2018年10月6日土曜日

平田俊子さん脚本の『竹取』(世田谷パブリックシアター)が凄い!


平田俊子さん脚本、小野寺修二さん構成演出の世田谷パブリックシアターの公演・現代能楽集Ⅸ・『竹取』に行ってきました! 
音楽・阿部海太郎さん、出演・小林聡美さん、貫地谷しほりさん他。

とにかく刺激的な舞台! 今日この舞台を観たことは私にとって大きな出来事になりそうです。

平田俊子さんがSNSで、稽古を重ねるにつれて平田さんの言葉がどんどん削られていく、と書いていらしてので、あんまり少なくなってしまうと寂しいな、と思っていたのでしたが、観てびっくり。

随所で朗読のようにして読まれる詩は、遠い月から送られる光をまとうかのような言葉で、心を深く貫いてきます。「竹取」とは全く関連のない、平田さんの既刊詩集からの作品も読まれ、「竹取」との内容のギャップからシュールな空間が立ち上がってきました。

 一方で、まるで無言劇、もしくは舞踏のような舞台も続くのですが、言葉のない「余白」の隅々に、平田さんの言葉が光となって浸透しているのでした。舞台そのものが平田さんの詩でした。

紐、布、額縁、畳、障子といった「物」が、幾何学図形のように抽象的に使用されて動いていく舞台はまるで宇宙の縮図のよう。TwitterFBで平田さんが発表していらして、私が非常に心惹かれ、何度も繰り返し読んでいた「竹取」の原詩の一部

「光は静かに呼吸していた。 竹林の中でもひときわ立派な竹の内側で 生き物のように 膨らんだり縮んだりを繰り返していた。 のぞくと目のくらむような光のかたまりがあった。 光は外に出たがっていた。 わたしは光をすくって家に帰った」

が、一度言葉であることをやめ、空間、そして時間に変容したかのように感じました。

他にも印象的だったのは、平田さんの言葉遊びが、舞台の上で、更に輝くこと。言葉遊びは笑いを誘い、書き手と読み手とをつなぎますが、詩の場合は、書き手が書いた時間と、読み手が読む時間との間にずれがあり、つながりがはっきり目に見える形にはなりません。けれど舞台の上での演じる側と観る側とが同じ時空に存在しているので、言葉遊びは、笑いを誘った瞬間に、演じる側と観る側との間の境をなくし、両者をつなぐのですね。言葉遊びには、演じる側と観る側との間にある見えない幕を取り去り、舞台(フィクション)と、観客席(現実)とをつなぎ、一体化させる効果がある。非常に面白くて、興奮しました。

主演の小林聡美さんの、目の光だけで劇場空間を染め上げるような演技にも圧倒されました。歩いたり、座ったりするだけで存在感があり、凄い俳優さんだと思いました。貫地谷しほりさんのかぐや姫も、時に妖艶、時に蓮葉で、新しいかぐや姫像を提出していると感じました。

宝生流シテ方の佐野登さんの能も凄い存在感。お能には以前一度はまって国立能楽堂に足繁く通ったり自分自身謡と舞を習った時期があったのですが、最近は自宅が不便な場所にあることもあって、すっかりご無沙汰していました。が、また行きたくなりました。

「現代能楽集」のシリーズなだけあって、実際に能楽者が演じたというだけでなく、抽象的で幾何学的な舞台に、能と狂言のエッセンスを感じました。一方で、構成・演出の小野寺修二さんがマイムから出発なさった方で渡仏経験もおありだからか、フランス演劇の舞台の香りも感じ、もう30年も前に観たマルセル・マルソーも思い出しました。

とにかく刺激的な舞台。前売りは完売していましたが、当日券分があるようです。今日は立ち見も出ていました。今日が初日で、1017日まで公演が続くようです。
お勧めです!
 

 

 

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