2018年12月3日月曜日

大木潤子トーク・詩人ポール・ヴェルレーヌの革新性について


颯木あやこさんの朗読会「Pegasus! vol.4」にトークゲストとしてお招き頂き、パリ第三大学で博士論文の対象とした19世紀フランスの詩人ポール・ヴェルレーヌについて話した時の動画をYouTubeにアップしました。原語のフランス語で読まないとわからない、詩法の革新者としてのヴェルレーヌ像をご紹介しています。
1)颯木あやこさんによる、上田敏訳「秋の歌」の朗読
2)フランスの伝統詩型アレクサンドラン(1行が6音綴+6音綴=12音綴)の紹介
3)9音綴で書かれたヴェルレーヌの「詩法」の紹介
4)ヴェルレーヌの奇数脚(一行あたりの音綴が奇数)作品の軽さ、空白について。煙、霧のイメージについて...
5)音楽性が追求されることで言葉の意味作用が侵食されることについて
6)「秋の歌」における音楽性、子音「l」の多様を会場のみなさんに耳で確認していただく体験
7)ヴェルレーヌの「秋の歌」を私が原語のフランス語で朗読

ポエトリー・イン・ダンジョンvol.1「直角はありません」に行ってきました!

一昨日(12月1日土曜日)、ポエトリー・イン・ダンジョンvol.1「直角はありません」(開催日12月1日~12月9日)に行ってきました! 非常にスリリングな時空で、猛烈に刺激されて帰ってきました。
田野倉康一さんの魅力的なバスのリーディングでオープン。沈黙の密度が濃い言水ヘリオさんの「リーディング」(言葉は一言も発せられないこの驚き!)の後、生野毅さんと秦真紀子さんのパフォーマンスに圧倒されました。詩と声と体の動きとで、時間と空間を自由自在に操る生野さんのパフォーマンスは必見です! 今回見逃した方は是非次の機会を逃さないで! 秦さんの、非常にゆっくりした動きのダンスも素晴らしくてその恍惚とした世界に呑み込まれてしまいました。
展示も素晴らしくて、川田夏子さんの、何もない空間に浮かぶ光を描いたような日本画作品には田野倉康一さんの漢詩が詩人自身の手によって薄墨で書かれ、その詩がそこに在ることによって、平面に描かれた絵画が立体的に立ち上がるかのよう。
広瀬大志さんの作品を織り込んだ、宇野和幸さんの作品も凄い迫力でした。地下室の壁一杯の大きさに、宇宙の音楽を感じさせるような作品。宇野さんがご自身で選んだという広瀬さんの詩句が絵の中で、絵と完全に一体化して息づいていました。
異ジャンル同士のコラボレーションが見事に開花した地下空間。実に、実に、刺激的!!

2018年11月27日火曜日

颯木あやこさんの朗読会「Pegasus ! vol.4」のトークゲストとして参加してきました

颯木あやこさんの朗読会「Pegasus ! vol.4」のトークゲストとして参加してきました。専門のヴェルレーヌ(19世紀フランスの詩人)について、日本語で読んでいるだけだとわからない彼の詩の革新性と破壊性について、原語での朗読も交えてお話しした後、私の最新詩集『私の知らない歌』から一部を朗読しました。ヴェルレーヌの詩について日本でまとまった話をしたのは今回が初めてで、颯木さんに貴重な機会を与えていただき、大変感謝いたしております。

朗読会は颯木さんのご朗読とピアノ、ダンス、ギターのコラボという贅沢な空間に身を置き、至福のひととき。昨年のvol.3をDVDとFBで拝見していたのですが、画面で見るのと実際に自分がその空間に身を置くのとは全く違う!と驚きました。朗読の声の響きに重層性があり、ふわっと包み込まれるような感覚がありました。作品の個性ごとに読み方も声も「間」も変化し、空間ががらっと変わるのも印象的でした。ピアノとギターの演奏も素晴らしく、またダンスは、セクシーでコケティッシュ、彫刻と同じで平面で見ているだけでは魅力が半減してしまうなと感じました。

詩と音楽の交響の中で、幸せなひとときを過ごしました。

颯木さん、本当にお世話になりました。有り難うございます!

2018年11月21日水曜日

平田俊子さんの「猫の皿・二枚目」(MONKEYvol.16)がとても面白かった!

翻訳家の柴田元幸さん編集の文芸誌「MONKEY」vol.16(特集・カバーの1ダース)に掲載されている、平田俊子さんの「猫の皿・二枚目」がとても面白かった。詩、小説、短歌、俳句、、、と、文学にはそれぞれのジャンル独自のディスクールがあるが、落語にも独自のディスクールがあることに、「猫の皿・二枚目」を読みながら、気づかされた。落語のディスクールを逆手にとりながら現代風にアレンジして、新しいディスクールを生み出す平田さんの手腕と筆力が凄い。

2018年11月12日月曜日

連れ合いの福田拓也が受賞した歴程賞授賞式が無事終了しました


お蔭様で、一昨日、連れ合いの福田拓也が、『倭人伝断片』(思潮社)と『惑星のハウスダスト』(水声社)の二冊で、岩木誠一郎さんと二人同時に授賞して頂いた、歴程賞授賞式が無事終了しました。
選考委員のみなさま始め、式の準備、運営をしてくださった歴程同人のみなさまには本当にお世話になりました。
応援スピーチをしてくださった作家の保坂和志さん、乾杯の音頭をとってくださった田野倉康一さんにもこの場を借りて感謝致します。
お忙しい中、沢山の方にいらして頂き、みなさまへの感謝の気持ちで一杯です。
10年近く前、連れ合いはくも膜下出血で倒れて、その後数年は傍らの私もはらはらし通しでしたが、一昨日のような日を迎えることができて感慨無量でした。...
「隔山止血」という功法を用いて、手術なしでの退院という奇跡をかなえてくださった、気功師の青島大明先生にも、この場を借りて改めてお礼を申し上げます。
 
 

2018年11月9日金曜日

バッハ平均律第一巻4番フーガ自演, BachーThe Well-Tempered Clavier Part1 no.4 Fugue

総計23年半に及ぶブランクの後再開したピアノ、再開後1年3ヶ月くらいの時の録音(5月18日)、バッハ平均律第一巻第4番フーガ。この前アップした4番のプレリュードと同じ日の録音です。テンポがゆっくりな曲という理由で選んだのが大間違いでとんでもなく複雑な構成、そして運指。丸々一年練習してやっとこの状態。ミスのない録音は録れず、これで妥協アップとなりました。ピアノの練習、細々とですが、今も諦めず続けています。


2018年11月5日月曜日

和歌山県の本州最南端の地・串本と枯木灘に行ってきました

和歌山県の、本州最南端の地・串本の奇観「橋杭岩」と、そこから少し西に行った、中上健次の小説のタイトルになっている「枯木灘」と呼ばれる海岸に行ってきました。「枯木灘」は中上健次が小説のために作った地名だと思っていたのですが、実際にある地名でびっくりしました。強い風で木々の葉が吹き飛ばされて、枯木のようになってしまうのだそうです。串本駅前の「萬口」で食べたカツオ茶漬けが美味しかった♪ まず生のまま丼で食べて、次にお茶を注いでお茶漬けで。



串本の「橋杭岩」では岩の表情に魅せられて、沢山写真を撮りました。自然が描いた抽象画。これから少しずつ、時々アップしようかな。

『私の知らない歌』(思潮社)について、小島きみ子さんが、「詩素」5号で評を書いてくださいました

『私の知らない歌』(思潮社)について、小島きみ子さんが、「詩素」5号(11月1日刊)「詩集を読む」欄で、とても美しい言葉で評を書いてくださいました。とても嬉しいです。「大木潤子さんは、静かな深い恐怖に耐えてどんどん意識の底におりてゆく。」小島さん、有り難うございます!!

2018年10月15日月曜日

バッハ平均律4番プレリュード【自演】


久々にピアノをアップします。総計23年半に及ぶブランクの後再開したピアノ、再開後1年3ヶ月頃、5月18日の録音。ばたばたしていてなかなかアップできずにいるうちに、5ヶ月も経ってしまった・・・。テンポがゆっくりなので簡単かなと思って練習し始めたら、最初の方、かなり運指が厄介で大変でした。


2018年10月14日日曜日

平居謙さん主宰の合評会「とりQ」に参加してきました!

昨日は、平居謙さん主宰の合評会「とりQ」@御茶ノ水に参加してきました! 家にいるとどうしても家事に追われるので、詩のことだけ考える時間を持てるのはとても貴重です。参加者の方々の詩をじっくり読んで意見を言ったり、みなさんの前で自分の詩を朗読して、いろいろ、ご感想を伺ったり、実に勉強になるし楽しい!! 二次会もモリモリ盛り上がりました。次回が今から楽しみ。平居さん、素晴らしい時間と経験を、本当に有り難うございます!!

2018年10月12日金曜日

峯澤典子さんが、『現代詩手帖』10月号詩書月評欄で、『私の知らない歌』を取り上げて下さいました。


 「極限にまで切り詰められた詩語と豊かな余白が生み出す、未知の時空間への旅。ページのこの眩さをぜひ体感してほしい」

峯澤典子さんが、『現代詩手帖』10月号詩書月評欄で、『私の知らない歌』を取り上げて下さいました。

ページを追うに従っての、余白の変容について、非常に精緻な評を書いてくださり、感激しております。現在販売中のものなので、ほんの一部だけ写真をアップします。峯澤さん、本当に有り難うございます。

2018年10月6日土曜日

和合亮一さんが7月26日の毎日新聞で『私の知らない歌』について書いてくださっていました

友人が先日、「これ、潤ちゃんの本の話かなと思って」と、新聞のコピーを送ってくれました。7月26日の毎日新聞夕刊、和合亮一さんの「詩の橋を渡って」のコピーでした。和合さんが、『私の知らない歌』を取り上げてくださっていたのでした。「送ろうと思って切り取ったのにあっという間に2ヶ月以上経っちゃった、ごめん」とメモが書いてありましたが、送ってもらえなかったら気が付かないままでした。
「死を見つめる根源的な詩人の生の眼。そして死を読もうとする私たちのそれを、白い鏡が映し出しているのかもしれない」
大きく取り上げてくださった和合亮一さんに、そして、忙しい中わざわざ送ってくれた知人に心から感謝。

平田俊子さん脚本の『竹取』(世田谷パブリックシアター)が凄い!


平田俊子さん脚本、小野寺修二さん構成演出の世田谷パブリックシアターの公演・現代能楽集Ⅸ・『竹取』に行ってきました! 
音楽・阿部海太郎さん、出演・小林聡美さん、貫地谷しほりさん他。

とにかく刺激的な舞台! 今日この舞台を観たことは私にとって大きな出来事になりそうです。

平田俊子さんがSNSで、稽古を重ねるにつれて平田さんの言葉がどんどん削られていく、と書いていらしてので、あんまり少なくなってしまうと寂しいな、と思っていたのでしたが、観てびっくり。

随所で朗読のようにして読まれる詩は、遠い月から送られる光をまとうかのような言葉で、心を深く貫いてきます。「竹取」とは全く関連のない、平田さんの既刊詩集からの作品も読まれ、「竹取」との内容のギャップからシュールな空間が立ち上がってきました。

 一方で、まるで無言劇、もしくは舞踏のような舞台も続くのですが、言葉のない「余白」の隅々に、平田さんの言葉が光となって浸透しているのでした。舞台そのものが平田さんの詩でした。

紐、布、額縁、畳、障子といった「物」が、幾何学図形のように抽象的に使用されて動いていく舞台はまるで宇宙の縮図のよう。TwitterFBで平田さんが発表していらして、私が非常に心惹かれ、何度も繰り返し読んでいた「竹取」の原詩の一部

「光は静かに呼吸していた。 竹林の中でもひときわ立派な竹の内側で 生き物のように 膨らんだり縮んだりを繰り返していた。 のぞくと目のくらむような光のかたまりがあった。 光は外に出たがっていた。 わたしは光をすくって家に帰った」

が、一度言葉であることをやめ、空間、そして時間に変容したかのように感じました。

他にも印象的だったのは、平田さんの言葉遊びが、舞台の上で、更に輝くこと。言葉遊びは笑いを誘い、書き手と読み手とをつなぎますが、詩の場合は、書き手が書いた時間と、読み手が読む時間との間にずれがあり、つながりがはっきり目に見える形にはなりません。けれど舞台の上での演じる側と観る側とが同じ時空に存在しているので、言葉遊びは、笑いを誘った瞬間に、演じる側と観る側との間の境をなくし、両者をつなぐのですね。言葉遊びには、演じる側と観る側との間にある見えない幕を取り去り、舞台(フィクション)と、観客席(現実)とをつなぎ、一体化させる効果がある。非常に面白くて、興奮しました。

主演の小林聡美さんの、目の光だけで劇場空間を染め上げるような演技にも圧倒されました。歩いたり、座ったりするだけで存在感があり、凄い俳優さんだと思いました。貫地谷しほりさんのかぐや姫も、時に妖艶、時に蓮葉で、新しいかぐや姫像を提出していると感じました。

宝生流シテ方の佐野登さんの能も凄い存在感。お能には以前一度はまって国立能楽堂に足繁く通ったり自分自身謡と舞を習った時期があったのですが、最近は自宅が不便な場所にあることもあって、すっかりご無沙汰していました。が、また行きたくなりました。

「現代能楽集」のシリーズなだけあって、実際に能楽者が演じたというだけでなく、抽象的で幾何学的な舞台に、能と狂言のエッセンスを感じました。一方で、構成・演出の小野寺修二さんがマイムから出発なさった方で渡仏経験もおありだからか、フランス演劇の舞台の香りも感じ、もう30年も前に観たマルセル・マルソーも思い出しました。

とにかく刺激的な舞台。前売りは完売していましたが、当日券分があるようです。今日は立ち見も出ていました。今日が初日で、1017日まで公演が続くようです。
お勧めです!