2018年12月31日月曜日

手作り?年越し蕎麦!

「ヌードルメーカー」なるものを3年前に買ったのだけど、作るのも後始末も結構大変で、一度使ったきり押し入れに入っていたのを引っ張り出し、再度挑戦。「製麺機能」(小さな穴が沢山開いているところから麺がにゅるにゅる出てくる)を使うと却って面倒だと学んだので、今回はこねるのが終わったところで取り出して、自分で伸ばして包丁で切ってみました。伸ばしたのを二つ折りにして切ったところ、折り返した生地同士でくっついてしまい、蕎麦とは呼べないような見た目になりました(苦笑)が、歯ごたえ、味わい、香りともに秀逸なお蕎麦(と呼べるかどうか微妙)になりました。連れ合いの職場の方から頂いた美味しいお酒と一緒に年越し。
皆様、今年も大変お世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。皆様にとって、来る年が、素晴らしい年になりますように。



2018年12月20日木曜日

『新潮』1月号、山下澄人さんの「FICTION 01」に感動しました

『新潮』一月号、山下澄人さんの『FICTION 01』に深い感動を覚え、また非常に刺激も受けました。

夢と現実、夢と夢、地の文の語りと登場人物の語りとの境界がさながら、絵の具が乾ききる前に重ね塗りした水彩絵の具のように曖昧になり、溶け合い、渾然とする独自のエクリチュールの中から、
生の侘しさが切々と胸に迫ってきます。

最後の、「オギタ」の長いモノローグからは、この文体でやがて
長編作品が産み出されようとしている胎動も感じられて刺激的です。『新潮』一月号、現在販売中なのでご一読をお勧めします!


2018年12月13日木曜日

詩誌Down Beatのイベント「Down Beat フォーラム9」に参加してきました

ばたばたしていてアップが遅くなってしまいましたが、12月8日(土曜日)は、詩誌Down Beatのイベント「Down Beat フォーラム9」、引き続き同じ会場で平居謙さん主催の合評会、その後飲み会、と参加し、密度の濃い午後を過ごしてきました。

Down Beat のイベントは、同人の小川三郎さんと今鹿仙さんの新詩集刊行記念。お二人による朗読とトークのあと、平居謙さんを囲んでの座談会。他者との病理学的な関わりに深く迫る小川さんの『あかむらさき』、意味が生じる手前で逃走を続ける今鹿さんの『永遠にあかない缶詰として棚に並ぶ』についてとても刺激的で楽しいひととき。二人の詩集に触発されて書いたという平居謙さんの「カウンターポエム」詩編のパワーも凄かった。

 続く合評会は新しいメンバーも加わってこれも濃い時間、その後はDown Beatの皆さんと合流しての飲み会でした。とても楽しかった!


2018年12月3日月曜日

大木潤子第四詩集『私の知らない歌』(思潮社刊)トークと朗読



颯木あやこさんの朗読会「Pegasus! vol.4」にトークゲストとしてお招き頂き、後半で第四詩集『私の知らない歌』(思潮社)についてお話しし、朗読した時の動画をYouTubeにアップしました。
颯木さんが、第三詩集『石の花』(思潮社)での作風の激変についてご紹介して下さり、その後で『私の知らない歌』121ページを朗読(朗唱?)しました。朗読は動画の3分50秒~5分35秒です。

大木潤子トーク・詩人ポール・ヴェルレーヌの革新性について


颯木あやこさんの朗読会「Pegasus! vol.4」にトークゲストとしてお招き頂き、パリ第三大学で博士論文の対象とした19世紀フランスの詩人ポール・ヴェルレーヌについて話した時の動画をYouTubeにアップしました。原語のフランス語で読まないとわからない、詩法の革新者としてのヴェルレーヌ像をご紹介しています。
1)颯木あやこさんによる、上田敏訳「秋の歌」の朗読
2)フランスの伝統詩型アレクサンドラン(1行が6音綴+6音綴=12音綴)の紹介
3)9音綴で書かれたヴェルレーヌの「詩法」の紹介
4)ヴェルレーヌの奇数脚(一行あたりの音綴が奇数)作品の軽さ、空白について。煙、霧のイメージについて...
5)音楽性が追求されることで言葉の意味作用が侵食されることについて
6)「秋の歌」における音楽性、子音「l」の多様を会場のみなさんに耳で確認していただく体験
7)ヴェルレーヌの「秋の歌」を私が原語のフランス語で朗読

ポエトリー・イン・ダンジョンvol.1「直角はありません」に行ってきました!

一昨日(12月1日土曜日)、ポエトリー・イン・ダンジョンvol.1「直角はありません」(開催日12月1日~12月9日)に行ってきました! 非常にスリリングな時空で、猛烈に刺激されて帰ってきました。
田野倉康一さんの魅力的なバスのリーディングでオープン。沈黙の密度が濃い言水ヘリオさんの「リーディング」(言葉は一言も発せられないこの驚き!)の後、生野毅さんと秦真紀子さんのパフォーマンスに圧倒されました。詩と声と体の動きとで、時間と空間を自由自在に操る生野さんのパフォーマンスは必見です! 今回見逃した方は是非次の機会を逃さないで! 秦さんの、非常にゆっくりした動きのダンスも素晴らしくてその恍惚とした世界に呑み込まれてしまいました。
展示も素晴らしくて、川田夏子さんの、何もない空間に浮かぶ光を描いたような日本画作品には田野倉康一さんの漢詩が詩人自身の手によって薄墨で書かれ、その詩がそこに在ることによって、平面に描かれた絵画が立体的に立ち上がるかのよう。
広瀬大志さんの作品を織り込んだ、宇野和幸さんの作品も凄い迫力でした。地下室の壁一杯の大きさに、宇宙の音楽を感じさせるような作品。宇野さんがご自身で選んだという広瀬さんの詩句が絵の中で、絵と完全に一体化して息づいていました。
異ジャンル同士のコラボレーションが見事に開花した地下空間。実に、実に、刺激的!!

2018年11月27日火曜日

颯木あやこさんの朗読会「Pegasus ! vol.4」のトークゲストとして参加してきました

颯木あやこさんの朗読会「Pegasus ! vol.4」のトークゲストとして参加してきました。専門のヴェルレーヌ(19世紀フランスの詩人)について、日本語で読んでいるだけだとわからない彼の詩の革新性と破壊性について、原語での朗読も交えてお話しした後、私の最新詩集『私の知らない歌』から一部を朗読しました。ヴェルレーヌの詩について日本でまとまった話をしたのは今回が初めてで、颯木さんに貴重な機会を与えていただき、大変感謝いたしております。

朗読会は颯木さんのご朗読とピアノ、ダンス、ギターのコラボという贅沢な空間に身を置き、至福のひととき。昨年のvol.3をDVDとFBで拝見していたのですが、画面で見るのと実際に自分がその空間に身を置くのとは全く違う!と驚きました。朗読の声の響きに重層性があり、ふわっと包み込まれるような感覚がありました。作品の個性ごとに読み方も声も「間」も変化し、空間ががらっと変わるのも印象的でした。ピアノとギターの演奏も素晴らしく、またダンスは、セクシーでコケティッシュ、彫刻と同じで平面で見ているだけでは魅力が半減してしまうなと感じました。

詩と音楽の交響の中で、幸せなひとときを過ごしました。

颯木さん、本当にお世話になりました。有り難うございます!

2018年11月21日水曜日

平田俊子さんの「猫の皿・二枚目」(MONKEYvol.16)がとても面白かった!

翻訳家の柴田元幸さん編集の文芸誌「MONKEY」vol.16(特集・カバーの1ダース)に掲載されている、平田俊子さんの「猫の皿・二枚目」がとても面白かった。詩、小説、短歌、俳句、、、と、文学にはそれぞれのジャンル独自のディスクールがあるが、落語にも独自のディスクールがあることに、「猫の皿・二枚目」を読みながら、気づかされた。落語のディスクールを逆手にとりながら現代風にアレンジして、新しいディスクールを生み出す平田さんの手腕と筆力が凄い。

2018年11月12日月曜日

連れ合いの福田拓也が受賞した歴程賞授賞式が無事終了しました


お蔭様で、一昨日、連れ合いの福田拓也が、『倭人伝断片』(思潮社)と『惑星のハウスダスト』(水声社)の二冊で、岩木誠一郎さんと二人同時に授賞して頂いた、歴程賞授賞式が無事終了しました。
選考委員のみなさま始め、式の準備、運営をしてくださった歴程同人のみなさまには本当にお世話になりました。
応援スピーチをしてくださった作家の保坂和志さん、乾杯の音頭をとってくださった田野倉康一さんにもこの場を借りて感謝致します。
お忙しい中、沢山の方にいらして頂き、みなさまへの感謝の気持ちで一杯です。
10年近く前、連れ合いはくも膜下出血で倒れて、その後数年は傍らの私もはらはらし通しでしたが、一昨日のような日を迎えることができて感慨無量でした。...
「隔山止血」という功法を用いて、手術なしでの退院という奇跡をかなえてくださった、気功師の青島大明先生にも、この場を借りて改めてお礼を申し上げます。
 
 

2018年11月9日金曜日

バッハ平均律第一巻4番フーガ自演, BachーThe Well-Tempered Clavier Part1 no.4 Fugue

総計23年半に及ぶブランクの後再開したピアノ、再開後1年3ヶ月くらいの時の録音(5月18日)、バッハ平均律第一巻第4番フーガ。この前アップした4番のプレリュードと同じ日の録音です。テンポがゆっくりな曲という理由で選んだのが大間違いでとんでもなく複雑な構成、そして運指。丸々一年練習してやっとこの状態。ミスのない録音は録れず、これで妥協アップとなりました。ピアノの練習、細々とですが、今も諦めず続けています。


2018年11月5日月曜日

和歌山県の本州最南端の地・串本と枯木灘に行ってきました

和歌山県の、本州最南端の地・串本の奇観「橋杭岩」と、そこから少し西に行った、中上健次の小説のタイトルになっている「枯木灘」と呼ばれる海岸に行ってきました。「枯木灘」は中上健次が小説のために作った地名だと思っていたのですが、実際にある地名でびっくりしました。強い風で木々の葉が吹き飛ばされて、枯木のようになってしまうのだそうです。串本駅前の「萬口」で食べたカツオ茶漬けが美味しかった♪ まず生のまま丼で食べて、次にお茶を注いでお茶漬けで。



串本の「橋杭岩」では岩の表情に魅せられて、沢山写真を撮りました。自然が描いた抽象画。これから少しずつ、時々アップしようかな。

『私の知らない歌』(思潮社)について、小島きみ子さんが、「詩素」5号で評を書いてくださいました

『私の知らない歌』(思潮社)について、小島きみ子さんが、「詩素」5号(11月1日刊)「詩集を読む」欄で、とても美しい言葉で評を書いてくださいました。とても嬉しいです。「大木潤子さんは、静かな深い恐怖に耐えてどんどん意識の底におりてゆく。」小島さん、有り難うございます!!

2018年10月15日月曜日

バッハ平均律4番プレリュード【自演】


久々にピアノをアップします。総計23年半に及ぶブランクの後再開したピアノ、再開後1年3ヶ月頃、5月18日の録音。ばたばたしていてなかなかアップできずにいるうちに、5ヶ月も経ってしまった・・・。テンポがゆっくりなので簡単かなと思って練習し始めたら、最初の方、かなり運指が厄介で大変でした。


2018年10月14日日曜日

平居謙さん主宰の合評会「とりQ」に参加してきました!

昨日は、平居謙さん主宰の合評会「とりQ」@御茶ノ水に参加してきました! 家にいるとどうしても家事に追われるので、詩のことだけ考える時間を持てるのはとても貴重です。参加者の方々の詩をじっくり読んで意見を言ったり、みなさんの前で自分の詩を朗読して、いろいろ、ご感想を伺ったり、実に勉強になるし楽しい!! 二次会もモリモリ盛り上がりました。次回が今から楽しみ。平居さん、素晴らしい時間と経験を、本当に有り難うございます!!

2018年10月12日金曜日

峯澤典子さんが、『現代詩手帖』10月号詩書月評欄で、『私の知らない歌』を取り上げて下さいました。


 「極限にまで切り詰められた詩語と豊かな余白が生み出す、未知の時空間への旅。ページのこの眩さをぜひ体感してほしい」

峯澤典子さんが、『現代詩手帖』10月号詩書月評欄で、『私の知らない歌』を取り上げて下さいました。

ページを追うに従っての、余白の変容について、非常に精緻な評を書いてくださり、感激しております。現在販売中のものなので、ほんの一部だけ写真をアップします。峯澤さん、本当に有り難うございます。

2018年10月6日土曜日

和合亮一さんが7月26日の毎日新聞で『私の知らない歌』について書いてくださっていました

友人が先日、「これ、潤ちゃんの本の話かなと思って」と、新聞のコピーを送ってくれました。7月26日の毎日新聞夕刊、和合亮一さんの「詩の橋を渡って」のコピーでした。和合さんが、『私の知らない歌』を取り上げてくださっていたのでした。「送ろうと思って切り取ったのにあっという間に2ヶ月以上経っちゃった、ごめん」とメモが書いてありましたが、送ってもらえなかったら気が付かないままでした。
「死を見つめる根源的な詩人の生の眼。そして死を読もうとする私たちのそれを、白い鏡が映し出しているのかもしれない」
大きく取り上げてくださった和合亮一さんに、そして、忙しい中わざわざ送ってくれた知人に心から感謝。

平田俊子さん脚本の『竹取』(世田谷パブリックシアター)が凄い!


平田俊子さん脚本、小野寺修二さん構成演出の世田谷パブリックシアターの公演・現代能楽集Ⅸ・『竹取』に行ってきました! 
音楽・阿部海太郎さん、出演・小林聡美さん、貫地谷しほりさん他。

とにかく刺激的な舞台! 今日この舞台を観たことは私にとって大きな出来事になりそうです。

平田俊子さんがSNSで、稽古を重ねるにつれて平田さんの言葉がどんどん削られていく、と書いていらしてので、あんまり少なくなってしまうと寂しいな、と思っていたのでしたが、観てびっくり。

随所で朗読のようにして読まれる詩は、遠い月から送られる光をまとうかのような言葉で、心を深く貫いてきます。「竹取」とは全く関連のない、平田さんの既刊詩集からの作品も読まれ、「竹取」との内容のギャップからシュールな空間が立ち上がってきました。

 一方で、まるで無言劇、もしくは舞踏のような舞台も続くのですが、言葉のない「余白」の隅々に、平田さんの言葉が光となって浸透しているのでした。舞台そのものが平田さんの詩でした。

紐、布、額縁、畳、障子といった「物」が、幾何学図形のように抽象的に使用されて動いていく舞台はまるで宇宙の縮図のよう。TwitterFBで平田さんが発表していらして、私が非常に心惹かれ、何度も繰り返し読んでいた「竹取」の原詩の一部

「光は静かに呼吸していた。 竹林の中でもひときわ立派な竹の内側で 生き物のように 膨らんだり縮んだりを繰り返していた。 のぞくと目のくらむような光のかたまりがあった。 光は外に出たがっていた。 わたしは光をすくって家に帰った」

が、一度言葉であることをやめ、空間、そして時間に変容したかのように感じました。

他にも印象的だったのは、平田さんの言葉遊びが、舞台の上で、更に輝くこと。言葉遊びは笑いを誘い、書き手と読み手とをつなぎますが、詩の場合は、書き手が書いた時間と、読み手が読む時間との間にずれがあり、つながりがはっきり目に見える形にはなりません。けれど舞台の上での演じる側と観る側とが同じ時空に存在しているので、言葉遊びは、笑いを誘った瞬間に、演じる側と観る側との間の境をなくし、両者をつなぐのですね。言葉遊びには、演じる側と観る側との間にある見えない幕を取り去り、舞台(フィクション)と、観客席(現実)とをつなぎ、一体化させる効果がある。非常に面白くて、興奮しました。

主演の小林聡美さんの、目の光だけで劇場空間を染め上げるような演技にも圧倒されました。歩いたり、座ったりするだけで存在感があり、凄い俳優さんだと思いました。貫地谷しほりさんのかぐや姫も、時に妖艶、時に蓮葉で、新しいかぐや姫像を提出していると感じました。

宝生流シテ方の佐野登さんの能も凄い存在感。お能には以前一度はまって国立能楽堂に足繁く通ったり自分自身謡と舞を習った時期があったのですが、最近は自宅が不便な場所にあることもあって、すっかりご無沙汰していました。が、また行きたくなりました。

「現代能楽集」のシリーズなだけあって、実際に能楽者が演じたというだけでなく、抽象的で幾何学的な舞台に、能と狂言のエッセンスを感じました。一方で、構成・演出の小野寺修二さんがマイムから出発なさった方で渡仏経験もおありだからか、フランス演劇の舞台の香りも感じ、もう30年も前に観たマルセル・マルソーも思い出しました。

とにかく刺激的な舞台。前売りは完売していましたが、当日券分があるようです。今日は立ち見も出ていました。今日が初日で、1017日まで公演が続くようです。
お勧めです!
 

 

 

2018年9月24日月曜日

平田俊子さんが共同通信で書いてくださった『私の知らない歌』評

平田俊子さんが共同通信の詩書月評欄「詩はいま」に書いてくださった『私の知らない歌』評が、8月下旬から9月上旬にかけて、全国の地方紙に掲載されました。「詩句が記されたページを有限の時間、空白のページを無限の時間ととらえれば、生と死は文字通り表裏一体だ」
私は平田さんが「現代詩新人賞」でデビューなさった時以来の平田ファン! 平田さんの第三詩集『夜ごとふとる女』には特に衝撃を受け、この詩集を読んでいなかったら私は詩を書き続けていなかったかもしれないと言っても過言ではないのです。
その平田さんに今回、御評を頂けて感激です。
平田さん、有り難うございます!!
平田さんのご承諾を得て、全文を書き起こさせて頂きます。

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前詩集「石の花」(思潮社、2016年)で新たな作風に挑んだ大木潤子(おおき・じゅんこ)さんが、「私の知らない歌」(同)で飛躍を遂げた。
 前詩集の3倍以上、およそ480ページの本書。なかなかのボリュームだ。見開きの右ページはすべて空白で、左ページにだけ言葉が並ぶところや、語の数が全体的に少なめなところは前詩集と同じ。読み手は常に空白を意識しながら、詩句を読むことになる。わずか1、2行のことも多い詩句の受け止め方に、空白は影響を及ぼすだろう。
 幕開けは「箱を/崩す」という、不穏な2行4文字だ。2ページ先に「鳥の/羽根が/舞う」、さらに2ページ先に「鳥は/いない―」という語句が待ち受け、不穏な空気に拍車をかける。崩したのは鳥の巣箱だろうか。誰の手で?
 Ⅰ~Ⅴの五つのパートで構成される。詩集の中を自由に飛び回るように、ⅠとⅡでは「鳥」のイメージが何度も現れる。Ⅲ以降は「骨」「光」「点滅」「虹」などが繰り返し使われ、印象に残る。
 地上と天空を行き来する鳥に、著者は生と死を往還する使者の役割を担わせたのだろうか。そんなことを思うのは、本書には死の気配が漂うからだ。滅びることの喜び。崩壊に向かうことの快感。そういう危うく甘美なものをこの詩集は内蔵している。詩句が記されたページを有限の時間、空白のページを無限の時間ととらえれば、生と死は文字通り表裏一体だ。「いなくなった/鳥の声がして/ふりむくと/自分も/いない」(「Ⅱ」)
 

2018年9月23日日曜日

ヴェルレーヌの詩の美しさを会場のみなさんと味わいたいと思っています

 
9月30日開催の颯木あやこさんの朗読会・Pegasus!vol.4(15時30分会場16時開演、@高円寺・Grain, charge¥3000+1drink)のトークでは、秋にちなんで、日本では主に上田敏訳で知られているヴェルレーヌの「秋の歌」を取り上げます。
ヴェルレーヌについてはパリ第三大学で博士論文を執筆し、数段階ある評価のうち一番高い評価を頂いております。
今回はその経験を活かし、伝統的なフランス詩の韻律、そして日本語訳では伝えられきれていないヴェルレーヌの詩の新しさと美しさを、会場の皆さんと一緒に味わっていきたいと思っています。
まだ少しお席がありますので、どうぞ奮ってご参加ください!
左側の写真は当日お配りする資料の原稿です。
ご予約は颯木あやこさん(電話・044-966-3784, e-mail:ayascha1223@kiu.biglobe.ne.jp)までどうぞ!





2018年9月21日金曜日

真鶴岬に行ってきました

少し前のことになってしまうのですが、敬老の日の休日、真鶴に行ってきました。大きな岩と岩の間に注連縄が渡してあって印象的。富士山が噴火した時降った溶岩が固まったのか、赤っぽい石がごろごろ。岬の上の海抜の高さが驚き。お魚も美味しかった! 大磯の自宅からは驚くほど近くて電車賃が500円! また気軽に行こう!




2018年9月8日土曜日

第四詩集『私の知らない歌』(思潮社)を川口晴美さんが、東京新聞夕刊の詩の月評欄「詩はいかが」で取り上げて下さいました

6月1日刊の第四詩集『私の知らない歌』(思潮社)を川口晴美さんが、東京新聞夕刊の詩の月評欄「詩はいかが」で取り上げて下さいました(9月1日)。
「大木潤子の第四詩集『私の知らない歌』(思潮社)は、余白の多さと美しさが際立つ一冊だ。見開きの右側はすべて白。左側にも言葉数は少なく、たった一文字だけのページもある。なのに、軽くはない。緊張感みなぎる静寂の中に鋭く重く、ときに囁きに似た優しさで響いてくる声に引き込まれてしまう。空白のただなかに凛と佇む文字列の圧倒的な強さ。[…] 指先が薄い紙の上を滑るわずかな間に、詩人は永遠のような時間を宿らせる。饒舌な散文詩の詩人としてスタートした大木が沈黙の期間を経て作風を一変させ、全詩集『石の花』でたどり着いた境地がさらに先へと切りひらかれている。」
有り難いお言葉を頂き、感無量です。川口晴美さんに心から感謝します。

2018年9月2日日曜日

平田俊子さんが共同通信の詩の月評「詩はいま」で『私の知らない歌』について嬉しい評を書いてくださいました

平田俊子さんが、共同通信の詩の月評「詩はいま」で、『私の知らない歌』を取り上げて下さり、とても嬉しい、有り難い評を書いてくださいました。感激しております。8月下旬から9月上旬にかけて、全国の地方紙に順次掲載されるとのことなので、全紙で掲載済みになった頃を見計らって、御記事をアップさせて頂きたいと思っております。平田さん、本当に有り難うございます!!

2018年8月27日月曜日

横浜詩人会の『夏の日のジャズと詩の朗読の集い』に参加してきました。

昨日は横浜詩人会の『夏の日のジャズと詩の朗読の集い』(野毛のジャズスポット・ドルフィーにて)に参加してきました。私はセロニアス・モンクの「Round Midnight」を聴きながら書いた詩を朗読しました。
小室響さん(ピアノ)のトリオの演奏が素晴らしくて感動!! 詩の朗読と音楽とが余りにも合っているので不思議に思って舞台を見たら、朗読中の詩のテキストを読みながら演奏なさっているのです! 小室さんは六本木のalfieにも出演なさっている若手のホープみたいです!
 朗読される詩は担当理事の服部剛さんが冊子にしてご用意くださいました。
 服部さん、いろいろ本当に有り難うございました!!

朗読とジャズとの素晴らしいハーモニーを堪能した後は中華料理屋さんで円卓を囲んでの二次会。楽しかった!!
二次会が終わった後は連れ合いとランドマークタワーに行き、のんびりハーブティーを飲みました。

2018年8月17日金曜日

怒濤のごとく家事をこなした数日間

4月頃から何やらいろいろ忙しく、手が回らなかった家事をこの数日で怒濤のごとくこなした。カーテン4枚外して洗って付け直し、冬の布団を押入から引っ張り出して全部で7枚干し、毛布を4枚、そして玄関マットを洗い、包丁を研いだ。一方連れ合いはガラス窓を拭き、網戸、サッシの溝掃除、玄関の三和土の水洗い。季節外れの大掃除?! やっと落ち着いて、ご恵贈頂いた詩集とゆっくり向き合う時間に恵まれそうです。

2018年8月14日火曜日

横浜詩人会の、「夏の日のジャズと詩の朗読の集い」に初参加します !

 8月26日、今年から会員になった横浜詩人会の、「夏の日のジャズと詩の朗読の集い」に初参加します! セロニアス・モンクの「'Round Midnight」を聴きながら書いた詩を読む予定でいます。「夏の日のジャズと詩の朗読の集い」は8月26日(日)午後1時30分開演、場所はJazz spot 「Dolphy」(桜木町・日の出町)です。

2018年8月13日月曜日

大阪北部に震度6弱の地震があった日に、横浜のホテルでお金持ちの女性に会った話


「閉まっているかと思った正面玄関が開いていたので、中に入るとフロントに客がいた。チェックインは済ませてあるらしく脇に寄って、場所を空けてくれたから前に出て、
「すみません、今日予約してある福田です。遅くなる予定だったんで裏の守衛さんのところ開けておいてくださいってお願いしてたんですけど早く来れたんで」
と言うと、受付の人は視線を一瞬下に落とし、予約者リストに名前を確認したらしく、
「お待ちいたしておりました」
にこやかに微笑んだ。若い男の子だ。
前払い方式だということで支払を済ませ、お釣りを財布に入れている途中で、
「お手数ですがこちらにお名前、ご住所、電話番号とご同伴者のお名前をお書きください」
宿泊表とペンを差し出された。
「俺書いてようか?」
とTが言うので、
「宿泊者のところに自分の名前書いちゃ駄目だよ、宿泊者の名前は私だよ、ご同伴者のところに自分の名前書くんだよ」
と言うと突然横から、
「あっははは」
と笑い声がする。さっき、脇に寄って場所を空けてくれた人だ。
「おっもしろいわねえ。普通、ご主人がメインで奥さんがサブじゃない? お宅は逆なのね」
60歳くらいだろうか、ボブスタイルの、目の大きな女性だ。話し方が元気いい。
「いえ、うちも私はサブなんですけど、事務的なことは私がやってて、私の名前で予約してあるから、ずれると良くないかと思って」
弁解がましく言うと女性は、
「へえーえ」
宿泊表に書き込んでいるTの手元を面白そうに見ている。
「こちらにご署名をお願いします」
係の人が言って、用紙の右下を示すので、
「そこも私の名前だよ」
とTに言うと横の女性がまた、わははと声をたてて笑う。
「領収書は明日チェックアウトの際にお渡しします。どちらのお名前にしましょうか?」
と言われ、Tが
「どっちの名前にする?」
と私を見る。領収書はどこに提出するわけでもないから、
「何でもいいよ」
と言うとまた、隣の女性がわははと声を立てて笑って、
「何でもいい、って。何でもいい、って」
余程受けたらしく、握りこぶしでカウンターを叩く仕草で繰り返してから、
「何、よく泊まるのここ?」
と、尋ねてきた。
「いえ、以前はよく泊まったんですけどね。今日は久しぶりです」
真ん中の私越しに、Tが答える。
「私ね、一年に二~三回は来てるの。横浜市民だって言われてるのよ。何、前よく泊まってたの? 守衛さんのところから入るとか言ってたからさ、勝手知ってる人だなって思ったんだけど」
 右手の甲に左手の平を重ねて、右の肘をカウンターに突いた姿勢で言う。
「毎月一回、必ず来てたんですよ以前は」
「そう、一年に十回くらいは」
二人で交互に言うと、
「一泊ずつ?」
「そうです、一泊ずつです」
「私ね、一回来ると一ヶ月くらい泊まってるの」
右肘をカウンターに突いた姿勢のまま、少し背を反らしている。
「ええーっ、一ヶ月。富裕層ですね」
「富裕層だ。俺たちなんか一泊するだけだって冷や冷やしてるのに」
「しかも、一年に二~三回ですよね、全部で二ヶ月とか三ヶ月とか」
私たちが騒ぐと、受付カウンターの向こうで係の青年が、全くそうだ、と言うように頷いて微笑んでいる。
「富裕層なんかじゃないわよ。底辺よ底辺」
「底辺なんかじゃありませんよ、泊まれませんよ一ヶ月なんて富裕層じゃなかったら」
「そうですよ泊まれませんよ」
女性は今度は否定しないで、
「一人だからさ、ここ泊まって、こうして遊んでるの。夫いるんだけど、あなたたちにたいに仲良くないからさ。今も遊んでたのよあなたたちが来るまでこの人相手に。かわいがってあげてよこの人、見習いなの。ほら書いてあるでしょ研修生って名札に」
言われて見ると、受付の人の名札には確かに、川原、という名前の上に「研修生」と書いてある。
「よろしくお願いします」
川原さんが恥ずかしそうに笑うと女性はまた私たちの方を向いて、
「どこから来たの? 遠いの?」
真ん中の私越しにTが、
「大磯なんですよ。だから帰れば帰れるんですけど。今日は横浜出るのが十二時過ぎそうだったから。帰ると寝るのが三時とかなっちゃうんで、体に悪いかなと思って。前は千葉の、流山だったんですよ。それだとほんとに遠いんで、泊まってたんですここに」
「一ヶ月も泊まっていらっしゃるんじゃあ、関西ですか?」
「そう、関西」
「でも全然ないですね関西のアクセント」
「あるわよあるある。ずっと関西ですもん」
「あ」の次の「る」が高くなって、急に関西弁になった。
「どちらからなんですか?」
尋ねると、女性の顔が急に、曇った。
戸惑ったように下を向いて、視線を左右に泳がせてから、
「夫は大阪なんやけどね。娘が二人いて、大阪に家を買うたんやけど、その後すぐ広島に転勤になって、家はそのままにして四人で広島移ったんやけど、そしたらまたすぐ大阪に転勤になってね。でも娘のね学校があるからまた大阪移るわけにいかないのよ。それで私と娘たちだけ広島残って夫は大阪単身赴任してね、買った家に住んでてそのうち上の娘だけ大阪移ってね、大学生になったから。それで私と下の娘は広島残って、そのうち下の娘が結婚して香川移って、私は介護で島根行って、実家島根だからね私。そんで、ばらばら。一家離散」
途中で関東のイントネーションに戻りながら一息に説明した後、最後の「一家離散」を、一語一語口を大きく開けて関西のイントネーションで発音すると、がははと笑う。どちらからですかと、単に社交儀礼で訊いたのだったけれど、訊いて悪かったかなと思いながらも、
「それで今はどちらに」
「今? 今は香川。下の娘のとこ」
「ご主人大阪じゃ、大丈夫でしたか? 地震」
さすがに、今朝の今夜だから、尋ねた。すると女性は、
「地震? 何それ」
きょとんとしている。今度は私の方が驚いて、
「地震、あったんですよ大阪で。」
川原さんもTも、深刻な表情で頷く。
「そんな、阪神大震災みたいなんじゃないけどかなり揺れて、震度六弱?ですよね」
「えっ、何それ? 知らないよ私。何時頃」
「朝、七時五十六分とかそんなんですよね?」
川原さんの方を見ると、
「八時とかそんな頃ですよね」
「ご存じなかったですか」
「今日もうそれだけですよニュース。ネットも開けるとそればっかりですよ」
女性は携帯を見ながら、
「いや、テレビも全然見てないもん。朝天気予報見ただけだもん。七時頃だったからね、まだ地震の前だったわ」
「そうですね地震の前ですね七時だったら」「え、大阪揺れたんだったら香川も揺れたね。香川に娘いる」
「そうですけど、大阪大変ですよ」
「あ、そうか、夫がいるんだ大阪に。娘のいる香川のことばっか考えてた。夫がいるんだった大阪に」
あはは、と笑っている。
「大阪のどの辺? 揺れたの」
「大阪北部、って」
「やだ大阪北部だよ夫いるの。大阪北部、ってどこ?」
「さあー、箕面とか高槻とか、その辺じゃないですか、でも私大阪の地理わからないから」
「ご連絡してみた方がいいですよ」
私越しにTが言って私も、
「お電話してみたらどうですか、もう時間遅いですかね」
女性は携帯を出して眺めながら、
「そうねえ電話してみようか」
独り言のように呟いている。少し話が途切れて、
「では福田様。こちらがお部屋の鍵、六〇二号室でございます。オートロックになっておりますので、お部屋をお出になる際は鍵をお持ちください。こちらがご朝食券、朝七時から九時まで、そちらの」
と、川原さんが受付カウンターの裏の方を手のひらで示しながら、
「レストランが会場になっております」
そうだ、水。ホテルに泊まるときはいつも水を買うのに、忘れていた。
「この辺にコンビニありましたっけ?」
しばらくぶりで、忘れている。
「はい、こちら正面玄関出て頂きまして左に少しおいでいただきますとファミリーマート、右においで頂きますとセブンイレブンがございます。セブンイレブンがですね、十二時で閉まってしまいますので、お気をおつけくださいませ」
「十二時。もう、すぐですね」
私が言うすると女性が、
「開いてるわよセブン二十四時間」
訂正する。
「いえ、以前は二十四時間営業だったんですけれども最近十二時で閉まるようになりまして」
川原さんが説明すると、
「違うわよ開いてるわよ二十四時間。このホテルのことなら何でも私に訊いて。私住人だから。横浜市の住民登録しろって言われてるの私」
女性が言う。
するとTが、
「水持ってるよ俺二本。大丈夫だよコンビニ行かなくても」
リュックサックを開ける仕草をしている。
「二本ある? 私一本ある」
「大丈夫じゃないか三本あれば」
「大丈夫だね」
「じゃあ、どうも、失礼します」
「おやすみなさい。ええっと、エレベーターは」
と迷う私に、
「エレベーターあっち」
女性は指差して、
「何でも知ってるでしょ私。住人なの。住んでるから私。私はもう少しここでこの人と遊んでます。おやすみなさーい」
エレベーターの方に向かう私達に、手を振っていた。

2018年8月11日土曜日

「詩人・吉増剛造展」内覧会に行ってきました

昨日は、「詩人・吉増剛造展」内覧会にご招待頂き、連れ合いとともに渋谷区立松濤美術館に行ってきました。白井晟一氏設計による印象的な空間の中で、新刊『火の刺繍』表紙原画、「王国」の自筆原稿などを堪能してきました。セレモニーでの吉増さんのスピーチ(「穴を開ける、、、」)もとても興味深かった。夜は連れ合いと別行動で、私は大学時代のサークルの同期友人達と大手町「トリッペリア モツーダ」で飲み会。楽しかった! 写真は内覧会でお土産に頂いた図録です。

2018年8月9日木曜日

昨日の夕方虹を見ました

昨日の夕方、台風の手土産の虹
ちょっと黒い雲がかかっちゃってるけど・・・。

2018年8月6日月曜日

「丘のうえ工房ムジカ」のアンソロジー『E+motion2018』に参加しました

「丘のうえ工房ムジカ」のアンソロジー『E+motion2018』に参加しました。「霧が束になって…」他7篇の詩が掲載されています。
 アンソロジーは詩、俳句、短歌、絵画、書画、と、ジャンル横断でとても豪華。ぱらぱら眺めているだけでも楽しいです。

2018年7月31日火曜日

詩誌「エウメニデス」第56号に大木潤子の詩「行方」が掲載されています

詩誌「エウメニデス」第56号(小島きみ子さん編集発行)、先鋭な作品群。現代詩の醍醐味が味わえる充実した一冊になっています。ちなみに私も「行方」という作品を載せて頂いています。
 

2018年7月29日日曜日

川トンボを奈良県桜井市で見た話

昨年9月の出来事です。

*********

 聖林寺の十一面観音を拝顔した帰り、山門に続く石段に出ようとしたところで、
「あ、とんぼ。」
 Tが言って、指差す方向を見たのだけれど、
「どこ? わかんない」
「そこ、南天のうしろ。ほら」
 言われた場所を見てもやはりわからない。
「珍しいとんぼだよ、やんまの仲間だと思うけど、うちの方にはいないやつ。ああ、見えなくなっちゃった」
 とんぼがいたという南天の木の後ろには塀があって、塀の向こう側が急な傾斜だから、三輪山から奈良市街までが、一望のもとに見渡せる。右側になだらかな三輪山、中央から左まではパノラマ状に遠く、すり鉢の底に並べたように小さく、ビルや家が見える。
 もう一度風景を眺めて、石段を降りていると、
「こないだね、川とんぼいたようちの庭に」
 とんでもない僥倖に遇ったという風に、背を丸くして、私の方にかがみ込んでTが言う。
「川とんぼ? 川ないのに?」
「血洗川だろう」
「あんなとこから来るの?」
「それくらいは飛ぶよ」
「どんなの?」
「羽も胴も黒くてね。蝶みたいにひらひら飛ぶんだ」
「あ、黒いの? それなら見たよ私も」
「庭で?」
「ううん、白岩神社の下」
「ええっ、ほんと? あんなとこで?」
「すごい珍しいとんぼだって思った。話そうって思って忘れてた」
「川とんぼって、羽が黒いやつだよ。そんで胴体が細いの」
「そうそう、羽黒くて細かった」
「ほんと? ほんとにいたのか川とんぼ白岩神社に? すごい珍しいぞそれ。普通川にしかいないんだからな。ほんとに羽黒かった?」
「うん、黒かった」
「胴体細かった?」
「うん、細かったよ」
 Tが余り興奮するので間違えると悪いなという気がしたけれど、たぶん大丈夫だろうと思ってそのまま話を続ける。
「何でいたんだろうね白岩神社なんかに。」
「うちより遠いからな血洗川から」
 自宅から三分位歩いたところに、血洗川という、物騒な名前の川がある。幅が二メートルもない、ごくごく細い川なのだけれど、両岸が鋭く削られていて、くさび形の深い溝のような川だ。たぶんそこに棲息しているとんぼがふらふらと遠出して、うちの庭に来たり、更に足を伸ばして----とんぼは歩いて移動するのではないからこの表現は適当ではないかもしれないが----、白岩神社で羽を休めたりしたのだろう。神社の下の、草むらの雑草の葉先に、そのとんぼは留まっていたのだった。羽の輪郭と、中に走る網の目状の線は黒く、それをオブラートのような、淡い灰色の薄い膜が覆っていて、繊細な羽だった。胴体も撚った糸のような細さで、華奢な姿が美しく、後で話そうと思っていて、すっかり忘れていた。
 山門をくぐり、石段を降りて坂道をくだってゆく。かろうじて舗装はされているものの、凹凸のある細い道で、両側は畑である。畑と道の境に、黄花コスモスが咲いている。聖林寺に毎年来るようになってもう八年になるが、来るたびに必ずこの花を見る。秋のこの時期に、来るからだろう。
 Tがくも膜下出血で倒れて、助かってから、もう、八年になるのだった。救急診察室に私だけ呼ばれて、三十パーセントの人が倒れて二十四時間以内に亡くなる、今夜は携帯の電源を切らずに、いつでも出られるようにしておいてください、と言われたのに、助かった。後遺症も出なかった。
 退院してしばらく経って、体力が回復してきた頃、聖林寺に行きたい、とTが言った。俺、大学三年生の時に、行ったんだ聖林寺。和辻哲郎の本にね、聖林寺の十一面観音が素晴らしいって書いてあって、見てみようと思って行ったんだ。
 大学三年で? 渋いねえ。
 何にも知らないからさ、自分に何にもないから、いいものはなるべく見ようって思って行ったんだな。
 一人で?
 うん、一人で。それで、ずーっと、座って見てたんだ、十一面観音。途中で誰も来なくてね。ずーっと一人で見てたんだ。
 退院してまだ数ヶ月しか経っていなくて一人旅は心配だったから、私も一緒に行くことになった。JRの桜井駅を降りて、二時間に一本しか来ないバスに乗り、街中を過ぎて、山の奥に入っていくと川のほとりにバス停があって、そこで降りた。小さな橋を渡って、田んぼの間の坂を上ってゆく。小さな盆地のような地形になっていて、すぐ近くで、山が囲んでいる。威圧感のない、稜線のなだらかな山である。くねくねと折れ曲がる細い道をさらに上って山門をくぐり、拝観料を払って境内に入ると、本尊のある部屋の脇から、山肌の上に階段がある。階段の両脇の壁は腰までの高さで、庭、と言うよりも、草木の生えた山肌に、宙吊りになったような階段である。右側には露出した土や岩、草や木が、手で触れられるくらい近くにあり、左側は視界が開けて遠く、とても小さく、奈良市街が見渡せる。
 階段を上り切る直前の壁に絵馬が沢山かかっていて、願い事の文字が目に入る。その上に、重い鉄の扉があって、開くと、ガラスの向こうに、見上げる高さで、十一面観音の立像があった。
 十畳ほどだろうか、観音像一体を配置するためだけの、小さな部屋なのだった。歩いている間は暑くて、汗だくになっていたが、部屋の中はひんやりしている。光を入れないために、入ったら扉を閉めるようにと書いた紙が扉の内側に貼ってあり、閉めると、薄暗い、しんとした空間であった。
 手を合わせて拝んで、しばらくの間、何も話さずにただ眺めていると、
 あそこで見てたんだよね、俺。
 部屋の隅を指して、Tが言う。
 あそこに座って、ずーっと見てたんだ。
 そんなに長くいたの?
 うん、何時間もいたと思うよ。
 また、しばらく、話さずに二人で眺めていて、少し経ってから、
 俺、ここの観音様が助けてくれたような気がするんだ。
 と、Tが言った。
 あの時、ずーっとここにいたのを覚えていてくれて、助けてくれたような気がするんだ。
  その後は、どちらからともなく、夏になると、桜井に行く、と、思うようになった。とても自然に、習慣になった。
 黄花コスモスの縁取る道を下ると、両側が田んぼになる。実り始めた稲が軽く頭を垂れて、田んぼ全体が黄色みの強い黄緑色だ。
「あ、とんぼ。」
 橋を渡ろうとしたところで、川の流れの中、転々と岩のあるところに、とんぼが数匹、ふわりふわりとやわらかい飛び方で群れている。
「さっきいたの、これ?」
「違う、これは川とんぼ。」
「うちの庭にいたってやつ?」
「そう、これだよ、川とんぼ。ちょっと、蝶みたいな飛び方するんだよね。留まる時に、羽閉じるの。蝶みたいでしょ? とんぼって、棒の先とか留まるけど、羽広げたままでしょ? でも閉じるんだよね、川とんぼは。」
 少し大きめの岩の周りを、数匹のとんぼはふわり、ふわり、と飛んでいて、時折岩に留まる。羽も、胴体も黒い。
 自宅近くの神社で私が見たのとは、ちょっと違う。私が見た黒いとんぼより、これは二回りくらい大きい。羽の色も、黒が遙かに濃い。さっき、神社で川とんぼを見た、と言ってしまったが、たぶん間違いだ、と思ったが、まずはカメラを取り出した。バスの時間が迫っているから、話していると写真を取り損なってしまいそうだった。シャッターを切る。とんぼはすぐ近くに見えるのに、写真に撮ると小さな点のようになってしまう。ズームにすると、画面がとんぼからずれてしまった。広い範囲が写るようにレバーを戻して、液晶画面を眺めながら、とんぼが画面から外れないように、少しずつズームにする。岩ととんぼが中央に来たところでシャッター、確認するとぼやけているから、再びシャッター、とんぼが岩から離れる、少し待って、また岩に留まるからもう一度シャッター、確認しないで次々シャッターを押すと、バスが来た。川の流れに沿った曲線の道を、高い方からゆっくりと近づいてきた。

 桜井の駅でバスを降りると、すぐ目の前に、韓国料理屋の看板が出ていた。参鶏湯や石窯ビビンバなど、料理の写真が載っている。夜は午後五時開店。ちょうど開いたところだ。お腹も空いていたし、迷わず入る。客はまだ誰もいない。真っ直ぐ進んで奥の席に座り、 ナムル、トッポギ、チヂミの他に、マッコリを二人で一杯頼む。くも膜下で倒れてから、Tはお酒をほとんど飲まないようにしているのだった。
 倒れる前は、うわばみみたいに飲む人だった。一人でワイン三本空けるのは止めた方がいいよ、と注意したことが何度もある。二本空けるのは当たり前だった。
 料理が運ばれてくるのを待ちながら、写真を見る。川とんぼを撮った一枚目には、水面だけが、ぼやけて写っている。二枚目からは、思ったより遙かに鮮明に川とんぼが写っていた。揺れる水面、岩、黒いとんぼ。グレーの濃淡だけだけれど、水面には光沢感があり、岩やとんぼの形が水の流れのゆるやかな濃淡に溶け込んでいて、抽象画のように見える。
「ねえ、私が神社で見たのって、このとんぼじゃなかったかも。羽が、もっと透明だった」
 写真を眺めながら、Tに言った。
「そんで、胴体ももっと細かった」
「え、どのくらい」
「これくらい」
 ごくごく細い胴体を、親指と人差し指でなぞるように宙に描く。
「大きさはどのくらいだった」
「これくらい」
 親指と人差し指の間を、五センチくらい空けて見せる。 
「なんだ、それ、糸とんぼだよ。一番よくいるやつだよ。川とんぼだって言うから珍しいと思って驚いたんだよ。糸とんぼだったらどこにでもいるよ」
 呆れたような声でTが言う。がっかりしたらしい。
「私はこないだ初めて見た」
「でもいるんだよ。羽、透明だったろ?」
「うん、羽に葉脈みたいのあるでしょ? あれは黒いんだけど、葉脈みたいなとこにかぶさってる薄いセロハンみたいなの、あれは透明だった」
「なんだあ。それ、正真正銘の糸とんぼだよ。あれは羽、黒いとは言わないよ透明だよ」
「でもこないだ買ったファイルのね、表紙のプラスチックに細い線が入ってて、その線だけが黒いの、間は透明なの、それブラックって書いてあったからさ」
 ナムルが運ばれてきて、皿を置いた店の人が、
「降って来ちゃいましたね」
 と言うので、カメラから顔を上げると、入り口のガラス扉の向こうがざあざあ降りで、白く見えるくらいだった。棒のような雨が殴りつけるように降って地面に当たり、跳ね返った雨滴が下から上へと、しぶきを上げている。
「ここ入ってて良かったな」
「入る前に降らなくて良かったね」
「傘、お持ちですか?」
「持ってます持ってます。有り難うございます」
「降る、って言ってた? 天気予報」
 携帯で奈良の予報を見ると、今日は一日中晴れになっている。
「当たってないじゃんね全然」
「夕立だな」
「上がるかな、ここ出るまでに」
「ここまでひどいと、駅行くだけでも大変だな」
「傘さしても濡れちゃうよね」
「待つんだな上がるまで」
「小降りになるといいね、やまなくても」
 扉のガラスの向こうは、滝のように真っ白だ。
 川とんぼ、どうしているだろう。
 バス停のそばの川の、岩の脇の草むらで、しんと雨宿りしているとんぼたちの、静かな羽の動きを思った。

2018年7月28日土曜日

道路に出て植木を切っているといろんな人に話しかけられる話


道路に出て植木を切っていると、知らない人から話しかけられることが、結構ある。
昨日は梅の枝の、びゅーんと長く伸びてしまったのを切っていると、
「こんにちは。」
これは、二年くらい前に初めて話しかけてきた女性で、今では少し顔見知りだ。植木を切っている時だけ話す。...
「便利なものがあるんですね」
高枝バサミのことだ。
「そう、でも結構重くてね、扱うのが大変で」
興味深そうにじっと見ているので、
「持ってみますか?」
渡すと、
「あら、本当だ、結構重い」
「ね、長く延ばすと重くなって、結構大変。だから今度思い切って枝切っちゃおうかなと思って」
「そうね、涼しくなったら」
「この辺で」と、今の高さの半分くらいを指して、「切っちゃおうかと思ってるんですよ」
「また、伸びるのよね梅は」
「やっぱりそうですか」
「すみませんね、続けて下さい、じゃあまた」
毎日できる限り歩くことにしている、ご主人が亡くなって、話す人もいなくて寂しいので散歩の途中でぽつぽつ、こんな感じで話す、と、最初に会った時言っていた女性だ。孫が発表会で、ドビュッシーの「月の光」を弾く、と聞いたこともある。
しばらくして、高く伸びた枝を切ろうとしていて、高枝バサミの先端でうまく挟めずにいると、
「なかなか命中しないわね」
振り向くと、今まで会ったことのない女性が立っている。70歳くらいだろうか。黒い犬と一緒だ。
「結構重さがあるんですよね。うまく挟めなくて」
「頼んでも、やってくれないのよね」
この辺りでは、昔からの腕のいい植木屋さんは新しいお客さんを受け付けていない。やっぱり、この女性も、植木屋さん探しに困っているんだな。
「そう、頼んでも、やってくれないんですよね」
「やってくれないのよ。そこのね、突き当たりが」
と、指で指して、
「長男の家なの。それで、頼んでるんだけど、時間ないって。やってくれないの。しょうがないから、自分でやらないといけないんだけど、大変で」
笑って、ふっと角度を変えて、長男の家とは反対の方向に、犬と一緒に歩いていった。
やっと歩けるようになったくらいの、小さな子の両親と話したこともある。
病気の垣根に、玄米黒酢の薄め液を撒いているところに歩いてきたので、
「すみません、これ、薬ではないので、お酢なので、心配ないです」
小さな子供を連れているから心配かなと思って言うと、
「あ、大丈夫です。お酢の匂いします」
二人で笑って言う。とてもセンスのよい着こなしをした、若いカップル。ファッション雑誌から、抜け出してきたよう。
「これね、大丈夫だからね」
手を引かれた子供にも話しかけると、私の方にどんどん近づいてくる。よちよち歩き。
ちょうど鋏を取りに中に入るところで、門の中に入ろうとすると、一緒に入ってきそうになって、
「あらあら」
お母さんがふわっと抱き上げた。
お父さんがすぐ横に寄り添って、二人の笑顔が眩しいくらいだった。

2018年7月27日金曜日

颯木あやこさんの朗読会、『Pegasus! vol.4』のトークゲストにお招き頂きました

颯木あやこさんの朗読会、『Pegasus! vol.4』(9月30日、高円寺Grain, 15:30開場、16:00スタート)のトークゲストとしてお招き頂くことになりました。
颯木さんご自身の詩の朗読とダンス、ギター、ピアノのコラボという、贅沢な朗読会。
トークでは、 新詩集『私の知らない歌』をご紹介頂いた後、上田敏の訳詞で有名なヴェルレーヌの「秋の歌」における、日本語で読んだ時はわからない前衛的な試みについてお話ししたいと思っています。
ちなみに、ヴェルレーヌの詩についての研究で私はパリ第三大学で博士号を取得、博士論文は数段階ある評価のうち、一番高い評価(Très honorable avec félicitation à l'unanimité du jury「審査員全員一致での『とても誉れある』、審査員からの祝福と共に)(←この評価の表現は直訳するとフレンチのメニューみたいでなんだか可笑しい)を頂き、フランス北部の出版社「Presses universitaires du Septentrion」から、「博士論文アラカルト」シリーズ(←これもメニューみたいで可笑しい)の一冊として出版されています。
https://catalog.princeton.edu/catalog/2432237



2018年7月23日月曜日

大明気功院の気功講習会に行ってきました

一昨日は大明気功院の講習会に二人で行ってきました。「夏季養生」の三回目。夏にどんなことをすると後々病気になるか、熱中症を防ぐには、などを気功の観点から勉強。
 講義の後は「大雁功」(64の型を続けて約5~10分でやる気功法)のレッスン。気功は体操とは違うから気をつけるところも体操とは違う。青島大明先生が情熱的に、しかも優しく教えてくださるのでとてもためになる! 
 講習会の後はみなとみらいのQueen's squareに行き、ゲウチャイのタイ料理で夕ご飯。安くて美味しい!

2018年7月22日日曜日

大木潤子の『私の知らない歌』(思潮社)について瀬崎祐さんがブログに書いてくださいました

大木潤子の『私の知らない歌』(思潮社)について、「[…] 言葉の引用だけではこの詩集の有り様を伝えることは出来ない。なぜなら、この詩集では、余白を読む、という行為も求められているからだ。あるいは頁を繰る動作そのものも含めて作品化されている、といってもいいのかもしれない […]」との嬉しい評を、瀬崎祐さんが、ブログ「瀬崎祐の本棚」に書いてくださいました。
とても嬉しいです。瀬崎さん、有り難うございます!
https://blog.goo.ne.jp/tak4088

2018年7月16日月曜日

「大磯便り」更新:今を去る6月28日、百舌鳥の大群が家の前にいて怖かった時の話

以下の文章をアップした後で、写真の鳥はムクドリではないかというご指摘を頂きました。黄色い嘴と黄色い脚、どうもムクドリのようです。ムクドリは日本全国どこにでも一年中いる鳥で、ムクドリを百舌鳥と勘違いして大騒ぎしていたようです。とんだ笑い話です。
以下は最初にアップしたままの文章です。

*********

 朝刊をとろうとして玄関を出ると、家の前を走る電線に、鳥が無数に群がっていた。烏よりは小さいが、雀に比べれば遙かに大きい鳥で、平行して二本三本と走っている電線の上にびっしり並んでいる上、留まる場所を探しているのか、電線の近くを忙しげに飛び回るのも何十羽といる。気持ちが悪い。大地震とかあるんじゃないか。
 新聞はとらずに、急いで玄関の中に戻り、
「ちょっと、廊下出て窓の外見て。すごい鳥。気持ち悪いよ」
 とTに声をかけるとすぐ返事があって、Tが二階の廊下に出る気配がして、
「ほんとだ。何だろう」
 Tもおかしいと思ったようだ。
「たぶん百舌鳥だと思うんだよ」
 昨日、ギャー、ギャー、と、鋭く鳴く声を聞いたのだ。晩秋ならいざ知らず、梅雨の真っ盛りという時期に百舌鳥の声が聞こえるのは変だと思っていたのだった。しかし昨日は一羽が鳴く声を一回聞いただけだったけれど、今日のこの数は何だろう。私も二階に上がって廊下の窓から見ると、電線に並んだ百舌鳥たちはいかにも、長旅の後やっと一休みできる、という風情で、片方の羽を持ち上げたり、首を百八十度後ろに向けたりして、体のあちこちにしきりに嘴を突っ込んで身繕いしている。これまでずっと、できなかった分を取り返そうとするかのようだ。やれやれ、やっとここまで来た、と言う百舌鳥の声が聞こえそうだ。
「写真撮れば」
 Tに言われて大急ぎでカメラを取りに下に行き、また上に上がる。急いでシャッターを押すと、電線の上に並んだ百舌鳥はとても小さくて、数も少なく見える。
これだと余り怖くない。たぶん、雀と見分けがつかなくなるからだろう。鳥の大きさがわかるように、ズームをかけて撮らないとだめだ。数は写らなくても電線の太さとの比較で、大きな鳥だとわかる。それを何枚も撮れば、事態の異様さが人にも伝わるだろう。
 ズームをかけて、一羽だけ撮ってみる。ねずみ色の冴えない色調、ぼさぼさした羽毛、やっぱり百舌鳥だ。電線の上の百舌鳥が一羽、梅雨空を背景にグレーの濃淡で撮れていて、なんだかどこかで見た絵だと思うと、そうだ、宮本武蔵の描いた水墨画だ。
今度は家のすぐ前の電柱の、碍子の上に並んでいる二羽にカメラを向ける。しきりに身繕いしていて、嘴を羽の中に突っ込んでいるから丸い塊になってしまって鳥なのか何なんかわからない。顔を上げた瞬間を狙ってシャッターを押す、撮れた。再生画面にして見ると、碍子の上の二羽が揃って右を向いている。
するとこれもなんだか、水墨画みたいだ。なんだか可笑しくなってきた。
 百舌鳥に飽きて部屋に戻り、パソコン画面を見ているTに、
「ねえ、見て。写真撮ったんだけどさ。水墨画みたいになっちゃう」
 見せるが、大して興味もなさそうに眺めてすぐまた、パソコン画面に戻ってしまう。
「なんかあったじゃんねこういうの、宮本武蔵? 百舌鳥だからさ、写真撮ると水墨画みたいになっちゃう、これも見て」
 二羽が同時に右を向いている写真も見せたがTはもうすっかり百舌鳥には興味がなくなってしまった様子だから、
「地震来るかもよ。東日本大震災の前にも来たんだよ百舌鳥」
 脅かすように言うまた少し興味を引かれたらしく、
「そんで、どのくらいで来た地震?」
 訊いてくる。
「百舌鳥来たのは夏。夏来たから変だと思ったの、普通秋じゃない百舌鳥来るのって? ギャーギャーって言うの聞こえるとさ、ああもう秋だなあって」
「晩秋だよな」
「もう、冬になるなあって感じするよね百舌鳥鳴くと」
「夏に百舌鳥が来てそんで翌年に地震じゃあ何にもわからないじゃん。そんなに時間空いちゃあ」
「でもさあなんかあるなって思うじゃん。家具固定したりとかできるじゃん」
「それじゃあだめだ、すぐ来るのがわかんなきゃあ予知にはならん」
「ここ来たっていうことはさ、元いたところが危ないってことだよね、元いたところに来るのかもね地震」
「どこいるんだ百舌鳥って夏」
「どこだろうねえ。晩秋にこっちくるんだから寒いところ? ここも、このままいれば安全ってことだろうけど、またいなくなったら危ないね。一休みしてるだけで、また行くかもねどっか」
「危ないなあー」
 適当に答えて、パソコン画面を眺めながらキーボードを叩いている。フェイスブックにでも写真を載せて、警告にしようと思ったのだったけれど、写真は水墨画みたいで迫力ないし、時間に幅がありすぎて予知には役立たないし、写真を載せてもデマを流すことにしかならないかもしれない、などと考えながら私は階段を降りて、玄関を出て朝刊を取りに行く。
 

2018年7月15日日曜日

平居謙さん主宰の合評会に参加してきました

昨日は平居謙さん主宰の合評会「とりQ」に参加してきました。合評会の後は神楽坂で納涼会。三時間近くみっちり詩を読み、詩について話し合い、お酒飲みながらも濃い詩の話、実に充実した時間でした。平居謙さん、有り難うございます!!

2018年7月13日金曜日

垣根の大手術終了!

今日は垣根の大手術、8回目。午後から夜暗くなるまで頑張って遂に!! 全体の丈を大幅に詰める作業が終わりました。
剪定の本を読んで、太い枝や幹の切り口には保護剤を塗るということを勉強しました。日本製の保護剤だと6ヶ月おきに塗り直さないとならないらしく、ドイツ製のだと2~3年おきでいいらしいので、ちょっと高かったけれどドイツ製の保護剤を使いました。頻度が5~6分の1になるので、お値段もそんなに変わらなくなるのかも。日本の製品も、もっと、長持ちするようになるといいのに・・・。
写真は今回さんざんお世話になった保護剤(2チューブ目)、今日切った切り口、保護剤を塗ったところ、この夏初めて見つけた蝉の抜け殻です。




2018年7月7日土曜日

江田浩司さんが「みらいらん」に『石の花』と連れ合いの『惑星のハウスダスト』について書いてくださいました

「みらいらん」夏号、江田浩司さんが連載「私の読んだ詩集のお話。Ⅱ」で、拙詩集『石の花』を、詩集の言葉の中に潜り込むようにして論じてくださっています。連れ合いの「惑星のハウスダスト」も、緻密に論じてくださり有り難い限りです。
とても嬉しいです!江田浩司さん、有り難うございます!



2018年7月6日金曜日

柴田千晶さんが神奈川新聞に拙詩について書いてくださいました

昨日(7月5日)の神奈川新聞に、柴田千晶さんが拙詩「埋められた者が/埋められたまま/輝く」他五篇について、とても精緻な評を書いてくださいました。杉中昌樹さんの「ポスト戦後詩ノートvol.10 大木潤子特集」に寄せた詩です。とても嬉しいです。柴田千晶さん、有り難うございます!!
頂いた評と一緒に、「ポスト戦後詩ノート」の詩篇も再掲します。



2018年7月2日月曜日

弦楽四重奏団Less is more のコンサートに行ってきました

昨日は珍しくコンサートに行ってきました!
Less is moreという、芸大出身の若いアーティストによる弦楽四重奏団。作曲家の多田泰教さんが、ご出身地の熊野の風景にインスピレーションを受けてつくった曲を中心に、時にピアノや鍵盤ハーモニカ、ハンドクラップも交えてのとても斬新なコンサートでした。ハンドクラップでの客席の参加もあり! 5拍子、7拍子、11拍子など、とにかく拍子が面白くて、それぞれの楽器が違う拍子で同時進行するのはさながらリズムの対位法。スリリングな時間を過ごしました。音色がふくよかで、柔らかで豊かな振動が体に響いてきて、生演奏の醍醐味を味わいました。次回、7月19日のチラシももらったのでアップしておきます♪