2017年9月4日月曜日


「後ろに流れる街灯」




8月30日の朝、布団を干していると、
「ピンポーン」
と、インターホンの子機が鳴るから、出ると、ヤマトの宅配だった。
 今日は、何も着く予定がない。何だろう、集金かな、などと思いながら玄関を開けると、細長い箱を持ってIさんが立っている。ヤマトのIさんは、私たちが引っ越してきた時、古いエアコンを処分するのも手伝ってくれた親切な人だ。最近担当地域が変わって、あまり来なくなってきていたのだが久しぶりだ。
「今、どこ回ってるんですか」
「この、後ろの山の向こうを」
などと話ながら、ハンコを押して、受け取る。
 さて、何だろう。
 送り状を見ると、Aさんの名前。
  Aさんからは以前もお菓子を送って頂いたことがある。今回は何、この形はワイン? でもどうして?
「なんか、Aさんから贈り物届いたよ」
二階で書き物をしているTに声をかける。
「Aさん? 何でだろう」
「添え状あり、って書いてあるよ」
 Tが階段を降りてくる。
 箱を開けると、やはりワインで、白ワインだ。添え状に、ご本のお礼、云々、と書いてある。
「『日本の起源』のお礼みたいだ」
「ええー本送ってお礼?」
 本の感想も書いてある。
 著書を送って、送った相手の著書が送られてくることはあるが、ワインが送られることはまずない。何だか有り難い。ワインのラベルを見ると、Macon Vergissonとあって、上にDomaineの名前が書いてある。
「Maconだ」
「ブルゴーニュじゃんね」
「Domaine×××」
「ただのBourgogne,とか、Macon、とかいうんじゃないじゃん。いいのこんなのもらって。前も何かくれたよねAさんお菓子」
「あれは詩集あげた時だ」
「詩集あげてお菓子くれて本あげてワインくれるなんて」
「よっぽど気に入ってくれたのかな。お礼の葉書書こう。遅くなっちゃうかもしれないけど」
「メールは? 早いよ」
「メールはね、返事ない人なんだ。メールは返事来ない」
「へえ。そうなんだ。じゃあ葉書書いた方がいいね」
「大事に飲まないとね」
「そうだね」
「何かお祝いある時に飲もう。何かある近いうちにお祝い?」
 聞かれて、思い出した。今日は8月30日。二人がフランス留学で、パリの空港に着いた日からちょうど27周年。
「今日、8月30日。上陸記念日だ」
「何だ。上陸記念日か。じゃあ祝わなきゃならないじゃない」
 茶目っ気たっぷりにTが言う。
 パリにいた間は、「フランス上陸記念」と称して、毎年8月30日を祝っていた。が、日本に帰ってからは、フランス上陸を祝うことに意味がなくなったような気がして、祝わなくなっていた。が、最近また、懐かしくなって、時々祝うことがあった。今年はばたばたしていて、すっかり忘れていた。
「でも、やることいろいろあるし。何にも用意してないから料理ができない」
 私が言うと、
「わかった。じゃあ、Jに任せる」
 ふざけたような調子でTは言って、二階に戻っていく。
私はあたあたとまず、冷凍庫の中を見る。
今晩はチヂミ風にニラを入れたお好み焼きの予定だった。今週は金曜日に昼間出かける用事があるから、お好み焼きを二回分作って一回分冷凍して、出かけた日に帰ってきてすぐ食べられるようにしようと思っていた。今日お好み焼きつくらなくても何か冷凍してあれば。あ、モロヘイヤのカレー。玉ねぎとトマトを炒めてつくったカレーの素と、ゆでたモロヘイヤとでモロヘイヤカレーのセットにして冷凍してある。これがあれば金曜日何とかなるかも。
 次に冷蔵庫。ニラは元気か。今日使わないと駄目になるようだと、今日はやっぱりチジミお好み焼き。出してみる。お、大丈夫そう。
 じゃあ今日、何がつくれるかな。茄子、トマト、ピーマン。ラタトゥユいける。ズッキーニないけど、人参で代用しよう。でも前菜は? 小松菜があるけど。小松菜かー。洋風にアレンジ難しいな-。Betteみたいにニンニクとバターで炒めても、いまいちなんだよなー。あ、ポタージュは? じゃがいもと玉ねぎと一緒にバターで炒めてミキサーかけて。ポタージュにしてみようか。うちは夜は動物性タンパク質摂らないから、あとはチーズがあればOKだ。
 ここまで決まると私は階段の下に行く。
「あのさあ、冷蔵庫見たらさあ、ポタージュとラタトゥユで行けそうなんだけど。まだ早いからパンも焼けるんだけど。そんで今日、P商店来る日だからさ、電話してBrieとか持ってきてもらえば、Fête(パーティー)できるよ。どうする?」
大声で声をかけると、
「なんだもうできてんじゃないか献立。任せます!」
 また、ふざけた調子で返事が返ってくる。
 私は大急ぎで電話に向かう。短縮の一番でP商店。うちは駅から歩いて二十分たっぷりある立地にあって、途中にもマーケットはもちろんコンビニもない。不便なところだが、町全体に商業施設が少なめだから、食料品店の配達サービスが充実している。今日はP商店が牛乳とヨーグルト、野菜を持ってきてくれる日だからついでにBrieを頼んでみよう。いつも美味しそうなBrieを置いている店だ。電話はすぐに通じて、Brieを持ってきてくれるように頼む。すると・・・
「すみませんちょうど入れ替えの時期で。Brieないんですよ。明日入るんですけど」
 いつも配達してくれるQさんのお嬢さんが電話に出て、申し訳なさそうに言う。Qさんは郵便局の配達員を五十年勤め上げて定年退職した人だ。配達時間やおつりの確認などものすごくしっかりしていてその上感じがいい。そのお嬢さんもまたすごく配慮が細やかで、アボガドの熟れ具合まで確認してから届けるようにしてくれる。
「ああ~、そうなんですか~。Brieないんですか~。いつも美味しそうなのがあるから絶対あると思ったけどそうですよね、入れ替えの時期もありますよね。そしたらカマンベールは」
「すみません、カマンベールもちょうど切れてて。これも明日入るんですけど」
 うわー、残念。Fêteは無理? と、がっかりしながら、
「じゃあ何か他に、何でもいいので、フランスのチーズないですかね」
と尋ねると、
「実はBrie、全然ないっていうわけじゃあないんですよ。賞味期限切れのならあるんですけど。すごく古いのが好きっていうお客様がいらっしゃるので、そういう方が見えた時のために奥の冷蔵庫に一応とってあるんですけど。半額なんですけど」
 Qさんのお嬢さんが言う。
 賞味期限切れ。微妙だなあ。Tは、熟し切ってお新香みたいな匂いのチーズが好きだけど、私は若い方が好きだ。
「いつなんですか賞味期限」
 尋ねると、
「それが、」
 くすくす笑いながら、
「8月6日なんです」
うーん。今日が30日だから。賞味期限が切れてから24日。大丈夫か。迷っていると、
「カマンベールも、あることはあるんですけど賞味期限切れのが」
 若い、綺麗な声で言う。
「それはいつなんですか賞味期限」
「ええとこれが、ちょっと待ってくださいね」
一瞬確認に行って、
「8月16日ですね」
 笑っている。
 期限が切れて二週間。Tはそういうの好きかも。でもなー。と悩んでいると、
「あ、小さいのならありますカマンベール。賞味期限内のが。」
 明るい声で言う。プチカマンベールとかだろうか。どんなのか聞いてみる。
「プレジデントっていうのと、」
プレジデントかあ~。これは大量生産品で、フランスの学食で個包装のがよく出てきた。あんまりイメージ良くない。
「あと、他にも二種類あります。緑の箱のと、オレンジの箱のと」
「なんていうメーカーですかね」
「ええと、ジェラールっていうのと、あと、ヴァリエール?っていうのと。フランス直輸入、って書いてあります。ヴォージュ地方の生乳を100%使ったクリーミーな味わい」
 説明書きを読んでくれる。ジェラール、ヴァリエールっていうのは聞いたことがないメーカーだ。「結構評判いいです。片方が緑の箱で、片方がオレンジの箱で。一つだと600円なんですけど、二つだと850円です」
 カマンベール二つで850円。小さいのみたいだけど、悪くない。それを、牛乳と一緒に持ってきてもらえるように頼んで電話を切る。また、階段の下に行く。
「あのねーBrieなかった。賞味期限切れのならあるって言われたんだけどね、賞味期限8月6日だっていうからやめた。カマンベールも賞味期限8月20日だっていうからやめた。そんで何かプチカマンベールか何か、よくわかんないけど評判いいっていうのがあるっていうから、それ頼んだ。二つで850円だって。それでいい? 何かすごく安い」
 すると二階の部屋から、
「その8月6日が期限のBrieでもいいんじゃないか?」
 と声だけする。
「でもさちょっと怖くないかと思ってさ」
「俺そういう方が好きかも」
「うん、そう言うかなと思ったんだけどさ、8月6日だからね、もう二十日以上経ってるじゃん。傷んでたりすると怖いじゃん」
「傷むもんじゃないだろうチーズなんて」
「でも怖いからやめた。カマンベールも8月20日が期限のあるって言われたんだけどやめた。そんで知らないメーカーのにした」
 すると
「わかった。OK。まあ、万が一っていうこともあるからな」
「じゃあパン焼くね」
「やっぱりやることになったな」
 こうなるのが俺にはわかってたんだ、というような調子で言う声が聞こえる。
 階段の下から今度はばたばたと台所のホームベーカリーに向かう。全粒粉が少なめだから今日は全部白い強力粉でつくることにするか。「フランスパン風」のコースだと焼き上がりまで三時間半かかる。ちょっと遅くなるけどまあいっか。ボウルに粉と塩とイーストを入れて混ぜてから水を入れて混ぜ合わせ、それをホームベーカリーのパンケースに移したらスイッチオン。今夜はFêteだ。

                                             *

夕方。
「おまちどおさま~」
 P商店のQさんが白い発泡箱を脇にかかえてやってきて、商品の入ったビニール袋を箱から出して玄関の上がり框に置く。
「すみませんねーさっきお嬢さんに、お電話でいろいろ聞いちゃってお忙しいのに」
と言うときょとんとしているから、
「チーズのことね、いろいろ細かく教えてもらったの。私がお店に行けばいいのにね」
「いえいえ暑いですからね。全然気にしないでください」
 お札を渡すと、ビニール袋に入れて用意してきたお釣りの小銭を大きな手のひらの上で数えて渡してくれる。Qさんはすごく背が高い。足も長くて手も長い。手のひらも大きい。門が内側から閉まっていても、長い腕を外から差し入れてひょいと鍵を回して開けてしまう。Qさんが来た時は、門の鍵を開けに出ないで済むからちょっと楽だ。
 さて。どんなチーズか。
 いそいそと、白いビニール袋の中を除いて、オレンジと緑の箱を取り出す。
 あれ。なにやら固い。
 見ると・・・
片方は缶詰。片方はビニールの真空パックだ。
 わー、これは・・・。
 また、階段の下に行って、二階で書き物をしているTに声をかける。
「今チーズ届いたんだけどね-。一つが缶詰、一つが真空パックだった」
 一瞬の間を置いて、
「やっぱり8月6日のBrieにすれば良かったか」
「でもねー」
 仕方がない。七時半にパンは焼き上がる。チーズの良し悪しに関係なくFêteは決行。ポタージュを、そしてラタトゥユをつくる。ランチョンマットを敷いて、ワイングラスを出す。その頃にパンが焼きあがるから、切って籠に盛る。さあFêteだ。Tが降りてきて、ワインを開ける。
「これ、どうやるんだっけね」
 Tは不器用だ。手先を使うことが苦手だから私がワインを受け取る。瓶の口のすぐ下のところを、オープナーの先の尖ったところで辿りながら、アルミを破って外す。コルクはTが抜いてくれて、
「さあ、では、J、デギュスタシオンを」
 私のグラスに少量のワインを注いでくれた。
「色は」
「色は、そうねえ・・・」少し掲げて、白い壁に透かして見て、「澄んでる。すごく澄んでる。透きとおった、黄金色」ワインを傾けて、鼻を近づける。
「どう?」
「ハチミツ」
「ハチミツかあ」
「それから、レモン・・・トースト、焦げたトースト。それから・・・干し草、かな」
「干し草かあ。foinだな。」
「なんか、講習会で教わった匂いが全部するよ。しないんだよね大体、焦げたトーストとか干し草とかは」
「じゃあ一口」
 飲んでみる。ずずーと音をさせながら啜って飲んでいいと昔講習会で教わったからその通りにしてみる。複雑な味わいが口に広がるがそれよりも口当たりの滑らかさに驚く。
「なんか、こうして回した時に」ワイングラスを静かに回す。「ねっとりしてるよワインの動きが。グラスに粘り着くみたいな」
 Tも飲み始めている。
「ほんとだ。滑らかだね-。昔あったね貴腐ワインっていうのが。」
「あったあった」
「貴腐ワインで一番安いの拾って買ってた」
「そうそう」
「ちょっとあれに似てる」
「甘いよね」
「甘い。でも苦みもある」
「こんな美味しい白ワイン飲んだことないよ。講習会行ってた時も」
「昔三千円くらいの何本飲んでもみんなおんなじ味しかしなかったなあ」
 なんだか、どんどん飲める。
 八年半前にTが倒れてから、二人でお酒を飲むことがほとんどなくなった。倒れた後、Tはほとんど一滴も、と言ってもいいくらい、お酒を飲めなくなった。大晦日に、日本酒をおちょこで一口飲んだだけで息が苦しくなって、胸の上に手を置いて、用意したすき焼きを前に畳に横になって休んでいるしかなくなるくらい、お酒が弱くなった。外で飲み会があっても、一人だけウーロン茶を頼む。私も、Tが倒れるまではワインの講習会に行ったりしていたのに、お酒が弱くなった。看病と心配で疲れ切ったせいなのか、一口飲んでも、全然美味しく感じられなくなってしまった。
 それが最近、二人とも、少しずつ飲めるようになってきていた。年月が経って、体が回復してきたのだろうか。
「27年経ったんだなあ」
「ねー。27年。びっくりだね。つい昨日のような気もするよ」
 二人でパリの空港に降りたって、入国ゲートをくぐった時の光景を思い出しながら言う。今、自分がゲートをくぐるみたいに、鮮やかな記憶がある。
「全然昨日じゃないよ。ずーっと前だよ。いろんなことがあった」
「そうだね。いろんなことがあったね」
「いろんなこと」の筆頭はやっぱり、Tの病気だろう。そして私の病気も。
「あの時さあ、迎えに来てくれたんだよねCNOUS(クヌース)(教育事業国家センター)の人が」
「そう。最初いなくてさあ。フランスなんていい加減だから来ないんだろうと思ってたら来てくれた」
「そんで泊まったねえ変なホテルに」
「Goblin(ゴブラン)だったな」
「トイレが、部屋の中にあってさ、真ん中に、シャワー室みたいな感じで。そこで用を足すのが気兼ねでさ私、まだ一緒に暮らしてなかったじゃん」
「そんで翌日CNOUS行ったな」
「あれどこだっけ」
「Port-Royal」
「そうだそうだ」
「あの辺はパリでも一番古い通りだろ」
「えっそうだったの?」
「なんていう通りだったかなあ」
「Saint-Jacqueじゃなくて?」
「あれじゃないけどあれと同じくらい古い通り」
 ラタトゥユも食べ終わっていよいよチーズ。
「どうせ、添加物だらけなんだろう」
Tが言うから、箱の、原材料の表記を見る。
「違うよ。何にも入ってない。生乳、食塩、それだけだよ」
「へえ」
 二つ一緒に開けると多いだろうから缶詰の方を開けてみる。ビールみたいにプルトップがあって、それを持ち上げると円形の蓋が外れる。
「逗子でさ、缶詰のカマンベール持ってきた人がいて。H先生が、C’est un fromage mort(それは死んだチーズだ)って言って馬鹿にして見て。」
「H先生かあ。若かったなあ俺らとあんまり変わんなかった」
「24だったよ最初来た時」
「ノルマリアン」
「だよねー。」
「逗子かあ。金持ちだなあフランス人は。あんな家買うんだから」
「みんなが買うわけじゃないよ。H先生も買ってなかったじゃん。Chenierさんがお金持ちだったんだよ。日本人だっているよフランスに別荘買う人」
「Chenierさんって言ったか」
「Chenierさんだった」
 H先生は私たちが大学のフランス文学科二年の時、赴任したフランス人の先生だ。エコールノルマルという、パリの俊才だけが通う学校を卒業したばかりの、若い先生だった。H先生の友達のChenierさんが逗子に別荘を持っていて、何人かの学生を招待してくれた。Tが招待されたのと、私が招待されたのは違う年の夏だったから、その別荘には二人で一緒には行っていない。私が招かれた時、学生の一人が、「カマンベールを持ってきた」と、得意そうに言った。袋から出したのが缶詰のカマンベールで、H先生はそれを手に取って、「C’est un fromage mort」と、ぼそっと言ったのだった。
「H先生亡くなったのいつだった」
「2002年だよ」
「J病気になった後か」
「後だけど、あの時はまだ仕事してた。お別れの会に行って、その後ですごく具合悪くなったの」
「若かったなH先生」
「24歳だったよ来た時。亡くなった時44歳だった。全然変わんなかったよ遺影の写真」
 お別れの会の夜、Tは仕事があって行けなかった。私だけが行った。大勢の人が、H先生の死について語ったけれど、余りに早い死だったから、それが全部劇のようにしか思えなかった。
 白い皮をナイフで剝いて、チーズを食べる。普通のカマンベールよりも、皮がかなり薄い。
「食べられるんじゃないかこれ皮も」
「止めた方がいいよ。フランス人と違うんだよ。昔酷い目にあったじゃん」
 Tはフランス人が皮ごと食べているから真似をして、その後具合が悪くなって大変だったことがある。たぶん、元々持っている酵素が違うのだ。フランス人は大丈夫でも私たちは駄目。フランスにいる時、ブルーチーズでも大変な思いをしたことがある。今日だってだから、8月6日のBrieにしなくてよかった。
「あれ」
「美味しい」
「美味しいねえ」
「これならいいや」
「買って良かった」
「27年かあ」
 27年前の8月29日に成田を出て、シャルルドゴール空港に着いたのが30日の夜九時だった。着いたらCNOUSの、給費留学生受付窓口がある、そこに行けば送迎バスと手配してもらえる、初日のホテルも手配してくれてある、と聞いていた。九時でも開いているのか、と問い合わせたところ、開いていると言われていたが、なにぶんフランスのことだから、本当に開いているのかどうか、半信半疑だった。円形の廊下を歩いて受付を探すと、案の定、シャッターが降りている。
「なんだ閉まってる」
「やっぱり閉まってるじゃないね」
 どこかに人が隠れているはずもないのに、シャッターの降りた受付の周りをうろうろ見回すと、「閉まっているときはこの電話番号に連絡を」と貼り紙があるのに気が付いた。すぐそばに公衆電話がある。古いテレホンカードを持ってきていて良かった。差し込むと、「DECROCHEZ」(受話器を上げろ)という表示が出て、番号を押す。どうせ出ないだろうと高を括っていたら、
「アロー?」
 気の良さそうな男性の声が出た。今着いた、送迎バスを出してもらえると聞いている、と話すと、そこで待っていろと言われて電話が切れる。
 二十分も待っただろうか、まん丸い顔にくりくりした眼の、40歳くらいに見える気さくな男性がやってきて、パリ市内の宿に案内してくれると言う。早足で歩いていく後ろを着いていくと、ガラスの回転ドアの向こうに、白いライトバンが止まっている。送迎バスではない。二人がやっと乗れるくらいの小さい車。その後ろに乗り込む。
「OK?」
 二人を乗せて車が出る、もう十時を回っている、夏だけれど日が沈んでもう夜だ。闇の中を車はびゅんびゅん走る、男性が時々、にこやかな笑顔で振り返って話しかけるから、運転は大丈夫なのかと不安になる、パリの人たちの運転は荒くて日本の高速よりずっと早く走る気がする。闇の中に次々と背の高い街灯が現れては後ろに消えていく、街灯の高さが日本より高い気がする。1990年。それから12年後、自分が病気で、パリでの勉強を活かした仕事を辞めることになるのをその時の私は知らない。PHSの基地が発信する電磁波で反応が起きて、半狂乱で逃げ回る日が来ることをその時の私は知らない。そしてそれから19年後、自分がくも膜下出血で倒れることをその時のTは知らない。
 病院で、今晩は携帯の電源を切らないで下さい、この病気で倒れた人の三分の一がその日の晩に息をひきとりますと医者に言われた。一晩寝ないで病気のことを調べて、8時15分に病院から電話が来た。急いで来て下さいとただそれだけ言って電話は切れた。危篤なんだと思った、隣の駅から病院まで歩いて10分だけれどそれをタクシーに乗った。死に目に会えるか会えないかの10分だと思ってタクシーに乗った。
闇の中に次々と背の高い街灯が現れては後ろに消えていく。
「ねえ、街灯の高さがさ、高くない?日本より」
「わかんない俺、車乗んないから」
二人で窓の外を見ていた。パリ市内はもうすぐだ。
                                          (了)

 

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