2018年10月15日月曜日

バッハ平均律4番プレリュード【自演】


久々にピアノをアップします。総計23年半に及ぶブランクの後再開したピアノ、再開後1年3ヶ月頃、5月18日の録音。ばたばたしていてなかなかアップできずにいるうちに、5ヶ月も経ってしまった・・・。テンポがゆっくりなので簡単かなと思って練習し始めたら、最初の方、かなり運指が厄介で大変でした。


2018年10月14日日曜日

平居謙さん主宰の合評会「とりQ」に参加してきました!

昨日は、平居謙さん主宰の合評会「とりQ」@御茶ノ水に参加してきました! 家にいるとどうしても家事に追われるので、詩のことだけ考える時間を持てるのはとても貴重です。参加者の方々の詩をじっくり読んで意見を言ったり、みなさんの前で自分の詩を朗読して、いろいろ、ご感想を伺ったり、実に勉強になるし楽しい!! 二次会もモリモリ盛り上がりました。次回が今から楽しみ。平居さん、素晴らしい時間と経験を、本当に有り難うございます!!

2018年10月12日金曜日

峯澤典子さんが、『現代詩手帖』10月号詩書月評欄で、『私の知らない歌』を取り上げて下さいました。


 「極限にまで切り詰められた詩語と豊かな余白が生み出す、未知の時空間への旅。ページのこの眩さをぜひ体感してほしい」

峯澤典子さんが、『現代詩手帖』10月号詩書月評欄で、『私の知らない歌』を取り上げて下さいました。

ページを追うに従っての、余白の変容について、非常に精緻な評を書いてくださり、感激しております。現在販売中のものなので、ほんの一部だけ写真をアップします。峯澤さん、本当に有り難うございます。

2018年10月6日土曜日

和合亮一さんが7月26日の毎日新聞で『私の知らない歌』について書いてくださっていました

友人が先日、「これ、潤ちゃんの本の話かなと思って」と、新聞のコピーを送ってくれました。7月26日の毎日新聞夕刊、和合亮一さんの「詩の橋を渡って」のコピーでした。和合さんが、『私の知らない歌』を取り上げてくださっていたのでした。「送ろうと思って切り取ったのにあっという間に2ヶ月以上経っちゃった、ごめん」とメモが書いてありましたが、送ってもらえなかったら気が付かないままでした。
「死を見つめる根源的な詩人の生の眼。そして死を読もうとする私たちのそれを、白い鏡が映し出しているのかもしれない」
大きく取り上げてくださった和合亮一さんに、そして、忙しい中わざわざ送ってくれた知人に心から感謝。

平田俊子さん脚本の『竹取』(世田谷パブリックシアター)が凄い!


平田俊子さん脚本、小野寺修二さん構成演出の世田谷パブリックシアターの公演・現代能楽集Ⅸ・『竹取』に行ってきました! 
音楽・阿部海太郎さん、出演・小林聡美さん、貫地谷しほりさん他。

とにかく刺激的な舞台! 今日この舞台を観たことは私にとって大きな出来事になりそうです。

平田俊子さんがSNSで、稽古を重ねるにつれて平田さんの言葉がどんどん削られていく、と書いていらしてので、あんまり少なくなってしまうと寂しいな、と思っていたのでしたが、観てびっくり。

随所で朗読のようにして読まれる詩は、遠い月から送られる光をまとうかのような言葉で、心を深く貫いてきます。「竹取」とは全く関連のない、平田さんの既刊詩集からの作品も読まれ、「竹取」との内容のギャップからシュールな空間が立ち上がってきました。

 一方で、まるで無言劇、もしくは舞踏のような舞台も続くのですが、言葉のない「余白」の隅々に、平田さんの言葉が光となって浸透しているのでした。舞台そのものが平田さんの詩でした。

紐、布、額縁、畳、障子といった「物」が、幾何学図形のように抽象的に使用されて動いていく舞台はまるで宇宙の縮図のよう。TwitterFBで平田さんが発表していらして、私が非常に心惹かれ、何度も繰り返し読んでいた「竹取」の原詩の一部

「光は静かに呼吸していた。 竹林の中でもひときわ立派な竹の内側で 生き物のように 膨らんだり縮んだりを繰り返していた。 のぞくと目のくらむような光のかたまりがあった。 光は外に出たがっていた。 わたしは光をすくって家に帰った」

が、一度言葉であることをやめ、空間、そして時間に変容したかのように感じました。

他にも印象的だったのは、平田さんの言葉遊びが、舞台の上で、更に輝くこと。言葉遊びは笑いを誘い、書き手と読み手とをつなぎますが、詩の場合は、書き手が書いた時間と、読み手が読む時間との間にずれがあり、つながりがはっきり目に見える形にはなりません。けれど舞台の上での演じる側と観る側とが同じ時空に存在しているので、言葉遊びは、笑いを誘った瞬間に、演じる側と観る側との間の境をなくし、両者をつなぐのですね。言葉遊びには、演じる側と観る側との間にある見えない幕を取り去り、舞台(フィクション)と、観客席(現実)とをつなぎ、一体化させる効果がある。非常に面白くて、興奮しました。

主演の小林聡美さんの、目の光だけで劇場空間を染め上げるような演技にも圧倒されました。歩いたり、座ったりするだけで存在感があり、凄い俳優さんだと思いました。貫地谷しほりさんのかぐや姫も、時に妖艶、時に蓮葉で、新しいかぐや姫像を提出していると感じました。

宝生流シテ方の佐野登さんの能も凄い存在感。お能には以前一度はまって国立能楽堂に足繁く通ったり自分自身謡と舞を習った時期があったのですが、最近は自宅が不便な場所にあることもあって、すっかりご無沙汰していました。が、また行きたくなりました。

「現代能楽集」のシリーズなだけあって、実際に能楽者が演じたというだけでなく、抽象的で幾何学的な舞台に、能と狂言のエッセンスを感じました。一方で、構成・演出の小野寺修二さんがマイムから出発なさった方で渡仏経験もおありだからか、フランス演劇の舞台の香りも感じ、もう30年も前に観たマルセル・マルソーも思い出しました。

とにかく刺激的な舞台。前売りは完売していましたが、当日券分があるようです。今日は立ち見も出ていました。今日が初日で、1017日まで公演が続くようです。
お勧めです!
 

 

 

2018年9月24日月曜日

平田俊子さんが共同通信で書いてくださった『私の知らない歌』評

平田俊子さんが共同通信の詩書月評欄「詩はいま」に書いてくださった『私の知らない歌』評が、8月下旬から9月上旬にかけて、全国の地方紙に掲載されました。「詩句が記されたページを有限の時間、空白のページを無限の時間ととらえれば、生と死は文字通り表裏一体だ」
私は平田さんが「現代詩新人賞」でデビューなさった時以来の平田ファン! 平田さんの第三詩集『夜ごとふとる女』には特に衝撃を受け、この詩集を読んでいなかったら私は詩を書き続けていなかったかもしれないと言っても過言ではないのです。
その平田さんに今回、御評を頂けて感激です。
平田さん、有り難うございます!!
平田さんのご承諾を得て、全文を書き起こさせて頂きます。

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前詩集「石の花」(思潮社、2016年)で新たな作風に挑んだ大木潤子(おおき・じゅんこ)さんが、「私の知らない歌」(同)で飛躍を遂げた。
 前詩集の3倍以上、およそ480ページの本書。なかなかのボリュームだ。見開きの右ページはすべて空白で、左ページにだけ言葉が並ぶところや、語の数が全体的に少なめなところは前詩集と同じ。読み手は常に空白を意識しながら、詩句を読むことになる。わずか1、2行のことも多い詩句の受け止め方に、空白は影響を及ぼすだろう。
 幕開けは「箱を/崩す」という、不穏な2行4文字だ。2ページ先に「鳥の/羽根が/舞う」、さらに2ページ先に「鳥は/いない―」という語句が待ち受け、不穏な空気に拍車をかける。崩したのは鳥の巣箱だろうか。誰の手で?
 Ⅰ~Ⅴの五つのパートで構成される。詩集の中を自由に飛び回るように、ⅠとⅡでは「鳥」のイメージが何度も現れる。Ⅲ以降は「骨」「光」「点滅」「虹」などが繰り返し使われ、印象に残る。
 地上と天空を行き来する鳥に、著者は生と死を往還する使者の役割を担わせたのだろうか。そんなことを思うのは、本書には死の気配が漂うからだ。滅びることの喜び。崩壊に向かうことの快感。そういう危うく甘美なものをこの詩集は内蔵している。詩句が記されたページを有限の時間、空白のページを無限の時間ととらえれば、生と死は文字通り表裏一体だ。「いなくなった/鳥の声がして/ふりむくと/自分も/いない」(「Ⅱ」)
 

2018年9月23日日曜日

ヴェルレーヌの詩の美しさを会場のみなさんと味わいたいと思っています

 
9月30日開催の颯木あやこさんの朗読会・Pegasus!vol.4(15時30分会場16時開演、@高円寺・Grain, charge¥3000+1drink)のトークでは、秋にちなんで、日本では主に上田敏訳で知られているヴェルレーヌの「秋の歌」を取り上げます。
ヴェルレーヌについてはパリ第三大学で博士論文を執筆し、数段階ある評価のうち一番高い評価を頂いております。
今回はその経験を活かし、伝統的なフランス詩の韻律、そして日本語訳では伝えられきれていないヴェルレーヌの詩の新しさと美しさを、会場の皆さんと一緒に味わっていきたいと思っています。
まだ少しお席がありますので、どうぞ奮ってご参加ください!
左側の写真は当日お配りする資料の原稿です。
ご予約は颯木あやこさん(電話・044-966-3784, e-mail:ayascha1223@kiu.biglobe.ne.jp)までどうぞ!





2018年9月21日金曜日

真鶴岬に行ってきました

少し前のことになってしまうのですが、敬老の日の休日、真鶴に行ってきました。大きな岩と岩の間に注連縄が渡してあって印象的。富士山が噴火した時降った溶岩が固まったのか、赤っぽい石がごろごろ。岬の上の海抜の高さが驚き。お魚も美味しかった! 大磯の自宅からは驚くほど近くて電車賃が500円! また気軽に行こう!




2018年9月8日土曜日

第四詩集『私の知らない歌』(思潮社)を川口晴美さんが、東京新聞夕刊の詩の月評欄「詩はいかが」で取り上げて下さいました

6月1日刊の第四詩集『私の知らない歌』(思潮社)を川口晴美さんが、東京新聞夕刊の詩の月評欄「詩はいかが」で取り上げて下さいました(9月1日)。
「大木潤子の第四詩集『私の知らない歌』(思潮社)は、余白の多さと美しさが際立つ一冊だ。見開きの右側はすべて白。左側にも言葉数は少なく、たった一文字だけのページもある。なのに、軽くはない。緊張感みなぎる静寂の中に鋭く重く、ときに囁きに似た優しさで響いてくる声に引き込まれてしまう。空白のただなかに凛と佇む文字列の圧倒的な強さ。[…] 指先が薄い紙の上を滑るわずかな間に、詩人は永遠のような時間を宿らせる。饒舌な散文詩の詩人としてスタートした大木が沈黙の期間を経て作風を一変させ、全詩集『石の花』でたどり着いた境地がさらに先へと切りひらかれている。」
有り難いお言葉を頂き、感無量です。川口晴美さんに心から感謝します。

2018年9月2日日曜日

平田俊子さんが共同通信の詩の月評「詩はいま」で『私の知らない歌』について嬉しい評を書いてくださいました

平田俊子さんが、共同通信の詩の月評「詩はいま」で、『私の知らない歌』を取り上げて下さり、とても嬉しい、有り難い評を書いてくださいました。感激しております。8月下旬から9月上旬にかけて、全国の地方紙に順次掲載されるとのことなので、全紙で掲載済みになった頃を見計らって、御記事をアップさせて頂きたいと思っております。平田さん、本当に有り難うございます!!

2018年8月27日月曜日

横浜詩人会の『夏の日のジャズと詩の朗読の集い』に参加してきました。

昨日は横浜詩人会の『夏の日のジャズと詩の朗読の集い』(野毛のジャズスポット・ドルフィーにて)に参加してきました。私はセロニアス・モンクの「Round Midnight」を聴きながら書いた詩を朗読しました。
小室響さん(ピアノ)のトリオの演奏が素晴らしくて感動!! 詩の朗読と音楽とが余りにも合っているので不思議に思って舞台を見たら、朗読中の詩のテキストを読みながら演奏なさっているのです! 小室さんは六本木のalfieにも出演なさっている若手のホープみたいです!
 朗読される詩は担当理事の服部剛さんが冊子にしてご用意くださいました。
 服部さん、いろいろ本当に有り難うございました!!

朗読とジャズとの素晴らしいハーモニーを堪能した後は中華料理屋さんで円卓を囲んでの二次会。楽しかった!!
二次会が終わった後は連れ合いとランドマークタワーに行き、のんびりハーブティーを飲みました。

2018年8月17日金曜日

怒濤のごとく家事をこなした数日間

4月頃から何やらいろいろ忙しく、手が回らなかった家事をこの数日で怒濤のごとくこなした。カーテン4枚外して洗って付け直し、冬の布団を押入から引っ張り出して全部で7枚干し、毛布を4枚、そして玄関マットを洗い、包丁を研いだ。一方連れ合いはガラス窓を拭き、網戸、サッシの溝掃除、玄関の三和土の水洗い。季節外れの大掃除?! やっと落ち着いて、ご恵贈頂いた詩集とゆっくり向き合う時間に恵まれそうです。

2018年8月14日火曜日

横浜詩人会の、「夏の日のジャズと詩の朗読の集い」に初参加します !

 8月26日、今年から会員になった横浜詩人会の、「夏の日のジャズと詩の朗読の集い」に初参加します! セロニアス・モンクの「'Round Midnight」を聴きながら書いた詩を読む予定でいます。「夏の日のジャズと詩の朗読の集い」は8月26日(日)午後1時30分開演、場所はJazz spot 「Dolphy」(桜木町・日の出町)です。