2018年9月24日月曜日

平田俊子さんが共同通信で書いてくださった『私の知らない歌』評

平田俊子さんが共同通信の詩書月評欄「詩はいま」に書いてくださった『私の知らない歌』評が、8月下旬から9月上旬にかけて、全国の地方紙に掲載されました。「詩句が記されたページを有限の時間、空白のページを無限の時間ととらえれば、生と死は文字通り表裏一体だ」
私は平田さんが「現代詩新人賞」でデビューなさった時以来の平田ファン! 平田さんの第三詩集『夜ごとふとる女』には特に衝撃を受け、この詩集を読んでいなかったら私は詩を書き続けていなかったかもしれないと言っても過言ではないのです。
その平田さんに今回、御評を頂けて感激です。
平田さん、有り難うございます!!
平田さんのご承諾を得て、全文を書き起こさせて頂きます。

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前詩集「石の花」(思潮社、2016年)で新たな作風に挑んだ大木潤子(おおき・じゅんこ)さんが、「私の知らない歌」(同)で飛躍を遂げた。
 前詩集の3倍以上、およそ480ページの本書。なかなかのボリュームだ。見開きの右ページはすべて空白で、左ページにだけ言葉が並ぶところや、語の数が全体的に少なめなところは前詩集と同じ。読み手は常に空白を意識しながら、詩句を読むことになる。わずか1、2行のことも多い詩句の受け止め方に、空白は影響を及ぼすだろう。
 幕開けは「箱を/崩す」という、不穏な2行4文字だ。2ページ先に「鳥の/羽根が/舞う」、さらに2ページ先に「鳥は/いない―」という語句が待ち受け、不穏な空気に拍車をかける。崩したのは鳥の巣箱だろうか。誰の手で?
 Ⅰ~Ⅴの五つのパートで構成される。詩集の中を自由に飛び回るように、ⅠとⅡでは「鳥」のイメージが何度も現れる。Ⅲ以降は「骨」「光」「点滅」「虹」などが繰り返し使われ、印象に残る。
 地上と天空を行き来する鳥に、著者は生と死を往還する使者の役割を担わせたのだろうか。そんなことを思うのは、本書には死の気配が漂うからだ。滅びることの喜び。崩壊に向かうことの快感。そういう危うく甘美なものをこの詩集は内蔵している。詩句が記されたページを有限の時間、空白のページを無限の時間ととらえれば、生と死は文字通り表裏一体だ。「いなくなった/鳥の声がして/ふりむくと/自分も/いない」(「Ⅱ」)
 

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