その時やはり存在は無機物的になるのではないだろうか。

  無為の糧
  零となる日を
  差しだすことの
  それは晴れやかな
  異端の白い芯である
   (「葉群れのかすかな晶度へと」)

   無為、零。時間を遡行して、いなかったところに戻っていくような感覚がここにある。
   言葉もまた、松尾さんの詩の中では、貨幣のように、意味を乗せて流通する存在であることをやめて、音として、作品内で響き合う楽器として、闇の中でじっと目を見開く存在になるようだ。「ディヴェルティメント」という副題が示唆するように、室内楽を思わせるその響きは、音楽作品の構造のような造形性から、紙という平面から立ち上がる造形芸術のようにも感じられる。
  言葉が、記号としての生を一度死んで、触れることのできる、質感と奥行きを持ったマッス(塊)であるかのように存在し始める。そこに松尾さんの詩の官能性がある。官能とは何よりも、触れるところから始まる感覚だからだ。
 

2017年12月13日水曜日

平田俊子さんの「低反発枕草子」(幻戯書房)

読んで印象に残った本を、FBで随時アップしていく予定でいたのだけど、今年は、冬は次から次へと心配事、春からは垣根の病気に追われ、アップできないままになってしまった。今もまだ垣根に時間がとられていて、一言ずつになってしまうけれど、本を通して今年の読書を振り返ってみたい。
 1月15日発行、平田俊子さんのエッセイ集「低反発枕草子」を読んだ時は次から次へと心配事が起きている真っ最中。その中で、この本にとても癒やされた。
 特に面白かったのが、日常の、本当に些細な出来事を書いた作品。レトルトカレーの注意書きの読み比べや、「アイツ」(ごきぶり)との格闘など、通常は文字にされないまま忘れ去られてしまうような小さな出来事が鮮やかに描かれている。中でも、底が濡れて染みが付いた宅配の段ボール、山手線のホームに落ちていた薄汚れたボールペンから始まる二篇には心を揺さぶられた。
 清少納言の枕草子も、「春はあけぼの」など、高校生の時に覚えさせられた美意識もさることながら、迷い込んでいた犬がいなくなってまた現れた、とか、花瓶の置き場所を変える、とか、極めて日常的なことを活写して、過去の瞬間が鮮やかに蘇る作品に私は特に心惹かれている。
 タイトルだけではなくて、書くという営みの中に、枕草子から脈々と引き継がれてきた随想のエッセンスを感じる本。
ちなみに、この本の中に、私が実名で登場しています、、、読んだ時は私もびっくり。
 

2017年12月10日日曜日

平居謙さん主宰の詩の合評会「とりQ」に参加してきました

平居謙さん主宰の詩の合評会「とりQ」に参加して帰宅したところです。参加者11名、若い方も多くて、とても新鮮。ヴァーチャル空間が発達する中、こうして顔を合わせて、じっくり作品を読み合う時間が持てるのは貴重なことだと感じました。合評会の後は、忘年会。忘年会から参加した人もいて賑やかな夜でした。場所の確保、作品集の作成などなど、きめ細やかにお世話くださる平居謙さんにひたすら感謝。

2017年12月7日木曜日

花椿賞の授賞パーティーに行ってきました

 今日は花椿賞の授賞パーティー(銀座資生堂にて)に出席してきました。ご受賞なさった井坂洋子さんの『七月のひと房』(栗売社)は今年読んだ多くの詩集の中でも特に強い衝撃を受けた一冊で、何度も繰り返し読みました。宇宙、そして輪廻と、非常に大きなスケールで命が描かれていることに深く心を揺さぶられました。ご受賞なさった井坂洋子さん、本当におめでとうございます!
 新橋から向かう途中、道に迷いました(お上りさん。苦笑)。玄人っぽい美しい女性に道を教えてもらいました。細い眉、すっとした佇まい、さすが銀座の美しさ!

2017年12月2日土曜日

同窓会

今日は大学時代所属していたサークルの同窓会へ。タイムスリップして楽しい時間を過ごしてきました。家にいると垣根の病気への対応に追われそればかり考えてしまうので、楽しい空白の時間を過ごせてリフレッシュ。往復の電車の中でいろいろ沢山書いた。

2017年11月30日木曜日

福田拓也の新詩集「倭人伝断片」(思潮社)が出来上がりました

連れ合い(福田拓也)の新詩集「倭人伝断片」(思潮社)が出来上がりました。ほやほやの二冊が昨日拙宅に届いたところです。
 本の大きさ以外は、彼からは一切希望を言わず、レイアウト、装幀、帯、すべて、小田康之さんにお任せして、つくって頂いています。
 私はパソコンでプリントアウトした時点での原稿も読んでいるのですが、活字の組み方と装幀で詩の内容自体がこんなにも違って見えるものかと驚いています。
 すごく静謐で重厚な空間を作っていただきました。
 この装幀は小田康之さんの作品だと感じています。...
 実は私の「石の花」も、装幀はやはり小田さんに、こちらの希望は全くお伝えしないでデザインして頂きました(本文レイアウトは自分でやっています)。あの白い装幀なしには「石の花」という詩集はなかった、と常々思っています。「石の花」の装幀も小田さんの作品だと感じています。
 小田康之さんに、心からお礼を申し上げたいです。



寒椿が綺麗です

近所の神社の参道で、寒椿が綺麗な季節になってきました。これから春まで次々咲いて目を楽しませてくれます。
少し暖かい地域を好むらしく、以前、千葉の北の方に住んでいた時は出会えなかった花です。
大磯町の町花だそうで、マンホールにも寒椿の花の絵が刻まれています。



 

2017年11月28日火曜日

カマキリの産卵

カマキリ苦手な方、写真ごめんなさい。
この前アップしたカマキリさん(たぶん)が産卵するところに出逢いました。
実は、最初に、百舌のハヤニエにされたカマキリを発見し・・・この前のカマキリさんがこんな姿になってしまったのかと心を痛めたのでした。が、連れあいが、この前のカマキリさんのテリトリーを探したところなんと! 産卵中の場面に出逢ったのでした。
発見したのが二時頃。五時近くなってもまだじっと生み続けてました。すごい集中力と忍耐力。
産卵中のカマキリを見たのは初めて。頭を下にして産むんですね。今年はカマキリの卵がどれも高いところにあります。ハヤニエも結構高いところ。この冬は大雪が降るのかな?

2017年11月27日月曜日

ミツバチくんのお掃除

玄関脇の外壁で日向ぼっこしていたミツバチくん。
せっせと足や羽を掃除しているのが可愛かった。

2017年11月25日土曜日

晩秋のカマキリ

カマキリ苦手な方、写真ごめんなさい。
例によって垣根の病葉除去作業中、変な形の葉っぱがあるな?何これ?と思ったらオオカマキリ!
日向ぼっこしていたみたいです。
お腹がぱんぱん。卵を産むのかな?
葉っぱを食べる害虫を食べてくれるので、カマキリはとても有り難いのです。...
寒いけど頑張って卵産んでね。

2017年11月24日金曜日

八木幹夫さんと酒井弘司さんのトークイベントに行ってきました

昨日は古淵(横浜線で町田の隣の駅)のギャラリーベルジェでの、八木幹夫さんと俳人酒井弘司さんのトークを聴きに行ってきました。
「表現の衝動vol.Ⅱ 時代に向き合うとは・・・」という展示のスペシャルイベントで、工藤政秀さん、細谷玉江さんの作品、八木さんと酒井さんの自作直筆が展示されている中でのトーク。
「時代に向かうとは・・・」というサブタイトルの意味を考えさせられる深いトークでした。
八木さんは与謝野晶子、金子光晴、西脇順三郎の作品を論じた後最近作「さみしいゆめ」の朗読。最初に与謝野晶子自身による朗読の録音再生があり、短歌を、歌うように節をつけて読んでいるのが非常に面白かったです。
与謝野晶子「君死にたまふことなかれ」について、ただの反戦詩ではなくもっと情念につながったものである、金子光晴「寂しさの歌」についてもやはり単なる反戦詩ではなくもっと根本を突き詰めないと同じ事を繰り返すという警告があるというお話が印象に残りました。「さみしいゆめ」は私たちが生きている「今」が深く心に刺さってくる作品で、朗読が聴けて良かった!...
俳人の酒井さんのお話も、今私たちがどういう時代を生きているのかを、第2次世界大戦の戦前、戦時中、そして戦後に書かれた数々の俳句を通じて考えさせられ、非常に興奮して聴き入りました。西東三鬼の「右の眼に大河左の眼に騎兵」など、私にとっては一人では理解し難かったのですが、詳しい解説と共に聴けて、言葉にガーンと殴られるような経験をしました。
工藤政秀さんの作品は、普通のキャンバスは使わずモロッコで買った布を皺にしたあとご自身で枠に張ってそこにナイフなどで絵の具を塗っていった作品、木をバーナーで焼いた上に水性の絵の具で描いた作品など、繊細さと厳しさとに貫かれていて、どの作品もすごく良かったです。工藤さんの作品の上に八木さんがチョークで自作の詩を書いた作品の写真を、工藤さんのご了解を得てアップさせて頂きますが、ガラケーの写真で、細かい線や色合いが全く見えないのがとても残念なので是非工藤さんの公式HPをご覧下さい。いろいろな作品が観れます!
http://mkudo.org/index.html
トークのあとは懇親会、そして二次会と流れ、楽しかったです!
 


 
 

2017年11月20日月曜日

ツェルニー30番7番 Carl Czerny Etudes de mécanisme op.849



総計23年半にわたるブランクののち再開したピアノ、半年後の録音その6(8月4日)。ツェルニー30番の7番。乱れる箇所あるもこの時点での限界と判断し見切りアップ。子供の頃愚かにも馬鹿に(!)していた「ドソミソ音型」は正確に美しく弾くのは実は非常に難しいとこの年にして納得。8月録音分はこれで終わり。


2017年11月15日水曜日

垣根が病気になったいきさつ。

相変わらず垣根のケアに追われ、間で少し外出(気功の講習会と気分転換のためのピアノ録音)、年末調整とかもあったり、今日、何日ぶりかでFBを開く。多方面に不義理がかさみ、洗濯物が沢山たまっている・・・。

 昨年の春に垣根の病気が出てから生活が一変してしまったなあと思う。発端は、いつも植木の剪定をお願いしていたSさんが、昨年春、何故かいつもと全く違う4月始めに突然現れて、新芽が出たばかりの垣根を刈り込みばさみでざくざく刈ってしまったことだった。

 新芽が出たばかりの時期には剪定してはいけないのは、素人の私でも知っていたので驚いて、「いつもより早いですよー。いつもは5月の終わりから7月ですよー」と耳元で叫んでも全く聞こえない。筆談しようかと思ったが、耳が聞こえないことを必死で隠しているSさんを傷つけてしまうと思って諦めてしまった。いつもは植木ばさみでチョンチョンと気持ちのいい音をたてて一本ずつ枝を切っていたのに、刈り込みばさみでざくざく刈るのも初めてだった。でも、止めないでそのまま切ってもらってしまった。その日の夕方、垣根は枝ごとだらんと力なく垂れて、今にも枯れそうなくらいに弱った。その後なんとか持ち直したものの、2ヶ月くらいして一斉に病気になった。それから後は、お酢や木酢、重曹を散布して良くなっても、ちょっと散布を怠るとすぐに重症になってしまう。

あの時、Sさんを止めていたら、と、何度後悔したかわからない。
Sさん、素晴らしい腕で、植木を愛していて、Sさんが切ると植木が喜んでいるのが伝わってきて、絶大な信頼を寄せていたのであった。でも、美空ひばりと同い年だというSさんに何か急な変化が起きていたことにあの時私は気が付かなかった。Sさんがやることだから何か特別な判断があるのかと思ってしまった。

 今は病気の枝を切っていると自然に剪定になってしまうから結局自分が植木屋さんになってしまっている(苦笑)。

2017年11月7日火曜日

オオカマキリの卵さん

相変わらず、垣根の病気のケアに追われています。病葉を完全に除去したと思う間もなく翌日にはまた、わわわっ、と病葉が・・・。そんな中で出会った、オオカマキリの卵さんです。太陽を浴びてきらきら光っていて、とても綺麗でした。かなり高い場所に産み付けられていたので、もしかしたらこの冬は大雪が降る?! 元気なカマキリさんに育ってね。
11月になったら、今年読んで心を動かされた詩集やエッセイ、小説などについて、ブログで紹介していきたいと思っていたのだけれど、垣根の病気で毎日時間をとられていて、まだ実現できずにいます。悲しい。

2017年11月4日土曜日

ヤモリの赤ちゃん

玄関前のタイルで日向ぼっこしていた、ヤモリの赤ちゃん。まるでゴムの玩具。私の小指より小さい。見つけた時はもっとリラックスして「べべ~」っとした姿勢だったけどカメラを向けたら緊張して硬くなってしまった。この後すたこら逃げていきました。

2017年11月3日金曜日

Lyric Jungle23号が刊行されました!

平居謙さん責任編集、ポップな表紙が印象的な詩誌「Lyric Jungle」23号が刊行されました! 年齢層の幅が広く、若い書き手も多い、パワー溢れる詩誌。今号から私も同人参加させて頂いています。「時間を裏返すための12の練習曲」連作の三回目です。このシリーズはもうしばらく書き続ける予定です。



 

2017年10月31日火曜日

詩とエッセイが仕上がる

長く続いた雨と、二週連続の台風で、夏の間元気になっていた垣根にまたもや病気が蔓延。ニンニク・唐辛子入り竹酢液、お酢散布、病気の枝と葉の除去追われる中、10月末締め切りの詩とエッセイがおおよそ仕上がり、ほっと一息。

2017年10月26日木曜日

ツェルニー30番6番



総計23年半のブランクの後再開したピアノ、奮闘の様子。前回アップした5番同様、8月4日に録音したツェルニー30番の6番。
録音とアップを繰り返すようになって、テンポが揺らがないことの難しさ、単純なメロディーでも右手と左手を完全に音を出すことの難しさを痛感するようになった。
ツェルニー30番は子供の頃つまらない曲としか思っていなかったけれど、森の中の鳥の声を思わせる可憐な曲が多いことにも気が付く。


2017年10月25日水曜日

ハートのマークを背中につけたカメムシくん

一昨日、台風一過の後、外回りを掃除していた時に出会ったカメムシくん。
なんと、背中にハートのマークが!!
カメムシは基本好きではないのですが、しかもおそらく垣根にとっては害虫だと思うのですが、ハートのマークにハートを射貫かれて、写真を撮ってしまいました。
調べるとまた、外来種がどうのこうのと、知りたくなかった事実を知ってしまうかもしれないので何も調べずにアップします(笑)。
ハートの温まるようなことがみなさまにありますように♪

2017年10月22日日曜日

衆議院選挙に投票してきました

投票してきました。軍需産業に儲けさせるために戦争する日本にならないよう、願いをこめて票を投じてきました。最高裁裁判官も今まで何をどう裁いてきた人たちかを調べた上で自分の考えを表明してきました。家を出てすぐに暴風雨状態になり、投票所までの10分の道のりが非常にきつかったけれど頑張って行ってきました。

2017年10月20日金曜日

豆乳卵豆腐をつくってみた

野菜セットに、注文した覚えがない豆乳が入っていたので問い合わせたところ、他の人の分を間違えて入れたとのことで、「どうぞ召し上がってください」と言われた。というわけで、豆乳卵豆腐をつくってみた。表面に泡が立ったので「す」が入ったか?!と心配したが、中は舌触り滑らか、美味しかった^^ 切り分ける手間を省くためにラムカンに入れてつくったら見た目が限りなくプリンで、プリンが食べたくなってしまった~。


2017年10月15日日曜日

Facebookで『石の花』朗読の再生回数300回突破!

【再生回数300回突破】クロコダイル朗読会での『石の花』朗読動画の再生回数が先程、300回を超えました! お忙しい中、お時間を割いて、視聴してくださったみなさまに、心からお礼申し上げます。
シェアしてくださったFBフレンドのみなさま、いいねしてくださったみなさまにも感謝!! 有り難うございます!!
https://www.facebook.com/junkookifukuda

YouTubeに投稿した動画を再度、ここに貼り付けておきます。こちらは再生回数そんなに多くないようです。
https://www.youtube.com/watch?v=AopRrKy20V8

2017年10月14日土曜日

ツェルニー30番5番



【ツェルニー30番の5番】
総計22年半になるブランクの後再開したピアノ、地道にツェルニー30番からやり直して半年、8月4日の録音。まだまだ指が弱い。左手の三連符と右手の16分・32分音符が微妙にずれるリズムの練習曲。子供の頃は何も思わなかったけれど、可憐な懐かしさに揺れる曲だ。過ぎてしまった幼年時代が記憶の中で揺れる。






2017年10月11日水曜日

庭でナナホシテントウムシと出会いました

今朝、庭で出会ったナナホシテントウムシ君。
気功しようと庭に出たら、草の上にいたので、踏んでしまわないように、垣根に移してやって、パチリ。
つやつやした赤い地に、大きめの黒の水玉模様。お洒落ですねえ。
テントウムシは、いても、ニホシとかニジュウヤホシとかが多くて、ずばりナナホシテントウに出会うのは結構珍しい。やっぱり可愛いな。

 
 

朗読の動画が再生回数200回を超えました

クロコダイル朗読会での『石の花』朗読、FBに直接アップした動画の再生回数が200回を超えました! 視聴してくださったみなさま、有り難うございます!

2017年10月8日日曜日

第23回クロコダイル朗読会で『石の花』を朗読してきました



昨日(10月7日)、第23回クロコダイル朗読会に参加してきました。
ご来場くださった皆様、主宰の浜江順子さま、本当に有り難うございます!!
私は第三詩集『石の花』(2016年思潮社刊)の、117ページから最後までを読みました。
最初と最後に神楽鈴を振り、マイク無しで朗読しました。
詩も歌も生まれる前の原初の声をイメージして読みました。
音程が少しずつずれていくのは意図したものです。
10年ほど前、梅若紀彰先生に習った能の影響ももあるかもしれません。
一人当たりの持ち時間が10分で、カラオケで練習したときは9分~11分だったのですが、本番では緊張したらしく早めに読んだようで、7分程度で終わってしまいました。。。調整、難しいですね。




2017年10月6日金曜日

クロコダイル朗読会、いよいよ明日です!

「クロコダイル朗読会」、いよいよ明日になりました!
私は「石の花」の117ページから最後までを読みます。
白い装幀に合わせて、白い服で読む予定です。
鈴を鳴らしたり、結構変わった読み方になると思います。
お時間ありましたら、是非お越し下さい!!

 

2017年10月1日日曜日

ツェルニー30番3番

25年のブランク(途中で2年半ほど弾いた時期あり)の後、再開後半年の録音(8月4日)。前回に続きツェルニー30番の今度は3番。なかなか練習の時間がとれないけど、今も毎日少しでも弾くようにしています。


2017年9月30日土曜日

クロコダイル朗読会、一週間後に迫りました!!

クロコダイル朗読会まであと一週間になりました!
10月7日土曜日、午後1時開演です(開場は午後12時30分、終了午後3時40分)。入場料2000円、ワンドリンク付きです。
私は「石の花」(2016年思潮社刊)117ページから最後までを読む(謡う?)(歌う?)予定です。神楽鈴も鳴らします♪
みなさまお忙しいことと存じますが、お時間ありましたら、おみ足お運び頂けましたら嬉しいです!!

 

2017年9月25日月曜日

来客があり、南仏風牛肉のワイン煮込みをつくりました

昨日は来客があり、一昨日から準備に専念。
メニューは
アミューズ:カシューナッツとアーモンド


 オードブル:自家製パンと豚肉のリエット


 スープ:マッシュルームと玉ねぎのポタージュ...

メイン:南仏風牛肉の煮込み


 サラダ:リーフレタス、フレッシュバジルのジェノベーゼドレッシングあえ
チーズ:ブリー、カマンベール、山羊のフレッシュチーズ蜂蜜入り
デザート:チョコレートのガレット


 でした。
ワインはモエエシャンドンのシャンパーニュ、2015年のメドック。お客様がほとんどお酒を飲めない方で、飲むのはほぼ私一人という状況だったのでシャンパーニュはミニボトル、ワインはハーフボトル。


メインとスープは前日に下ごしらえし、パンはオードブルに使う角パンは前日焼いて冷凍、丸いパンとガレットは当日つくりました。
今回はちょうど横浜に行く機会があったのでチーズとワインは横浜そごうで購入。赤ワインのハーフボトルはこれしかなかったので「大丈夫かなあ」と思いつつ買いましたがとても美味しかった!
シャンパーニュも小さいボトルはやはりこれしかなかったので「Veuve cliquotないのか~がっかりだな~」とか思いながら購入したところ蜂蜜みたいな味わいでこれも美味しかった!
チーズ、ワイン共に、横浜そごうは満足度高し!の結論。
牛肉の煮込みは今を去ること25年以上前、南仏旅行した時入った、地元の人で賑わっていたビストロで食べた味を再現?したもの。人参が牛肉とほぼ同量入るのが特徴。ベーコンも入ります。日本に帰ってからはこの料理に合う部位の牛肉が手に入りにくく、つくれない時期が続いていたのですが最近代用できる部位を販売している店を見つけたのでまた作れるようになりました。でも本来使うgiteという部位に較べると赤身が強くて、ぱさつきやすく、煮込むとき神経を使います。
6時間くらいかけていろいろおしゃべりしながらゆっくり頂きいました。途中、サラダとチーズの間に、万葉集にも歌われているこゆるぎの浜を散歩。


アミューズのナッツを載せたお皿は、やはり25年以上前、フランス人のご夫妻から頂いたものでGien焼。宝物です。

2017年9月22日金曜日

ツェルニー30番2番



25年のブランク(途中2年半ほど弾いた時期あり、この前20年と書いたけれど25年だった)の後再開したピアノ。指に無理かけないように、思い切り戻って復習しているツェルニー30番の2番。子供の頃ツェルニーはつまらないとしか思っていなかった。でもこの年齢で弾いてみると可憐な美しさに満ちた曲。子供にはわからない渋い美しさなのかもしれない。8月4日に録音。左手の三連符を正確に弾くのが非常に難しい。ところどころ不揃いに。苦笑




2017年9月20日水曜日

龍安寺石庭の写真その4

龍安寺石庭の写真その4,これで終わり。石庭について、連れ合いいわく、「石だけど水紋があってそこに海を見させる、石は海の隠喩だからこの庭は詩だ」「石であると同時に海、海であるが石が消え去ることもない、石と海との間の絶えざるva-et-vient(往き来)。」私が面白がると「こんなのみんなが言うことだと思う」と言って笑ってたけど私には刺激になった。石庭をきっかけに、新しい連作を書き始める。今同時並行で連作3つ進行中。





龍安寺石庭の写真その3

龍安寺石庭の写真その3。白砂の上の影と、そこから音叉の「ラ」の音が聞こえるように感じた、庭左方の小さな石。





2017年9月19日火曜日

龍安寺石庭の写真その2

長い間座っていたら、石庭を囲む土塀際の木々が、白砂の上に影を落とすようになった。