2018年5月30日水曜日

朝吹亮二さん特集号に寄稿しました


杉中昌樹さん編集発行の『ポスト戦後詩ノートvol.13』の、待ちに待った朝吹亮二さん特集が出来上がりました!! 充実の特集号!!
私は「『終焉と王国』その燦めきと深さと――言葉による、言葉の死の表記へーー」を寄稿しています。
二十代の時から心酔してきた朝吹亮二さん特集なので、心血注いで!!書きました。
杉中さんから、拙稿の、ネット上へのアップをご快諾頂いたので、スキャンしたものと、本文の両方をアップします。
20代~30代の頃はもっぱら『密室論』『opus』 が好きだったのですが、最近になって漸くその凄さが近く感じられるようになってきた『終焉と王国』を読み込み、『密室論』『opus』へと至る系譜の中に位置づける試みです。渾身の論考!! お読み頂けましたらとても嬉しいです。


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  『終焉と王国』その燦めきと深さと――言葉による、言葉の死の表記へ――               大木潤子                                         



 蒼穹を割る魚は銀に弾ね


これは、朝吹亮二さんの第一詩集『終焉と王国』に収められた最初の詩「ミノトールは碑文を抜け・・・」の中の一行である。この一行を読むだけでも、その美しさに、私の頭の中はくらくらする。
まず、「蒼穹」である。「青空」ではない。「蒼穹」の「穹」の字の中には「弓」がある。この「弓」のイメージが、アーチ状に広がる空を想像させる。無限に続く空ではなく、半球の内部に入って見上げるような感覚が、そこに生まれる。「蒼穹」という、硬質な漢語は空に硬い、鉱物質な光沢も与える。アーチ状に広がった、硬い空を「割る」。硬い空だから、割れる。粉々に割れて、細かい破片が落ちてくる、その時に反射する、無数の燦めきが見える。
「蒼穹を割る」のは誰か。「魚」である。その魚は「銀に弾ね」る。「弾ね」るのであって、「跳ね」るのではない。「弾丸」の「弾」が使われることで、「魚」は生きた弾丸となる。ここに海を表す語はないが、「魚は銀に弾ね」と読む時、私たちの頭の中には当然、海がイメージされる。魚の銀色が映える、濃紺の海。蒼穹の青より青い海の中から突如、銀の弾丸が現れ、二層の青の中を垂直に上がり、蒼穹を割る。魚の体が反射する銀の光と、割れた蒼穹の破片の青い光とが交錯する。
たった一行、十一文字が、これだけの豊かなイメージを内包している。これを、大学二年生の少年が書いたと知って、驚かない者はいないのではないだろうか。
私は若い頃、朝吹亮二さんの詩、特に『opus』と『密室論』を夢中で読んで、拙いながらも、影響を受けてきた。が、最近になって、第一詩集『終焉と王国』の美しさに魅了されるようになり、再読を重ねている。今回、『終焉と王国』について書きたいと思い、執筆時期などについて朝吹亮二さんに伺ったところ、 一九七九年に初詩集を出す際に、一九七二年、朝吹さんが大学二年生頃、初めて詩を書くようになった時から書き溜めたものを、序詩以外はほぼ執筆した順に配列して収録したのだそうだ。冒頭の詩である「ミノトールは碑文を抜け・・・」が書かれたのが大学二年生の時だというのは、間違いがないだろう。
『終焉と王国』の大きな魅力の一つは、「ミノトールは碑文を抜け・・・」の一行にも見られる、ダイナミックな移動の動きである。
あなた/私は、海底から突如、浮上した王国に立ち/断崖から空を裂いた(「夜、想像する…」(12))(注1)
砂漠は空を飛んでゆき/緑しげる丘にあわさる(「砂漠は空を飛んで…」(19))
きらら、氷河を飛翔していったのは一羽の/赤い線のような白鳥(「太陽がしたで黒く…」(25))
広大な空間を上に、水平に、或いは下方に切って移動するベクトルと、鮮やかな色彩の対照とが、若き詩人の第一詩集を、まばゆい燦めきで輝かせる。しかし多方向に渡るさまざまなベクトルの中で、特に注目したいのは、下方向へのベクトルである。「落ちる(おちる)」、「降る」、「くだる」といった、下方向への動きを示す語は非常に多く、動詞「沈む」が現れる頻度の高さは特に顕著である(注2)。
水晶に沈んでゆく、ゆるやかな/傾斜が始まる(「秋の都会の冷たい…」(11))
井戸は沈んでゆく遙か水銀の凍るまで(「沸騰して裏返った地表に…」(15))、
下方へ、下方へと向かう詩人の意識が辿り着くのは遙か地層の下に眠る鉱物たちであろうか。実際、『終焉と王国』の燦めきは、水晶の、水銀の、そして玻璃の、硝子の透明な輝きであり、一方でまた、石や砂、青銅や鉛の返す鈍い光でもある(注3)。
玻璃のように明るすぎる(「裏の寺の鐘はじつに不規則…」(14))
海の金属/青銅(「黒い麻、昏い…」(23))、
硝子、薄い氷河にかこわれつづけ(「獣よ急げ…」(35))、
地下へ、海底へと向かう意識(「花言葉は失われる地下へ降りてゆけば」「昏く、円盤の回転も遅く、地下へ降りてゆけば」(「花言葉は無音だから…」(22))、「海底に微光あふれ、」(「海底に微光あふれ、緑色に…」(21))は、今・ここではない遙か遠い時間、人間がまだ存在していなかった遠い過去へと遡っていく。詩人が「魚」と「鳥」を特に好むのは、それらの生き物の中に、人の知らない遠い時間が刻み込まれているからかもしれない。
薔薇のように蒼い羽をかくす女 /洋梨のように燃える、尾をかくす女/おまえは線の憂鬱のなかで/鳥類の奇形な跡をのこして/屹立する/時の黄金は、降りそそぐ血の雪に洗われ/女を魚の名へ還元する(「薔薇のように蒼い羽を…」(29))
地下へ、人類が存在していなかった遠い過去へと向かう詩人の意識は更に、かつて生命であったものが永い年月を経て鉱物と化した形態や、火の力によって炭化した形態を理想化しさえする。そしてそれは、人間であることをやめ、「こころをもた」ない存在になることへの希求と結びついている。「鳥」「木炭」「人型」という三つの単語は、あらゆる時期を通しての、朝吹詩を理解する上でのキーワードだと思うが、第一詩集において特に、「木炭」「石炭」が、あらゆる存在形態の中でのひとつの理想として立ち現れていることは特筆に値する。比較的早い時期に書かれたと考えられる「もはや不愉快な季節はない…」(16)では、「人のこころをもたず」「いっこの人の形だけにな」るところに「祝いもの」が現れ、その状態が木炭と石炭に比される(「どれほどの//木炭や石炭なのか」)。「木炭」と「石炭」は「もはや不愉快な季節はない…」とほぼ同時に書かれたと考えられる「誰れが聞く…」(18)の末尾にも現れ(「木炭と石炭//木炭と/石炭」)、最後から五つ目に配置された詩「最良の方法は眠った…」(36)では私たちは、「ひとになってはいけない、ひとに//[…]ひとよ、なぜ/木炭や石炭になれぬのか」という、驚くべき詩行に出会うのである。
 人間でなくなることへの希求は更に、人間だけが享受する「言語」の否定へ、そして言語が織る物語の否定へと、詩人を誘う。
 
 星々、風の銀河へ! 裂けよパピルス!(「わずかな喜びが持続して無に至る程の生のわ…」(28))
 とおくの空で漂っている意識を/室内で焚いてゆく、物語なく(「球形にもりあがった…」(37))
 岩石となれば/決してふたたび姿をかえる/コトハナイ(「おお溶岩…」(37))
「コトハナイ」の中に、「言葉ない」が隠れていることに注目したい。「石まがい」となり、「岩石」となりおおせた「獣のまま無機質な物体が/惑星に通底する」とき、「木炭/石炭は動か」ず、「その形のまま/どこまでもまっさおな/交信をつづけている」(「おお溶岩…」(37))。「どこまでもまっさおな交信」、これは「木炭/石炭」の、言語ではない言語、言語を超えた言語とは言えないだろうか。『終焉と王国』に「古代」という単語が現れるとき、この単語はだから、歴史学ではなく、地質学の文脈で使われており、人間のまだ存在しない太古の時を表している(注4)。そして「王国」は、言語と文字を司る人間の世界を示していると考えられないだろうか。
 『終焉と王国』。タイトルの始めに終わりがある(注5)。この詩集に漂うのは、言語の終わりを告げる鳥の、不吉な予感だ。
黒土に刻んだ文字は腐蝕し/鳥らのかたちを残したまま(「前紀より…」(25))
この予感はその後、第二詩集『封印せよ その額に』を経て、「ここに物語はない、物語の/名はない、さんざめく潮のみちひきのように/閉ざされるものも/ない」で終わる『opus』、「/ない/と響くのではなかった/か」で閉じられる『密室論』へと受け継がれ、言葉による言葉の死の表記へと展開されてゆく。既に語は『終焉と王国』において、語としての機能を脅かされ始めてはいなかったか。「とりもどす」がスラッシュで切断され「とり/もどす」となりそこに鳥の姿が現れ(「砂漠は空を飛んで…」(19))、「黄道」が「尿道」と韻を踏みおかしみと共に無意味が生まれ(「洋梨とは何の…」(20))、音と形の類似から「皿の縁」が「皿の血」を呼ぶ時(「一輪をくわえた鳥の…」(32))、シニフィアンは本来結びついていたシニフィエと断ち切られ、詩語の海の中を漂い始める。音と意味との断裂は将来、『opus』『密室論』における、平仮名のみで表記された、あるいは語群が単語の途中でスラッシュにより切断された詩篇の持つ危うさ、不吉さへと展開されていくだろう。「意味の半分はもうこちらのものではない意味の半分はすでに失われている意味の半分は消えかかりそれでもかすかにきりりぴりりぴきぴき蔓ののびちぢみ時間ののびちぢみひきのばされるもののなかでゆっくりとながれる性愛のあまい鳥語」(注6)は、第一詩集『終焉と王国』の中にその萌芽を見ることができるのである。
***注***
注1 以下、括弧内の数字は『現代詩文庫 朝吹亮二詩集』(思潮社)の参照頁を表す。
注2 「沈む」という動詞は次の詩行にも現れる:「都市ごと沈んでゆく横揺れから、鳥は飛びたち」(「序詩」(10))、「耐えがたいほど強度な音から吹いてくる風に沈んで/赤い、落下しながら楯をかまえている一個のアマンドもどき」(「洋梨とは何の…」(20))、「熱い不聞と錯綜した探索に沈んでゆく」(「花言葉は無音だから…」(22))「都市が真っ赤に沈めば」(「都市が真っ赤に焼ければ、碍子の…」(28))、「その豊穣へ石を抱いたまま沈み」(「百合が重く落ちれば…」(28))、「ひとつの凍りきった魚のような重力に/耐えかねて沈んでゆく」(「一輪をくわえた鳥の…」(32))(傍線大木)。
注3 鉱物質な光のイメージは次の詩行にも見ることができる。(「水晶に沈んでゆく」「白い砂をすぎてきた女の濡れたくちへ」「都市の硝子は停止」、(「秋の都会の冷たい…」(11))、「井戸は沈んでゆく遙か水銀の凍るまで」(「沸騰して裏返った地表に…」(15))、「時の白い雲母に覆われ、」「あらゆる硝子を砕いたように」(「棄てられた裏の…」)(15)、「腰よりも細い街路の硝子」(「花はそれゆえ速度に…」(22))、「水晶は/あくまで/幻想でしかなく」(「蓋をされた昏い日曜の…」(23))、「重い鉛の河は遠くで氾濫し」(「太陽がしたで黒く…」(25))、「水晶のような黄色の水泡のなかで髪を」(「祝いごと、祭りごと…」(29))、「硝子のように蒼くはない、でも」「水星、梨のような赤い/印象をあたえる水晶、よく笑う」(「おまえの氷河、指が燃えてしまう薄い瞼まで…」(30))、「石の白い砂」(「一輪をくわえた鳥の…」(32))、「火山にまつわる七色の硝石を埋め」(「始まりおわらない…」(39))
注4「都市の秋は古代の/海」(「秋の都会の冷たい…」(11))、「河に朝、鳥類の古代の跡がつけられる」(「黒い麻、昏い…」(23))、(「化石となれば、水脈、弾ね/速度の化石となろう/[ …]古代の/水を飲む」(「永いこと銀河の無音に耐え…」(35))、「風だけが古代の唄を/唄の形だけを刻んでいる」(「始まりおわらない…」(39)」
注5「始まりおわらない」「始まってはいてもつねに終わっている」「始まれば終わる」「終わりが始まろうとして/止まない」(「始まりおわらない…」(39))
注6『密室論』、七月堂、一九八一年、三十三頁





 
 

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